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ブックマーク / www.shinchosha.co.jp (7)

  • 『萩尾望都 作画のひみつ』 萩尾望都、芸術新潮編集部/編 | 新潮社

    繊細な画と豊かな文学性でマンガ界に新たな地平を拓いた萩尾望都。貴重なインタビューやアトリエ訪問記で創作の現場に迫り、撮りおろし原画や秘蔵のクロッキー帳などファン垂涎の画も一挙公開。「ポーの一族」から「王妃マルゴ」までデビュー50年を経て、いまなお現役をひた走る天才マンガ家のすべて、最新版にして決定版!

    『萩尾望都 作画のひみつ』 萩尾望都、芸術新潮編集部/編 | 新潮社
    pha
    pha 2020/05/17
  • 考える人

    「僕らは楽しむことをおろそかにしない」 2008年に初来日したシモン・ボリバル交響楽団の「アンコール」風景を、Youtubeで見たのが始まりでした。曲目は「『ウエスト・サイド・ストーリー』からのシンフォニック・ダンス」(レナード・バーンスタイン)でおなじみの「マンボ」――。 チェロが左右に大きく揺れ、管楽器は高々と掲げられ、ティンパニのマレットが宙を舞い、バイオリン奏者たちは立ち上がって弾いている――楽団員たちが実に楽しげに、ラテンのリズムに乗って、踊りながら演奏しているのです。そして、決めどころにさしかかると、総立ちになって一斉に叫びます。 「マンボ!」 「ノリノリのアンコール」とタイトルがついていましたが、まさにその通り。クラシック界の常識をブッ飛ばす、爆発的なエネルギーに目を見張りました。「気がついたら泣いていた」という感想も、その後たくさん聞きました。 書によれば、20

    pha
    pha 2013/10/10
  • 『脱資本主義宣言―グローバル経済が蝕む暮らし―』 鶴見済 | 新潮社

    ――ミリオンセラーになった『完全自殺マニュアル』をはじめとして、九〇年代には精力的に執筆活動を続けていた鶴見さんにとって、このは実に十二年ぶりの新刊となります。この間はどういったことをされていたのでしょうか? よくデモに行ってましたね。国内では「格差」や「貧困」が問題とされるようになった頃からですが、それまでも「楽に生きること」をテーマに文章を書いてきたので、そういう「生きづらさ」にも文句を言わないとまずいだろう、ということで。それからもともと植物を育てるのが好きだったんですが、その流れで、畑で自然農を始めました。自給できるほどではないですが、べ物を作ってべていると、「来、生きるとはこういうことだったはずなのに」と感じるようになりました。今我々は、生きるのに必要なものは、全部お金を出して買っていますよね。そのために「働いてカネを稼ぐこと」が「生きること」になっている。でもこうなった

    『脱資本主義宣言―グローバル経済が蝕む暮らし―』 鶴見済 | 新潮社
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    pha 2012/07/06
  • 第23回三島由紀夫賞 受賞者自身による【略歴】- 東浩紀|新潮|新潮社

    第23回三島由紀夫賞 受賞者自身による【略歴】 東浩紀 一九七一年東京に生まれる。成績がよかったので筑波大学附属駒場に通う。また成績がよかったので東大文Iに進学する。このままでは法学部に行くことになるぞ、という時期になりようやく真剣に将来について悩みはじめる。二〇歳の秋、法政大学で教鞭を執っていた柄谷行人のもとに人生相談に行くが、阪神の話しかされず、一念発起して書いた文章が人生最初の評論。それが意外なことに『批評空間』に掲載されることになり、舞い上がって悩むのを止める。快調に大学院に行き博士号を獲得。博論と同じ文章を出版して一九九八年にデビュー。同年直前に結婚もしており順風満帆に思えたが、人生について考えてこなかったツケがついに回り、遅れたアイデンティティ危機に陥る。そもそもおれ、思想とか評論とか好きじゃなかったんじゃね?的な気分になり批評空間派を離脱。流浪のサブカル漫遊の旅に出る。二

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    pha 2010/06/28
  • 『ひらがな日本美術史7』 橋本治 | 新潮社

    シリーズ最終巻は近代篇。高橋由一「鮭」、川端龍子「源義経」、竹久夢二「立田姫」、亀倉雄策「東京五輪ポスター」など、明治から昭和30年代までをひとっ飛びに総括。「国宝であろうとなかろうと、いいものはいい」――硬直した「日美術史」を柔らかく解きほぐし、ビジュアルを以て日史のあらすじを描く壮大な試み。画期的美術批評!

    『ひらがな日本美術史7』 橋本治 | 新潮社
  • 「フェースブック」の急成長に感慨と無力感を覚える web kikaku

    の高校を出てカナダの大学に留学している学生(二十一歳)が、夏休みを利用して私を訪ねてきてくれた。私の会社宛に届くたくさんのメールの中に、彼からの訪問希望メールがあった。彼のブログを読んで、私のブログにたびたび真剣なコメントをつけてくれていた「あの彼だな」とすぐにわかり、是非会おうと返答した。私は相手が若ければ若いほど、忙しくても何とか時間を作るようにしているのだ。留学して初めて「学ぶ喜びに目覚めた」と、異国での勉強三昧の生活について目を輝かせながら話す彼との時間は、とても楽しく愉快だった。 「英語圏でネットを使うようになって、どう感じる?」 と尋ねたところ、彼は速射砲のように話しだした。 「フェースブック(Facebook)にはとにかく驚きましたよ。ここではいったい何が起きているんだろうとはじめは思った。どうして全員が、実名で、しかも実際の顔写真をネット上に載せているのかって……

  • 目からうろこが何枚も落ちたオープンソースの“人間的本質” - シリコンバレーからの手紙

    もうかれこれ十年近くにわたり、オープンソースというネット上の摩訶不思議な現象について、欄で取り上げてきた。オープンソースは人間の質を考えるきわめて重要な素材だと思うから、連載の大きなテーマとして考え続けてきた。その思考に小さなブレークスルーがあったので、ご報告しておく。 オープンソースとは、ソフトウェアのソースコード(人が記述したプログラムそのもの)をネット上に無償公開し、世界中の不特定多数の開発者が自由に参加できる環境を用意し、そのソフトウェアをさらに開発していく方式のことだ。リーナス・トーバルズが創始したリナックスが有名なように、ほとんどのオープンソース・プロジェクトは欧米から生まれている。 しかし日人でたった一人だけ、世界中の人々が使うソフトウェアをオープンソース方式で開発したリーダーがいる。島根県松江市在住のまつもとゆきひろ(名・松行弘、一九六五年生まれ)である。彼が

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    pha 2008/03/15
    「ほとんどの人は、適切な大きさと複雑さを持ったいい問題を探しているんですよ」
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