はじめに この論考で歴史的経緯について振り返ることで示そうとすることは、「夫婦別姓が良いものだ」ということではなく、単純に「夫婦同姓が伝統的だ」という議論の、いくつかの前提が「歴史的にみて正しいとは言い難い」ということである。つまり、夫婦を同姓にするのが日本の伝統だとか、夫婦別姓なのは中国や韓国に限られているとか、あるいは恐らく多くの保守派が暗黙のうちに共有しているであろう、「夫婦同棲は家族の紐帯と家父長制を強化する」といった前提すらも、大した根拠がない、ということを主張したい。その上で、この小論は必ずしも直接的に日本が選択的夫婦別姓を導入することを支持するものになるというつもりはないが、少なくとも「人類の名前のありようは多様であり、日本だけをみても通時的に一貫性があるわけではなく、時代の要望によって変わることを妨げる何かがあるようには見えない」ということを言えればと思っている。姓の位置付
