6月27日、What is necessary for Reconciliation and Peace Building? というテーマの国際会議を同志社で開催しました。グローバルスタディーズ研究科(GS)とCISMORの共催ですが、実行部隊の多くはGSから出されており、今回、私は最後に concluding remarks を述べるだけでしたので、比較的気楽でした(内藤先生は大変だったと思いますが)。 しかし、これだけの顔ぶれが一同にそろうことは、めったにないでしょう。アフガンから総勢8名(トルコから2名)が来られ、そこには政府側の方(大統領顧問)から、それに敵対するタリバン(Islamic Emirate of Afganistan)や Hezbi Islami の方々が一堂に会し、壮観な眺めでした。 私はアフガン事情に通じているわけではありませんので、どのスピーチも新鮮に聞くことが
ひょっとすると、すごいお宝かもしれません。とはいえ、真贋を見極めることのできる人は同志社にはいませんので、近いうちに踏み絵の専門家に鑑定してもらいたいと思っています。
「多神教からの一神教批判に応える――文明の相互理解の指標を求めて」、21世紀COEプログラム公開講演会「一神教と多神教――新たな文明の対話を目指して」(主催:同志社大学 一神教学際研究センター) ■当日配付プログラム(333KB) ■動画(Real Media) 中沢新一氏講演(1時間8分) 小原克博講演(48分) パネルディスカッション(35分) ■案内ちらし(385KB) 【講演要旨】 近年、「一神教と多神教」という対比関係が日本の論壇で頻繁に取り上げられている。最初に、その一部を紹介しながら、こうした問題設定に共通して見られる傾向を批判的に検証したい。これらのメッセージの多くは、多神教の世界貢献といった華々しい表現とは裏腹に、非常に内向きで自己完結的な特徴を有している。一神教か多神教かという二者択一は、先を見通すことのできない世界に住むわれわれに、「わかりやすさ」という快感
本日、神学部の本井先生による講演会「三代神学館をめぐる秘話―― クラーク記念館竣工に寄せて」が行われました(私は司会)。 さすが本井先生。歴代神学館やクラーク記念館についての、通常知り得ないような詳細な話しをしてくださいました。 以前、Masakiさんから出されていた質問に対しても触れられました。クラーク記念館の前にある牛と大日如来の石碑はいったい何なのか、ということです。 これは、同志社草創期の宣教師の一人ギューリックが宗教博物館の建設を予定していたことと関係があります。彼は、キリスト教以外の宗教についても、展示できるようなものを探していたらしく、たまたまデフォレストが持っていた牛と大日如来の石碑がそのために同志社に寄贈されました。 ところが、宗教博物館の計画は頓挫し、行き場を失った牛と大日如来が、今の場所に置き去りにされてしまったようです。 日当たりのよい場所なので、牛は博物館にいれら
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く