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島薗進に関するpolynityのブックマーク (9)

  • 【IWJ検証レポート】改憲への熱情の底にひそむ「国体復活論」~安倍政権を思想的に支える日本会議、神道政治連盟、そして伊勢神宮の「真姿」とは――宗教学の第一人者・島薗進氏(上智大学教授)に訊く | IWJ Independent Web Journal

    改憲と「緊急事態条項」の創設が最大の争点となる参議院議員選挙の投開票日まで、いよいよ1ヶ月を切った――。 安倍総理は全国各地の遊説で、改憲という真の争点を隠し、「アベノミクスの継続」をアピールしている。しかし、今回の参院選で、自民、公明、おおさか維新の「改憲勢力」が78議席を獲得すれば、衆参ともに「改憲勢力」が全体で3分の2議席を占めることになり、憲法改正の発議が可能となる。現行の日国憲法は、ギリギリのところまで追い詰められている、と言える。 改憲は、安倍総理の宿願であると言われる。しかし、安倍総理をここまで改憲へと突き動かす熱情の源泉とは何か。その思想的バックボーンとは、一体何なのか。 2012年末に発足した第2次安倍政権の特徴のひとつとしてあげられるのが、「神道政治連盟議員懇談会」や「日会議議員懇談会」といった、「宗教右派」と呼ばれる団体に所属している閣僚が大勢を占めていることであ

    【IWJ検証レポート】改憲への熱情の底にひそむ「国体復活論」~安倍政権を思想的に支える日本会議、神道政治連盟、そして伊勢神宮の「真姿」とは――宗教学の第一人者・島薗進氏(上智大学教授)に訊く | IWJ Independent Web Journal
  • 宗教学者 島薗進氏による靖国神社をめぐる発言

    靖国神社は、文字通り神社であり宗教法人です。外交的側面、歴史認識の側面が強調されて論じられることが多いですが、同時に宗教の問題、信仰の問題でもあります。靖国神社にも独自の信仰があり、私達にもそれぞれの信仰または非信仰があります。 この点について造詣が深い島薗進教授のTweetをまとめました。 このまとめのある部分について他の方のまとめもあります。 続きを読む

    宗教学者 島薗進氏による靖国神社をめぐる発言
  • 関係論としての「国家神道」論 - ちきゅう座

    一 はじめに 日思想史の研究者として知られる子安宣邦が、『現代思想』誌上で国家神道論の連載を始めたのは、二〇〇三年七月号であった。この連載は翌二〇〇四年四月まで続き、その後、『国家と祭祀――国家神道の現在』(青土社、二〇〇四年)として単行化された。その「批判」の対象とされた近代神道研究者からは「誹謗中傷に近い」[1]とも評されたその筆致と内容は、それらの人々に少なからぬ衝撃を与え、反発や批判を呼ぶことともなった。このに端を発する子安の議論への批判については現在、すでに一通り出揃った感があり、今やアップトゥデートなテーマではなくなりつつあると言ってもよいだろう。 筆者はしかし、その議論の成り行きに若干の不満を持っている。こので子安が提起しようとした問題の広がりが、その反論・批判において正当に受け止められているように見えないからである。論文は、そのような問題意識を出発点に据え、「国家

  • イノセントな学者的欲求が犯す罪─「怒り」の理由 - ちきゅう座

    <子安宣邦(こやすのぶくに):大阪大学名誉教授> 私の批判への島薗氏による卑小な反論に釣られて卑小な回答の言葉を連らねる愚を避けて、端的にまず私の「怒り」の理由をのべよう。 現在、「国家神道」をめぐる問題があるとすれば、「国家神道」概念の見直し論としてある。この見直し論とは、アメリカの対日占領政策にもとづくいわゆる神道指令が廃止を指示した国教としての神道、すなわち「国家神道」の定義の見直しを要求するものである。神道指令はこの「国家神道」を「非宗教的ナル国家的祭祀トシテ類別セラレタル神道の一派(国家神道或ハ神社神道)ヲ指スモノデアル」と規定している。したがって見直し論はこの規定中にある神社神道の側から、「国家神道」概念の見直すことの要求として出されてきた。 だがこの見直し論は、ただ「国家神道」概念の見直しを求めるだけのものではない。現行憲法を占領軍の押しつけとして、それを見直し、自主的な改訂

  • 『国家神道と日本人』への批評について――とくに子安宣邦氏の論説に応答する - ちきゅう座

    <島薗 進(しまぞのすすむ):東京大学教授> 7月21日刊の奥付をもつ拙著、『国家神道と日人』(岩波新書)が刊行され、3ヶ月ほどがたった。まだまだ内容に立ち入った書評は少ないが、直接間接にさまざまな感想・批評に接し、大いに啓発されている。感想・批評をお寄せ下さった皆さんにあらためて謝意を表したい。 私が敬愛するある宗教哲学者は、「輻輳した歴史の現実態の中に分け入り、しかも山に入って山を見ずではなく、おのづから筋道があらわれて見えて来」、「私にとって最近にない良書」だったとおほめ下さった。私信では日近代史や日思想史の研究者からも概ね好意的な評価をいただいているが、ネットに現れた感想や批評の中に「自己中心的だ」とか「けしからん」とか「新書に合わない」という反応があったのにはやや驚いた。このは論争を踏まえた書物なので、これまでの議論の弱点について批判的に述べて新たな立場を鮮明に示そうと

  • 『国家神道と日本人』への批評について(2)――子安宣邦氏の再論に応答する | 島薗進・宗教学とその周辺

    10月10日に子安宣邦氏の「怒りを忘れた国家神道論――島薗進『国家神道と日人』」という論説(第1論説)が、「ちきゅう座」(http://chikyuza.net/n/archives/3705)というサイトに掲載され、私はそれに対する応答を「『国家神道と日人』への批評について――とくに子安宣邦氏の論説に応答する」と題して、私自身のこのブログ「宗教学とその周辺」に掲載した(第2論説)。これについて「ちきゅう座」から掲載の要請があり、私はそれに応じた。続いて、10月29日づけで「ちきゅう座」に子安氏の「イノセントな学者的欲求が犯す罪─「怒り」の理由」と題する島薗批判の再論が掲載された(第3論説)。この第3論説は私の論旨への誤解、無理解、および現在の国家神道をめぐる論争状況への誤解、無理解が顕著に見えるので、この論説で応答しておきたい。 子安氏は、「国家神道」概念の見直し論が問題なのだと書い

  • 島薗進氏の怒りの不在 2010-10-19 - 弯曲していく日常

    島薗進氏の新著『国家神道と日人』(岩波新書)を、子安宣邦氏が「怒りを忘れた国家神道論――」という文章で批判した。 http://chikyuza.net/n/archives/3705 それへの応答がこれだ。 http://shimazono.spinavi.net/?p=127#more-127 (以下敬称略) 子安の文章にはたしかに悪罵表現がある。それをどう受け止めるか。 島薗は受け止め損ねていると思う。 「糞らえ、島薗!」などという言葉が見えるが、このサイトにふさわしいものがどうか十分にお考えいただきたい。 なんだ、この言い草は。論争にドレスコードが必要だ、というのは大学教授の感受性であり思想者のものではない。 子供じみたご発言がご高名を汚しはしないか心配である。 徹底的に、大学教授としてのマナーが大事という価値観を押し出す。で。相手を子供じみたと、揶揄する。 このようなテクニッ

    島薗進氏の怒りの不在 2010-10-19 - 弯曲していく日常
  • 「怒りを忘れた国家神道論」―島薗進『国家神道と日本人』批判 - ちきゅう座

    <子安宣邦(こやすのぶくに):大阪大学名誉教授:日思想史> 1 村上重良の怒り 村上重良は『国家神道』(岩波新書、1970)を激しい怒りをもって書いた。その怒りとは、日台湾・朝鮮をも含んだ)国民の肉体とともに精神を支配し、抑圧した〈戦争する日国家〉の原理であり、装置であるものに対してである。彼は国家神道こそが、1945年に至るまで国民を支配し、抑圧した国家的原理であり、装置であるとみなした。戦争の終結から四半世紀を経過した1970年に村上は、国家神道の復活の動きに接し、怒りを新たにする形で『国家神道』を書いたのである。私もまた度重なる小泉元首相の確信犯的な靖国参拝に対する怒りを『国家と祭祀―国家神道の現在』(青土社、2004)として表明した。私は村上の国家神道概念をそのまま継承することはなくとも、彼の怒りは正しく継承した。 国家神道批判は日国民のこの怒りに基づくものである。怒り

  • 『国家神道と日本人』への批評について――とくに子安宣邦氏の論説に応答する | 島薗進・宗教学とその周辺

    7月21日刊の奥付をもつ拙著、『国家神道と日人』(岩波新書)が刊行され、3ヶ月ほどがたった。まだまだ内容に立ち入った書評は少ないが、直接間接にさまざまな感想・批評に接し、大いに啓発されている。感想・批評をお寄せ下さった皆さんにあらためて謝意を表したい。 私が敬愛するある宗教哲学者は、「輻輳した歴史の現実態の中に分け入り、しかも山に入って山を見ずではなく、おのづから筋道があらわれて見えて来」、「私にとって最近にない良書」だったとおほめ下さった。私信では日近代史や日思想史の研究者からも概ね好意的な評価をいただいているが、ネットに現れた感想や批評の中に「自己中心的だ」とか「けしからん」とか「新書に合わない」という反応があったのにはやや驚いた。このは論争を踏まえた書物なので、これまでの議論の弱点について批判的に述べて新たな立場を鮮明に示そうとしており、いわば「革新的」な議論を多々提示をして

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