2011年4月24日のブックマーク (2件)

  • 日本人はキャラを変えた? - 黄土高原 紅棗がみのる村から

    ネットの繋がりがよかったせいで、普段なら間違いなく目にすることもなかったであろう一文を読みました。東浩紀という人がニューヨークタイムズに寄稿したものです。私は恥ずかしながら読書という習慣を持たない人間なので、この人がどういう人か知りませんが、なんでも若手の気鋭の論客なんだそうです。 彼は東京で今回の大地震に遭遇して後、次のように書いています。日人は敗戦後、ずっと自分たちの政府や国を誇りに思うことがめったになかった不幸な民族だが、今回の災害以降、自らの国を肯定的に捉え始めている、と。 【日人の間で「公共」についてこれほど取り沙汰されているのを、僕は見たことが無かった。つい最近まで日人と政府は、愚痴と口論にまみれた、優柔不断で自己中心的な存在かのように見えていた。しかし、今彼らは別人になったかのように、一丸となって国を守ろうとしている。若い世代の言葉で言うと、日人は完全に「キャラ」を変

    日本人はキャラを変えた? - 黄土高原 紅棗がみのる村から
    poppen38
    poppen38 2011/04/24
    『この気鋭の論客はいったいどこを見ているのだろうと、私は不思議に思ってしまうのです』『まさしく、日本人が“一丸となって”略奪、強姦、放火、殺戮の限りを尽くしたという過去です』
  • 『北支に於ける奔敵事犯と之が警防対策』 - 八路軍研究メモ

    防衛研究所に資料を漁りに行った際、『北支の治安戦』の巻末参考資料一覧に載っていた憲兵隊内部発行冊子の『北支に於ける奔敵事犯と之が警防対策』(昭和18年発行)が目に留まった。ちょうど捕虜から日人反戦同盟になり日兵たちに反戦を呼びかけた人々のことが気になっていたので、ちょっと読んでみようとしたら、後半部分が袋綴じ状態で閲覧不可になっていた例の史料です。 http://d.hatena.ne.jp/smtz8/20101117/1290269562 今回は、私のブログの題と少しはずれますが、少しだけ反響をいただいたネタでもありますので、この史料の閲覧可能な前半部分についてもう少し詳しく書いてみます。 ただ、確信を持って論じられるほど私はまだこの問題に詳しくはありません。また、来であればさまざまな資料と照らし合わせながら論じるべきことなのですが、それも現行ではあまりできないので、簡単な分析

    『北支に於ける奔敵事犯と之が警防対策』 - 八路軍研究メモ
    poppen38
    poppen38 2011/04/24
    『日本軍においては、捕虜になった後に敵に協力したか否かを問わず、捕虜になることまたは捕虜であり続けること自体が「犯罪」である、と認識していたと読むことができる』