ドラッカー自身、その構想力、分析力、情報量は、若い頃から並外れていた。天才的な頭の良さに加えて猛烈に勉強していた。 高校を出た後、学校にあきあきしていた彼は、実社会に出たくて商社に就職する。すでに沈滞をはじめていたウィーンを出てドイツのハンブルグに行く。ハンブルグ大学に籍をおいたのは、親の手前だったという。そうはいっても、仕事の後は毎日が図書館通いだった。ただし週末にはよくハイキングをしたらしい。 一年ちょっとでフランクフルト大学に籍を移し、証券会社に入る。わずか一九歳で景気上昇を予測する論文を書いて経済誌に掲載される。ところが、最新の理論モデルとデータを駆使した論文が出た直後、あの株式大暴落が起こる。それ以来、彼は理論による予測、特に数学モデルを使った予測は一切やめたと言っている。 勤めていた証券会社が潰れた後、新聞記者になる。ここですぐに国際問題と金融問題を担当する論説委員に抜擢され、
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く