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ブックマーク / motidukisigeru.hatenablog.com (4)

  • 南京事件の閾値、そんなものが不要な理由 - motidukisigeru’s diary

    南京事件を否定してしまうのは入門知識すら身につけてない証 - 模型とかキャラ弁とか歴史とか こちらのコメント欄で、たいがい長い議論をしてしまったので、移動。 いまさらながら・・・ - Apes! Not Monkeys! はてな別館 こちらのコメント欄も参照しつつ さて、id:shivashantiさんは「南京事件の定義」を求めています。 「どの事実が否定されたら南京事件が否定されるのか」に答えることができなければ、どれだけ「あった理由」を並べても南京事件とは何かを語ったことにはならない。 真の南京事件否定論者 - 売り切れました 肯定派、否定派が存在することに対して、南京事件の内容が定義されなければ、肯定/否定はできないわけだから、対等な議論をするには「何が南京事件であるか」の定義が必要である、という話です。 また、その定義の一貫として、「大量の犠牲者」が含まれるのか否かというのを何度も

    南京事件の閾値、そんなものが不要な理由 - motidukisigeru’s diary
  • 聞く人の気持ちを考えよう - motidukisigeru’s diary

    原爆は落ちてない 例えば、どっかの国で、「原爆なんかホントは落ちてない」「落ちたけど、すげー人が死んだってのは日人のでっちあげ」という話が出てきた、としよう。 日人として、あるいは個人として、そういうことを言う人に対しては、控えめにいって、かなり不愉快な気持になる。 また、それに対して「絶対の真実などないから、原爆否定論にも耳を傾けよう」という人がいたら、理屈ではわかるにせよ、不愉快な気持にはなってしまう。それが重要な論点で、どうしても言う必要があるのなら分かるけど、さしたる必要もないなら持ち出してほしくはない。 「俺は、ちゃんと原爆の現場見て来たんだぜ。広島の原爆ドーム見たら実感あったけど、長崎原爆資料館は、あんまり実感なかったね。ひょっとしたら長崎の原爆は落ちて無かったって転向するかも。それが俺の「真実」」と書いていたら。 俺は殺意が湧く。 南京虐殺否定論について、安易に議論の例に

    聞く人の気持ちを考えよう - motidukisigeru’s diary
  • 結果を考えて物を言おう - motidukisigeru’s diary

    前提 文字情報ばかりといえば、はてなブログでは、ぼくが公認してもいない速記の断片的引用ばかりがコピーされ「東浩紀、許さん!」とか言われているらしいのだけど、上記のように、ぼくからすればそれは授業の内容についても僕の立場についても明らかに誤解している。そもそも、そんなに真実が大事だと思うのならば、そのかたがたは実際にぼくの授業に来て質問したらいいのではないでしょうか。 http://www.hirokiazuma.com/archives/000465.html と、いう記事があった。 さて、大学というのは、結構、学生以外や関係ない授業も入れてもらえるものだけど、全然知らない人のとこに勝手におしかけるのは、よろしくない。 行くのも授業を聴講するのが前提であって、授業と関係ない話をしにゆくとなったら、これは問題だ。 授業の流れとかがわからない中で、「そーいえば、ブログの話ですけど」という質問を

    結果を考えて物を言おう - motidukisigeru’s diary
  • ションベンを飲まずに飲尿療法を否定するなかれ──実感至上主義

    あらゆる説には耳を傾ける価値がある http://www.hirokiazuma.com/archives/000465.html 東浩紀氏の、南京大虐殺に対する話、再び。 講義の速記や対談、雑誌記事などは、どうしても人以外の編集が入るので、東氏自身がどう思ってるかは気になっていたのだが。 結論は、「これはひどい」だった。 この記事の、前半は理解できる。 A.いまの日社会に、南京大虐殺があったと断言するひとと、なかったと断言するひとがそれぞれかなりのボリュームでいるのは事実である(この場合の南京大虐殺は例)。 B.ポストモダニズム系リベラルの理論家は、「公共空間の言論は開かれていて絶対的真実はない」と随所で主張している。 C.だとすれば。ポストモダニズム系リベラルは、たとえその信条が私的にどれほど許し難かったとしても、南京大虐殺がなかったと断言するひとの声に耳を傾ける、少なくともその声

    ションベンを飲まずに飲尿療法を否定するなかれ──実感至上主義
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