土本典昭はまぎれもなく映画作家だった|蓮實重彦 ドキュメンタリーとフィクションという二つのカテゴリーは、映画にとって何ら本質的な差異をかたちづくるものでない。問題は、それが映画として成立しているか否かにかかっている。まだ映画評論家として立つ心構えもなかったわたくしにそのことを教えてくれたのは、土本典昭にほかならない。 実際、土本典昭は、まぎれもない映画作家としてわたくしの前に姿をあらわした。『水俣 患者さんとその世界』(1971)を持ってヨーロッパを回っていた彼とパリのシネマテークで出会ったとき、初対面のわれわれは、終映後にトロカデロのカフェで何時間も話し合い意気投合した。あのショットはすごい、あれはいったいどう撮ったのかという素朴な問いに、彼は、現場の興奮を再現するかのように熱気をこめて答えてくれた。ドキュメンタリー作家にありがちな社会的な責任で身をこわばらせることなく、撮影と編集にまつ