ハイリゲンシュタットの『遺書の家』 実現できなかった演奏会 ベートーヴェンのバレエ『プロメテウスの創造物』は、1801年3月に初演されて以来、ロングランを続けていました。 彼はこれに意を強くして、〝オール・ベートーヴェン・プログラム〟の自主コンサートの開催を企てます。 1800年4月に開いた初の〝自主アカデミー〟では、客寄せのためにモーツァルトのシンフォニーや、ハイドンの『天地創造』のアリアなども、プログラムに盛り込まなくてなりませんでしたが、いよいよ、自分だけの〝個展〟を開こう、と意気込みます。 そして、そのメインとなる作品として、シンフォニー第2番、ピアノコンチェルト第3番などの作曲を進めます。 しかし、1802年4月を目途に準備を進めていたコンサートは、劇場の使用許可が得られず、流れてしまいます。 劇場支配人のブラウン男爵との間でいざこざがあったことが、ベートーヴェンのマネージャーを