ゲームに感じたエンターテインメントの可能性 ――まずはいまさらではありますが、松山さんがゲーム業界を志し、起業をしてからいまに至るまでの経歴を教えてください。 松山『ドラゴンクエスト』や『ファイナルファンタジー』は全作遊んでいましたし、流行ったものはひと通り押さえてはいたんですが、私は最初からゲーム業界を目指していたわけではないんですよ。子どものころから「週刊少年ジャンプで連載を持つマンガ家になりたい」と思っていて、学生時代はマンガばかり描いていました。大学に進んでも漫画研究同好会、いわゆる漫研に入ったのですが、そのころに転機が訪れました。 私が通っていた大学は、当時九州で唯一芸術学部があったこともあって、芸術肌の人間が多かったんです。とくに、漫研もメンバーはつぎつぎにマンガ家やアニメーターとしてデビューして、どんどん上京していきました。へんな話ですが、当時は「大学に4年間通うのは売れない