摺鉢山(手前)側から眺めた硫黄島の全景=東京都小笠原村で2023年10月30日、本社機「希望」から手塚耕一郎撮影 太平洋戦争末期の激戦地、硫黄島(東京都小笠原村)の元島民らで構成する「硫黄島帰島促進協議会」(促進協、麻生憲司会長)は、硫黄島の戦いが始まってから80年の節目となる19日、国に対し、故郷への帰島を求める要望書を提出する。運動方針を、近年の墓参渡島の機会拡充から、かつての定住帰島へ戻す形。専門家は「帰島を規制する法的根拠はない」としており、戦時中から81年続く「強制疎開」に終止符を打ち、定住帰島の実現を目指す。 硫黄島では戦前、1000人以上が暮らしていたが、1944年夏には軍属となった男性103人以外の島民が強制疎開させられた。45年2月19日、米軍が上陸。1カ月あまりの激戦で日本軍2万人以上が戦死、生き残ったのは1000人程度とされる。米軍の戦死者も6821人に上った。 小笠