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国家安康の検索結果1 - 3 件 / 3件

  • 大坂冬の陣から400年「国家安康」「君臣豊楽」は家康の言いがかりではなかった説 (2015年1月19日) - エキサイトニュース(1/5)

    今年、2015年は徳川家康の死去から400年目にあたることから、「家康公四百年祭」が静岡県を中心に開催される。先週土曜、1月17日には静岡市の静岡浅間神社にて四百年祭の始まりを告げるセレモニーが行なわれた。 これから年間を通し、家康の生地・愛知県岡崎市を含め各地で100を超すイベントが予定されている。 家康は亡くなる1年前、1615(慶長20/元和元)年には大坂夏の陣で豊臣家を滅ぼしている。大坂の陣は、その前年の旧暦11月に起こった冬の陣に始まる。冬の陣は東西両軍の和議が結ばれ、戦闘は翌年5月の夏の陣までいったん休止に入った。冬の陣の和議が成立した慶長19年12月20日は、太陽暦でいえば1615年1月19日、つまりきょうでちょうど400年を迎えたことになる。 ■家康の言いがかりではなかった?――方広寺鐘銘事件 大坂の陣の発端としては、方広寺大仏殿(京都)の再建にともなう「鐘銘事件」がよく知

      大坂冬の陣から400年「国家安康」「君臣豊楽」は家康の言いがかりではなかった説 (2015年1月19日) - エキサイトニュース(1/5)
    • 家康「あの、これさ……『国家安康 君臣豊楽』……?」

      家康「あの、これさ……『国家安康 君臣豊楽』……?とんでもねぇ鐘銘だなぁこれぇ!?」 家康「もしかしたら・・(五山僧の空気を確認)」 月渓和尚「それに近い」 林羅漢「ほぼそれに近い」 五山僧「まあまあまあまあ」 家康「これは た、い、へ、ん な 鐘銘ですよねぇええ(上擦った声で)」 五山僧「意図があるとすれば、という言い方はしてた」 林羅漢「一応保険はかけてらした」 家康「でもね、向こうから言ってるしね。ちょっとこれ大変なことだなぁ」 秀忠「だから! 秀頼さんというか だから! 豊臣家は小さくなるんですよ!」 家康「とんでもねぇ話だなぁこれぇ!?」 林羅漢「私は清韓にチャンスを与えた訳でしてね…」 秀忠「いやぁ!それを見事に蹴っ飛ばしましたね!」 家康「こんなの!許される訳ねぇに!決まってんだろ!」 林羅漢「これはもう間違いなく戦になりますね。 そして”徳川に責任はない”はずです。私は牽制

        家康「あの、これさ……『国家安康 君臣豊楽』……?」
      • 国家安康 - 国家鮟鱇

        このブログのタイトルは「国家鮟鱇」で、これはもちろん「国家安康」をもじったもの。 豊臣氏当時ものとしては梵鐘が残っているが、この鐘に刻まれた「国家安康」「君臣豊楽」の銘文(京都南禅寺の禅僧文英清韓の作)が徳川家康の家と康を分断し豊臣を君主とし、家康及び徳川家を冒瀆するものとみなされて、大阪の役による豊臣家滅亡を招いたとされる。 ⇒方広寺(ウィキペディア) 家康を呪詛したというのは、徳川方の言いがかりだというのが定説。しかし「国家安康」に「家康」という文字が含まれているのは事実。 これってどういうこと?というのが前々から疑問だった。同じ疑問を持っている人がいたようで、「教えて!goo」に、 「言いがかりをつけた」とか、「難癖をつけた」とか聞いていますが、それにしてもうまい具合に、家康という字と豊臣という字が入っているもんだとも思います。鐘の銘文なので、そんなにバリエーションがないとは思うので

          国家安康 - 国家鮟鱇
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