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考古の検索結果(絞り込み: 3 users 以上)3771 件中 1 - 40 件目

  • 350年前のスペイン難破船、宝物の山を発見

    350年前に沈没した難破船から宝石などさまざまな「宝物」が見つかった/ Courtesy The Bahamas Maritime Museum 海賊の伝説からハリウッド超大作にいたるまで、埋蔵された宝物や大昔の難破船の話は何世紀も人々を魅了してきた。だが、ある探検家チームにとっては伝説が現実になった。350年前に沈没したスペインのガレオン船から遺物の山を引き揚げると、そこにはかつて海洋の騎士たちが所有していた金貨や宝石や貴重な宝飾品が含まれていた。 1656年、「ヌエストラ・セニョーラ・デ・ラス・マラビーヤス(魅惑の貴婦人)」号は仲間の船と衝突した後、バハマ沖のサンゴ礁にぶつかって沈没した。船はキューバからスペインのセビリアへ、フェリペ4世へ税金として納める献上品など大量の宝を運んでいた。891トンの船は2年前に沈んだ別の沈没船から回収した宝を運ぶ任務も負っていたため、積荷はいつもより重

    350年前のスペイン難破船、宝物の山を発見
    • 内戦の傷伝える廃虚の村 スペイン

      スペイン内戦時の廃虚のまま残るアラゴン州ベルチテの元中心部(2022年7月8日撮影)。(c)CESAR MANSO / AFP 【8月7日 AFP】スペインの多くの村がそうであるように、北部アラゴン(Aragon)州のベルチテ(Belchite)も1936~39年の内戦で徹底的に破壊された。だが、今も内戦末期の姿をほぼとどめているのはこの村だけだ。 散乱するがれきの中に辛うじて立つ時計台、大聖堂に残る弾痕や迫撃砲の穴──。集団墓地で人骨を掘り起こしながら、考古学者のイグナシオ・ロレンソ(Ignacio Lorenzo)氏は「男性、女性、子どもも見つかっています」と言う。 「左派政党に投票したこと、あるいは組合に加入していたことが罪とされました」 ロレンソ氏のチームが発見した90人の遺骨の中には、手足を縛られたものや、拷問の痕が残るものもあった。 生存者の証言によると内戦初期、フランシスコ・

      内戦の傷伝える廃虚の村 スペイン
      • コインでしか知られていなかった失われた古代都市「ナトウニア」を山中で発見した可能性 : カラパイア

        最近、イラクのザグロス山脈で古代の山岳要塞が発見された。これこそが、失われた古代都市「ナトウニア」ではないかと、専門家たちが色めき立っている。 ナトウニアは、かつての重要な王立都市で、これまでは数枚のコインでしかその存在が知られていなかった。 この調査結果は、『Antiquity』誌(7月20日)に発表された。 広告 山中で発見された古代遺跡 近東考古学研究所のドイツ、ハイデルベルク大学のマイケル・ブラウン教授率いる考古学者チームは、イランの南西部からイラク、トルコそれぞれの国境線となる「ザグロス山脈」のピラマグラン山で、綿密な発掘とドローンを使った航空写真によるマッピングを行い、「ラバナ・メルクリ山岳要塞」を集中的に調査した。 ここは、およそ2000年前のパルティア帝国の中心地のひとつである。 この遺跡からは、全長4キロに及ぶ城壁だけでなく、兵舎らしき建物や、岩のレリーフ、宗教施設などが

        コインでしか知られていなかった失われた古代都市「ナトウニア」を山中で発見した可能性 : カラパイア
        • 雨が降った後だけ現れる古代人の足跡「ゴーストトラック」が発見される

          アメリカ・ユタ州にあるグレートソルトレイク砂漠にて、雨が降った後のみ見えるようになるという謎の足跡「ゴーストトラック」が発見されました。少なくとも1万2000年前の人類が残したものではないかと見られています。 Archaeologists discover more pieces of the ancient past on UTTR > Hill Air Force Base > Article Display https://www.hill.af.mil/News/Article-Display/Article/3104657/archaeologists-discover-more-pieces-of-the-ancient-past-on-uttr/ 'Ghost footprints' left by ancient hunter-gatherers discovered in

          雨が降った後だけ現れる古代人の足跡「ゴーストトラック」が発見される
          • “年間329日も出勤” 平城宮跡で女官の勤務評価の木簡出土|NHK 奈良県のニュース

            奈良市の平城宮跡から、奈良時代の女性の役人、女官の勤務評価を記した木の札、「木簡」が初めて見つかりました。 この女性は、年間329日も出勤していたということで、研究者は「奈良時代の女官の実態を知るうえで貴重な資料だ」としています。 木簡は、奈良時代の都の跡、平城宮跡のうち、天皇の住まいがあった「内裏」と呼ばれる区画に近い水路の跡で去年、見つかりました。 木簡の長さはおよそ17センチ、幅およそ3センチで、女性を意味する「牟須売(むすめ)」の文字と年齢を示す「年五十九(とし・ごじゅうく)」、年間の出勤日数とみられる「日参佰弐拾玖(にち・さんびゃくにじゅうく)」という文字などが墨で書かれていました。 調査にあたった奈良文化財研究所では、この木簡は、およそ1300年前の奈良時代前半のもので、記載内容から、宮廷につかえた女性の役人、女官の勤務を評価したものではないかと見ています。 女官の勤務評価を記

            “年間329日も出勤” 平城宮跡で女官の勤務評価の木簡出土|NHK 奈良県のニュース
            • 「竜脚類は植物食」歯化石の傷を立体分析、恐竜で初解明 早稲田大など | Science Portal - 科学技術の最新情報サイト「サイエンスポータル」

              竜脚類の恐竜が植物を食べていたことを、歯の化石の傷を立体的に分析して裏付けた。早稲田大学などの研究グループが発表した。これまでは歯や顎の形から推測されてきたが、岩手県久慈市で見つかった化石から、初めて客観的な証拠を得たという。食べ物で歯が摩耗した痕跡を3次元で調べる手法を、恐竜に初適用。恐竜の食べ物の物性を客観的に示したのは、世界初という。 竜脚類は首と尾が非常に長く四本足で歩く恐竜で、植物食と推定されてきた。ただ現在、似た形の動物がいないなどの事情で、決め手を欠いていた。 そこで研究グループは、食べ物により歯が擦れ、歯に微小な摩耗痕ができることに着目した。久慈市の中生代白亜紀の約9000万年前の地層から見つかった、竜脚類の歯の化石8本の先端の摩耗痕を、顕微鏡を使って立体的に測定。得られたデータを卵、肉、昆虫、植物、藻類、果実などさまざまな物を食べる現生のトカゲのものと比べ、食べ物の硬さを

              「竜脚類は植物食」歯化石の傷を立体分析、恐竜で初解明 早稲田大など | Science Portal - 科学技術の最新情報サイト「サイエンスポータル」
              • 熱波襲来の英国、隠れていた17世紀の庭園が出現 芝生が枯れ

                (CNN) このほど英国全土を襲った熱波の影響で、ダービーシャー州にある歴史的邸宅チャッツワース・ハウスの芝生が枯れ、17世紀に存在した観賞用庭園の遺構が現れた。邸宅を管理する団体が明らかにした。 同団体によると、観賞用庭園の輪郭は1699年にさかのぼるものだという。 史料の絵を見ると、当時は広大な庭園であったことが分かる。この庭園は1730年ごろに置き換えられた。 今後再び雨が降り、芝生が伸びるにつれ、庭の輪郭は少しずつ消えていく見通し。 同団体によると、チャッツワース・ハウスはデボンシャー公爵一家の自宅で、16世代にわたり受け継がれてきたという。

                熱波襲来の英国、隠れていた17世紀の庭園が出現 芝生が枯れ
                • 縄文時代は中国北部も温暖だった

                  中国の研究グループの発表によると、約8000年から5000年前までは、北京付近は暖かかった。 推計によると、1月の平均気温は現在より7.7℃も高く、年平均気温も3.5℃も高かった。 分析されたのは白洋淀(Baiyangdian)という北京近くの湖の湖底の地層だ。花粉などの堆積物を調べることで、当時の気温が推計できる。 図は、同様の複数の分析から得られたミズワラビの分布図。黄色の点が8000年前から5000年前にかけて分布していた場所で、点線が北限。同様に、赤色の点は現在の分布場所で、点線が北限。 ミズワラビは、熱帯にある水生植物で、気温が10℃以下になると成長を停止する。昔は、現在の中国南部のような温暖な気候が、黄河を超えて北京より北まで広がっていたことが分かる。

                  縄文時代は中国北部も温暖だった
                  • 干ばつのイタリア、川の水位低下で遺跡出現

                    イタリアでは一部地域がここ70年で最悪の干ばつに見舞われており、河川の水位が低下したことで、これまで水没していた考古学的な遺構や遺物が出現している。 同国北西部ロンバルディア州にあるポー川の支流オーリオ川では、干上がった川底から、紀元前2300~700年の青銅器時代の建築物の支柱が出現した。同州のコモ湖では、湖底から約10万年前の大型の鹿の頭蓋骨や、サイ、ハイエナ、ライオンの骨が発見された。 北東部エミリアロマーニャ州のポー川沿いにある野生生物保護区では、第2次世界大戦時に沈没した船2隻の残骸が現れた。ベネチアのジュデッカ造船所で建造されたもので、1943年にドイツの攻撃を受けて沈没していた。ポー川ではさらに、第2次大戦中の1944年に米国の爆撃により沈没した長さ55メートルの荷船も姿を現した。 ポー川の主要な支流の一つである北部ピエモンテ州のセージア川では、赤れんがの遺跡が水中から現れ、

                    干ばつのイタリア、川の水位低下で遺跡出現
                    • 「古代常陸の雄 三昧塚古墳」展 @明治大学博物館・お茶の水 - 墳丘からの眺め

                      7月23日土曜日、三昧塚古墳展を見に、明治大学博物館へ。 土曜日なので、古墳カレーの特別メニューがあるレストランはお休み。 土曜日は15時までと知らず、着いたのは閉館20分前ぐらいでした。 (月~金・10:00~17:00、土・10:00~15:00、日曜は8月7日以外休館。8月7日まで) 入館無料。撮影可。 三昧塚古墳の概要。 昭和30年(1955)に土取り工事の対象となり、トロッコで土砂を大量に運び出しているところを偶然に通りがかった県の文化財関係者が目撃、消滅前の緊急発掘調査が20日余りの期間で行われ未盗掘の石棺と大量の副葬品が出土。その成果により工事が中断され消滅を免れ、墳丘も復元整備されました。 自分が茨城県行方市の三昧塚古墳を訪ねたのは、古墳巡りを始めてすぐの2013年でした。 舟塚山古墳、府中愛宕山古墳、三昧塚古墳、富士見塚古墳 - 墳丘からの眺め 今回の展示は、その調査の様

                      「古代常陸の雄 三昧塚古墳」展 @明治大学博物館・お茶の水 - 墳丘からの眺め
                      • シベリアの古代のイヌ、人からもらって海洋生物を餌に 研究

                        仏西部ナント郊外の動物園で飼育されているオオカミの亜種、ホッキョクオオカミ(2020年5月6日撮影・資料写真)。(c)Loic VENANCE / AFP 【7月23日 AFP】シベリア(Siberia)のイヌは7400年前にはすでにオオカミに比べてかなり小型化し、魚や貝類、海洋哺乳類などを餌として人にもらうようになっていたとする論文が22日、米科学誌サイエンス・アドバンシズ(Science Advances)に発表された。 研究を主導したカナダ・アルバータ大学(University of Alberta)のロバート・ロージー(Robert Losey)氏は、人が狩猟や家畜の番、そりにイヌを使役するようになり、古代のイヌの数が増えたことの説明がつくと述べている。 同氏はAFPに対し「イヌの餌の長期的な変化は単純化されすぎてきた」と述べ、これまでの研究では、約4万年前にイヌがオオカミから分岐

                        シベリアの古代のイヌ、人からもらって海洋生物を餌に 研究
                        • 盛岡の遺跡にローマガラス 「薬師社脇」の土坑墓で東北初

                          盛岡市浅岸の薬師社脇遺跡の土坑墓から出土した「ガラス小玉」が、地中海周辺地域(当時は東ローマ帝国領内)で生産された「ローマガラス」だったと推定されることが、奈良文化財研究所の分析で明らかになった。同地域の特徴的な化学組成を示し、近畿地方では多く出土しているが、東北での確認は初めて。5世紀後半に海外交易の珍しい品が現在の本県まで届いていたことをうかがわせ、貴重な研究として注目されている。 分析したのは同研究所の田村朋美主任研究員(保存科学、文化財科学)。盛岡市遺跡の学び館が所有するガラス小玉7点を蛍光エックス線分析したところ、1点が地中海周辺地域特有の鉱物「ナトロン」を原料にした可能性が高いソーダガラスと推定した。 ガラス小玉は同市本宮の市遺跡の学び館で常設展示している。 ◇      ◇ 記事全文は、7月18日付の岩手日報本紙をご覧ください。

                          盛岡の遺跡にローマガラス 「薬師社脇」の土坑墓で東北初
                          • 古代ギリシャの鎧「リノソラックス」を完璧に再現しようとした研究者たちの苦労とは?

                            古代ギリシャで使用されていたとされる鎧(よろい)の一種「リノソラックス」は、紀元前8世紀ごろから存在が確認されているものの、現存する標本はほとんど残っていません。このリノソラックスに魅入られた学生たちがリノソラックスを完璧に再現しようとした時の苦労を、担当教授の妻が語りました。 Unraveling the linothorax mystery, or how linen armor came to dominate our lives | Johns Hopkins University Press Blog https://jhupress.wordpress.com/2013/04/24/unraveling-the-linothorax-mystery-or-how-linen-armor-came-to-dominate-our-lives/ ウィスコンシン大学グリーンベイ校で教

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                            • 平城京跡に奈良時代の基壇外装 全国でも希少な木製|奈良新聞デジタル

                              平城京跡で初めて確認された木製の基壇外装の痕跡。写真右側が基壇。左側には石敷きの痕跡もあった=奈良市法華寺町(奈良文化財研究所提供) 奈良市法華寺町の平城京跡で、外観を木材で装飾した奈良時代の基壇が見つかった。平城宮・京跡で木製の基壇外装が見つかるのは初めて。全国でも10例ほどしか確認されておらず、構造の一端も明らかになる貴重な成果だ。発掘調査をした奈良文化財研究所(奈文研)の「紀要2022」で報告された。

                              平城京跡に奈良時代の基壇外装 全国でも希少な木製|奈良新聞デジタル
                              • 呪術のためではない…? 奈良時代の桃の種の穴、ネズミの仕業か | 毎日新聞

                                奈良市の西大寺で大量に出土し、古代の呪術跡と考えられてきた奈良時代の桃の種(核)の穴が、実はネズミがかじった跡だった可能性が高いことが奈良文化財研究所の調査で分かった。一緒に8匹分の骨が見つかったネズミのうち、小型のアカネズミがクルミなどをかじった際にできる傷と大きさや形が酷似していたという。 西大寺で当時僧侶が食事を取った食堂(じきどう)院跡では、井戸から魚の骨や食器などが大量に見つかった。同じ井戸から出土した桃の種1700個のうち53個に穴が開いており、集中して見つかったことから、まじないや生薬となる核の中の種子を取った跡と考えられてきた。 奈文研の山崎健・環境考古学研究室長は穴の開いた種の少なくとも半分に、2本の線のような傷がついていることに着目。アカネズミがクルミをかじった際の傷と比べると、大きさや場所がほぼ共通することが分かった。今後は、他の骨から種が特定できたドブネズミにも桃の

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                                • 「人新世」人類繁栄した時代象徴する地層 別府湾に重要指標 | NHK

                                  人類が繁栄した時代を象徴する地層を選んで、地質学的に「人新世」という新しい時代区分にしようと、世界の候補地の調査が行われていて、日本の候補地である大分県の地層で、重要な指標になるとみられるごく微量のプルトニウムを検出できたと東京大学などのグループが発表し、選定されるための大きな前進だとしています。 「人新世」は、国際的な学術団体のグループが、人類の繁栄した時代を象徴する地層を選んで、地質学的な新たな時代区分にしようと、世界12か所の候補地から1か所を選ぶことになっています。 東京大学の横山祐典教授や愛媛大学などの研究グループは、日本の候補地である大分県にある別府湾の海底の地層を調べ、人類の活動の痕跡として、核実験によって全世界に降った、ごく微量のプルトニウムを検出できたと公表しました。 分析では、核実験が繰り返された1950年代の地層で、プルトニウムの濃度が上昇し、条約などで実験が制限され

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                                  • 古代ローマのモザイク画、新設博物館でお披露目 イスラエル

                                    イスラエル中部ロッドに新設された博物館で、ローマ時代のモザイク画の修復を行うイスラエル考古学庁の保存修復士(2022年6月27日撮影)。(c)MENAHEM KAHANA / AFP 【6月28日 AFP】イスラエル・テルアビブ近郊ロッド(Lod)で27日、古代ローマ時代のモザイク画を保存・展示する博物館がお披露目された。モザイク画は約10年にわたり、世界の主要な博物館で巡回展示されていた。 モザイク画は長さ約17メートル、幅約9メートル。1996年にベングリオン国際空港(Ben Gurion International Airport)にほど近いロッドで発見された。 3世紀後半から4世紀初頭ごろに邸宅の床に施されたものと考えられており、咆哮(ほうこう)するライオンや戦うゾウ、キリン、イルカ、果物、花かご、船などが描かれている。 イスラエル考古学庁(IAA)の考古学者によると、モザイクの様

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                                    • 古代ローマは大阪だった…?一家に一台ありがちな調理用具がポンペイ展で展示されている

                                      リンク 特別展「ポンペイ」 Special Exhibition POMPEII 公式サイト 特別展「ポンペイ」 Special Exhibition POMPEII 特別展「ポンペイ」 Special Exhibition POMPEIIの公式サイトです。2022年1月~12月の1年間、全国4会場巡回予定です。 2 users 1753

                                      古代ローマは大阪だった…?一家に一台ありがちな調理用具がポンペイ展で展示されている
                                      • イスラム教初期のモスク発見 地域宗教の移行に光 イスラエル

                                        イスラエル・ネゲブ砂漠のラハトで見つかった7世紀ごろのモスクの遺跡(2022年6月22日撮影)。(c)MENAHEM KAHANA / AFP 【6月25日 AFP】イスラエル南部ネゲブ砂漠(Negev Desert)で今週、7世紀ごろのモスクの遺跡が見つかった。同国の考古学者チームが発表した。周辺地域におけるキリスト教からイスラム教への移行に光を当てる発見だとされる。 イスラエル考古学庁(IAA)は、ネゲブ砂漠北部にある遊牧民ベドウィンの街ラハト(Rahat)で宅地開発の際に見つかった遺跡について、1200年以上前のものであるとの見解を示した。 遺跡には、四角い部屋と聖地メッカ(Mecca)の方角を向く壁があり、壁には南を示す半円のくぼみがあった。 また、モスクからほど近い場所で「豪華な建物」の跡も見つかった。IAAは、出土した食器やガラス工芸品から裕福な住人だったと考えられるとしている

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                                        • 800年前に沈んだ南宋の貿易船「南海1号」、貴重な積み荷が続々

                                          海底に眠る引き揚げ前の「南海1号」。(MARITIME SILK ROAD MUSEUM GUANGDONG) 1987年、英国の調査チームが中国側の当局と協力して、南シナ海で18世紀に沈没したオランダ東インド会社の船を探していた。ところが、チームが発見したのは、香港と広東省海陵島の間の海底に眠る全長約30メートルの「ジャンク船(中国の帆船)」で、12世紀の南宋時代の貿易船だった。 1127年、華北の支配権を失った宋は南に退き、皇帝は臨安(現在の杭州)に新しく首都を定めて南宋を興した。南宋は安定し、隆盛を極めた。

                                          800年前に沈んだ南宋の貿易船「南海1号」、貴重な積み荷が続々
                                          • 古代エジプトのミイラに謎の民エトルリアの文字、衝撃の発見録

                                            「ザグレブの亜麻布の書」に記されたエトルリア文字。書はのちに細く裂かれ、エジプトのミイラを包むのに使われた。(COURTESY OF THE ARCHAEOLOGICAL MUSEUM OF ZAGREB, PHOTOGRAPH BY IGOR KRAJCAR) 1868年、クロアチア(当時はオーストリア・ハンガリー帝国の一部)のザグレブ博物館が、古代エジプトの女性のミイラを手に入れた。ミイラを包んでいた布は前の所有者によってほどかれていたが、ミイラと一緒に引き渡された。 ミイラになった女性は王族や聖職者ではなく、一般人だった。しかし、彼女を包んでいた亜麻布には、非常に興味深い謎があった。亜麻布に書かれていた文字が、エジプトの象形文字(ヒエログリフ)ではなかったのだ。文字の正体は、布を調べたドイツのエジプト学者ハインリッヒ・ブルクシュにもわからなかった。 23年後の1891年、博物館は、こ

                                            古代エジプトのミイラに謎の民エトルリアの文字、衝撃の発見録
                                            • ローマの墓を掘ったら立派なお魚フライが発掘された→9ヶ月の修復作業。正体は当時の「ステータスシンボル」だった

                                              Hiroko Miyamoto @HirokoMiyamoto7 9ヶ月の修復作業の前と後。ドイツの考古学者が発見した(2019年)錆びた短剣は2000年前、ローマの兵士の墓で発見した銀の短剣になります。Smithsonian pic.twitter.com/rzsWRXBKks 2022-06-20 06:06:05

                                              ローマの墓を掘ったら立派なお魚フライが発掘された→9ヶ月の修復作業。正体は当時の「ステータスシンボル」だった
                                              • 「英国の歴史変えた」340年前の沈没船を発見、未来の国王が乗船

                                                リンカーン・バーンウェル、ジュリアン・バーンウェル兄弟は2007年にH.M.S.グロスター号を発見したが、ずっと秘密にされていた。「ある日、潜ってみると、海底に大砲が散乱していたのです」とリンカーンさんは振り返る。「忘れられない光景です」(PHOTOGRAPH COURTESY NORFOLK HISTORIC SHIPWRECKS) のちに英国王ジェームズ2世となるヨーク公を乗せて340年前に難破した英海軍のH.M.S.グロスター号を発見したと、英イーストアングリア大学の研究者らのチームが6月10日に発表した。 「文字通り、歴史を変えるきっかけになった沈没船です」と、海事の歴史を専門とする同大学のクレア・ジョウィット氏は語る。未開封のワインボトルなどがすでに見つかっており、優雅な旅と歴史を物語る遺物の発見への期待が高まっている。 1682年、50門の大砲を備える英海軍のフリゲート、グロス

                                                「英国の歴史変えた」340年前の沈没船を発見、未来の国王が乗船
                                                • 黒死病の起源特定 600年以上の謎、DNA分析で解明

                                                  キルギス北部の湖イシク・クル近くに1338年か39年に埋葬された人の墓碑。「疫病で死亡」と書かれている(2022年6月14日提供)。(c)AFP PHOTO / A.S. LEYBIN 【6月17日 AFP】14世紀に流行した黒死病(ペスト)の起源をキルギスの一地域に特定したとする研究論文が15日、英科学誌ネイチャー(Nature)に掲載された。 黒死病は、500年近く続いたペストの世界的流行の第1波につけられた名称で、1346~53年のわずか8年間で欧州と中東、アフリカの人口の最大6割が犠牲になったと推定されている。発生源ははっきりせず、数世紀にわたり議論が続いていた。 論文を発表した研究チームの一員で、英スターリング大学(University of Stirling)の歴史学者であるフィリップ・スラビン( Philip Slavin)准教授は、現在のキルギス北部にある14世紀の墓地につ

                                                  黒死病の起源特定 600年以上の謎、DNA分析で解明
                                                  • 中国の三星堆遺跡で新発見 祭祀坑は商王朝末期のもの

                                                    【6月14日 CGTN Japanese】中国南西部、四川省(Sichuan)にある謎めいた三星堆(Sanxingdui)遺跡で13日午前、考古発掘の新たな成果が発表されました。三星堆祭祀(さいし)坑の年代が確認され、年代が少し後の五号坑と六号坑を除く祭祀坑の埋蔵年代はほぼ一致しており、中国2番目の王朝である商王朝の末期、今から約3200~3000年前のものであることが分かりました。これにより、三星堆遺跡が所属する古蜀文明は中華文明の重要な一部であることが確認されました。 中国考古学会の理事長・王巍(Wan Wei)氏によりますと、三星堆遺跡から出土した200余りの標本に対する年代測定によって、商王朝末期のものだと確定されました。当時は中華文明の青銅文明が非常に盛んな時期でした。商王朝は「殷商」とも呼ばれ、「司母戊大方鼎(后母戊鼎)」などの青銅器が盛んに鋳造されましたが、三星堆遺跡の青銅器

                                                    中国の三星堆遺跡で新発見 祭祀坑は商王朝末期のもの
                                                    • アフリカの「失われた古代都市」4選、いったい何が起きたのか

                                                      ギザのピラミッドやテーベの神殿は、かつてのアフリカにおける古代都市の繁栄を雄弁に物語る。一方で、繫栄していたにもかかわらず、歴史の表舞台から消えてしまった都市もあった。この記事では現在のエジプト、スーダン、マリにある4つの「失われた古代都市」を、ナショナル ジオグラフィック別冊『古代の都市 最新考古学で甦る社会』から紹介する。いずれも現代の考古学者が再発見するまで、長く歴史に埋もれていた。 栄華を極めた港トロニス=ヘラクレイオン(エジプト) 古代エジプトの都市トロニス=ヘラクレイオンは、近年発見された「失われた都市」の代表格だ。エジプト人からは「トロニス」、ギリシャ人からは「ヘラクレイオン」と呼ばれたこの港町は、交易と文化の一大拠点として栄え、その後1000年以上にわたり姿を消していた。 引き揚げる前のファラオ像を調べる考古学者フランク・ゴディオと、その水中探査チーム。(Photograp

                                                      アフリカの「失われた古代都市」4選、いったい何が起きたのか
                                                      • 約3400年前の“王国の遺跡”が突如出現! 歴史的発見に

                                                        10日にSNSで急上昇し、番組が注目したワードは「古代都市出現」です。3400年ほど前に栄えた王国の遺跡がある理由で突如姿を現して、注目を集めています。一体、どういうことなのでしょうか。 イラクのクルディスタン地方で撮影されたおよそ3400年前の古代都市は元々、チグリス川の中にありましたが、突如として出現したのです。 発掘現場からは陶器の器…。さらに、くさび形文字が刻まれた100枚以上の粘土板などが発見されました。これらは紀元前1550年から栄えたミタンニ帝国の時代のものだといいます。 国士舘大学・21世紀アジア学部附属イラク古代文化研究所、小口裕通さん:「ミタンニというのは北イラク、北シリア、トルコも含めて、あと地中海、東地中海方面も含めてかなり広大な領域を持って、支配していた王国」 発掘したドイツ人らの考古学者のチームによると、この遺跡は高層の建物や宮殿などで構成された古代都市だといい

                                                        約3400年前の“王国の遺跡”が突如出現! 歴史的発見に
                                                        • 古代ローマの「精巧なペニスのペンダント」が見つかる

                                                          by The Portable Antiquities Scheme 西暦42年から410年頃に作られたとみられる銀製の男根型ペンダントが、イギリスのケント州で発見されました。このペンダントは災難から身を守るために首からさげられていたようです。 Record ID: PUBLIC-E168F3 - ROMAN pendant https://finds.org.uk/database/artefacts/record/id/1035209 Metal detectorist in UK finds ancient Roman penis pendant | Live Science https://www.livescience.com/roman-penis-pendant-found-uk 発見されたペンダントは長さ約3.1cm、幅約1.2cm、厚さ約0.9cmで、重さは9.7gです。

                                                          古代ローマの「精巧なペニスのペンダント」が見つかる
                                                          • 気候変動による干ばつで、3400年前の古代都市が再び出現…イラク、チグリス川で

                                                            水没していた青銅器時代の建造物が、干ばつにより川の水位が下がったことで姿を現した。 Universities of Freiburg and Tübingen, KAO 極度の干ばつでチグリス川の水位が下がり、約3400年前の都市が出現した。イラクはここ数カ月の間、気候変動による干ばつに見舞われている。考古学者たちは、気候変動によって露出したり破壊されたりした遺物の保存を急いでいる。気候変動が引き起こした深刻な干ばつによってイラクの青銅器時代の古代都市が姿を現し、これによって調査する機会が得られたと研究者らが2022年5月30日に発表した。 イラクのクルディスタン地方では、2021年12月にこの地域を襲った干ばつから農作物を守るために、チグリス川の貯水場から大量の水が汲み上げられた。そのため水位が下がり、川沿いにある3400年前の古代都市の建造物が再び姿を現した。 国連によると、イラクは世

                                                            気候変動による干ばつで、3400年前の古代都市が再び出現…イラク、チグリス川で
                                                            • 粒のままの小麦は本当にまずいのか?食べてみる

                                                              「小麦は粒のままでは食べられないため、粉にして食べる」というのは、わりと有名な話のようだ。 例えば『コムギ粉の食文化史』では「粒のまま食べても食味はきわめて悪い」などとはっきり書かれている。 小麦の栽培が始まる前から、人類は野生の小麦を粉にして食べていたというくらいだ。 でも本当に、食べられないほどのまずさなんだろうか。 本当に、本当なのか。 炊飯器や圧力鍋といった文明の利器を使って試してみたい。 また、調子にのってスペルト小麦(古代小麦)、大麦、ライ麦、エンバクも同様に試してみたい。 「小麦粒」に初めてのご対面 「玄小麦」という名前で売られていた 今回買ったのは「きたほなみ」という種類。中力粉になるうどん用の小麦で、日本産小麦では最も生産量の多い品種だそうだ。 これが、 これになるのだ 今朝もうどんを食べたのだが、初めて見る小麦粒にはけっこうな感動があった。 白米、玄米と比べてこの色の濃

                                                              粒のままの小麦は本当にまずいのか?食べてみる
                                                              • 特別展「大勾玉展-宝萊山古墳、東京都史跡指定70周年-」のご案内

                                                                今年、大田区宝萊山古墳は東京都の史跡に指定されてから70周年、多摩川台公園古墳展示室は開室30周年を迎えました。宝萊山古墳は古墳時代前期(約1700年前)の前方後円墳で、全長約100mと関東では有数の規模を誇り、ヒスイ製の勾玉が4点出土しています。 勾玉は、その独特な形から現在でも多くの人々に人気がありますが、その歴史は古く、時代と共に変化を遂げてきました。今から約7000年前の縄文時代に誕生し、弥生時代になると形が定まり、古墳時代には最も盛んに作られ、奈良時代以降は急激に衰退していきます。 また、近年の玉研究の進展により、生産や流通など様々なことがわかるようになってきましたが、勾玉にはまだ謎が多く残されています。 今回の特別展では、大田区で出土した勾玉のルーツに迫るため、全国各地から約1500点の勾玉を一堂に集めました。各時代を代表する著名な勾玉とともに、研究史上、重要な勾玉や、本邦初公

                                                                • 王家の墓、骨持ち去りは「学問の名による暴力」 識者に聞く研究倫理:朝日新聞デジタル

                                                                  交論 骨から考える沖縄 沖縄では、先祖の骨が神として大切にされてきた。だが1世紀前に本土の学者が持ち去ったままの王家の墓の骨をめぐり、沖縄の人たちが返還を求める訴訟が現在も続いている。遺骨と研究の関係性をどう考えればいいのか。文化人類学者の池田光穂さんに聞いた。

                                                                  王家の墓、骨持ち去りは「学問の名による暴力」 識者に聞く研究倫理:朝日新聞デジタル
                                                                  • 完全な太鼓の埴輪が出土、全国初 奈良、古代から形変わらず | 共同通信

                                                                    いま支援が必要なアスリートがいる──そのために、想いをカタチにして直接アスリートへ届けるためのクラウドファンディングがあります。 奈良県田原本町の宮古平塚古墳(6世紀前半)から完全な形の太鼓形埴輪が出土し、同町が30日発表した。町によると、太鼓単体を表現した埴輪はこれまでに3例確認されているが、完全な形が残っているのは全国初で最古級。町文化財保存課の渡瀬加奈子技師は「現代と変わらない当時の太鼓の形が分かる貴重な史料だ」と話した。 見つかった埴輪は横置きで長さが28センチ、直径17.5センチの太鼓面が両面にあり、革を留めるびょう(直径1.5~2センチ)や、革の端を表現した線もあった。 太鼓形埴輪は31日~8月31日、唐古・鍵考古学ミュージアム(田原本町)で無料展示する。

                                                                    完全な太鼓の埴輪が出土、全国初 奈良、古代から形変わらず | 共同通信
                                                                    • 水の中のタイムカプセル『世界の水中遺跡』

                                                                      水の中には、すごい遺物が眠っている。 考えてみてくれ、地球の大部分は水に覆われている。しかも、風雨にさらされ、人が歩き回る地表と比べ、水の底は安定している。そう考えると、人の手が届きにくく、探し当てられなかっただけで、水中には数多くの遺物・遺跡があるはずだ。 それが、最新技術のおかげで、そうした遺跡が続々と見つかっている。『世界の水中遺跡』では貴重な画像とともに紹介している。 縄文時代の貝塚(当時の有機物が残存している状態) ヒエログリフが刻まれた紀元前300年の石碑 古代ギリシャの暦の計算装置(アンティキセラ装置) 元寇のモンゴル兵が用いた火薬兵器 中世のヴァイキング船が丸ごと 縄文時代の有機物が大量に残っているのは、琵琶湖の粟津湖底遺跡だ。何千年も前なのに、なぜそんなに保存状態が良いのか? 遺跡の上には粒子の細かな粘土やシルトが積み重なっており、空気と遮断されていたためだという。 砂や

                                                                      水の中のタイムカプセル『世界の水中遺跡』
                                                                      • 縄文土器から穀物 「弥生」論争波及も 熊本大・小畑教授|熊本日日新聞社

                                                                        熊本大大学院人文社会科学研究部の小畑弘己教授(考古学)らは25日、約3千年前の縄文時代末期にアワなどの穀物が渡来していたことが分かったと発表した。穀物は縄文土器から見つかり、「同時期にイネも来ている可能性が高い。弥生時代の定義の見直しにも波及する可能性がある」としている。 定説では日本での穀物栽培は弥生時代早期に始まったとされるが、詳しい年代は議論が続いている。これまで「縄文時代に始まった根拠」と主張された炭化した米などもあったが、年代測定の結果、後代のものが混入していたことが判明。縄文時代の穀物の存在は十分に立証できていなかった。 小畑教授らは、江辻遺跡(福岡県粕屋町)から出土した縄文時代末期の土器を調査。破片の内部に残る炭化したアワをエックス線CTなどで検出した。取り出して年代を測ると、これまで弥生時代で最も古いとされる炭化した米より、約50~80年さかのぼる結果が出た。 小畑教授は縄

                                                                        縄文土器から穀物 「弥生」論争波及も 熊本大・小畑教授|熊本日日新聞社
                                                                        • アマゾン奥地でこれまで知られていなかった「古代都市」の遺跡を上空からのLIDAR調査で発見

                                                                          南アメリカ・ボリビアの熱帯雨林に覆われた「古代都市」の存在が、ヘリコプターに搭載したレーザースキャナーを用いたLight Detection and Ranging(光検出と測距/LIDAR)による調査で明らかになりました。古代都市を建設した人々はかなり高い文明を持っており、巨大なピラミッドを中心に道路や運河のネットワークを築き、農耕や魚の養殖を行っていたとみられています。 Lidar reveals pre-Hispanic low-density urbanism in the Bolivian Amazon | Nature https://doi.org/10.1038/s41586-022-04780-4 Large-scale early urban settlements in Amazonia https://doi.org/10.1038/d41586-022-01367

                                                                          アマゾン奥地でこれまで知られていなかった「古代都市」の遺跡を上空からのLIDAR調査で発見
                                                                          • 人文学部歴史学科の桃﨑教授が展示企画「アジアを変えた鉄」で研究成果を発表しました

                                                                            1月18日(火)~3月13日(日)、九州国立博物館で企画展示「アジアを変えた鉄」が開催されました。これは福岡大学人文学部歴史学科の桃﨑祐輔教授が代表とする研究チーム科学研究費で進めているプロジェクトの成果発表となりました。研究内容、今後の目標などについて、桃﨑教授に話を聞きました。 −企画展示「アジアを変えた鉄」について教えてください この企画展では、日本国内の中世遺跡で出土する「棒状鉄素材」に着目しました。これを農具(馬鍬)や釘とみる説と、鉄素材(インゴット)とする説の間で論争が続いていました。私は鉄素材説の立場で、中国の鉄鍋や鉄塊を日本に輸入し、棒状に加工して流通商品にしていたと考えていました。ところが2018年、北京での在外研究中に、棒状の鉄製品が中国から東南アジアへの航海中に沈んだ沈没船から束にした状態で数10~100トンも発見されていることを知って衝撃を受け、論文を書いた中国人の

                                                                            人文学部歴史学科の桃﨑教授が展示企画「アジアを変えた鉄」で研究成果を発表しました
                                                                            • 奈良文化財研究所 「木簡」研究で中国の研究機関と協定|NHK 奈良県のニュース

                                                                              文字が書かれた木の札、「木簡」の研究について奈良文化財研究所は中国の研究機関と協力していくことになりました。 文字が書かれた木の札、「木簡」は県内では奈良時代の都、平城京の遺跡などから大量に出土し、当時、政治を行う際のメモ書きや連絡などのために使用されていたことがわかっています。 平城京などの調査を行ってきた奈良文化財研究所では木簡の研究をさらに進めるため、中国の政府系のシンクタンク、中国社会科学院の研究所と協力していくことになりました。 24日はオンラインで調印式が行われ、互いの代表が議定書にサインしました。 中国社会科学院の研究所は中国の木簡にあたる簡牘の研究が盛んで、日本の木簡は簡牘が元になっているとされています。 2つの研究所では、今後、研究の成果や研究方法の共有、それに人材育成などについて協力していくということです。 奈良文化財研究所の本中眞所長は「漢字が生まれた中国と、漢字文化

                                                                              奈良文化財研究所 「木簡」研究で中国の研究機関と協定|NHK 奈良県のニュース
                                                                              • 1万年以上前に人類が残した世界最古の石像がトルコ東部で複数発見されている

                                                                                古代の遺跡といえばギザの大ピラミッドやストーンヘンジなどが有名です。作家のショーン・トーマス氏は1万1000年~1万3000年前というピラミッドやストーンヘンジよりはるか以前に作られたとされる複数の石像がトルコの東部で発見されたと報告しています。 Is an unknown, extraordinarily ancient civilisation buried under eastern Turkey? | The Spectator https://www.spectator.co.uk/article/does-an-unknown-extraordinarily-ancient-civilisation-lie-buried-under-eastern-turkey- トーマス氏が報告している古代遺跡はトルコ東部のシャンルウルファ県で発掘されたもので、「Karahan Tepe」と

                                                                                1万年以上前に人類が残した世界最古の石像がトルコ東部で複数発見されている
                                                                                • 西欧系人骨 南城の古墓群に 1400~1600年代、風葬か

                                                                                  【南城】南城市玉城富里にあった風葬墓「神(かん)座(ざ)原(ばる)古墓群」の調査をしている土井ヶ浜遺跡・人類学ミュージアム(山口県)の松下孝幸館長らの研究チームは20日、同市役所で会見した。古墓群から出土した骨を納める納骨堂の古い人骨78体を調査したところ、西ヨーロッパ・中央アジア由来と朝鮮半島由来のDNAを持つ人骨2体があったと明らかにした。人骨はグスク時代後期から琉球王朝前期(1400~1600年代)にかけてのもので、西ヨーロッパ・中央アジア由来の人骨が確認されたのは県内初とみられる。 放射性炭素年代で分かった人骨の時期は、琉球王朝時代やそれ以前の海外と交易していた時期に重なる。 松下館長は「当時の琉球人はモノによる交易だけではなく、異国の人を排除せずに受け入れ、家族を形成するなど、多様性のあるコミュニティーを形成していたと思われる」と話した。 神座原古墓群は1992年に商業施設の建設

                                                                                  西欧系人骨 南城の古墓群に 1400~1600年代、風葬か