<監督の田中登は絶対に生を否定しない。あいりん地区の季節労働者たちと娼婦の主人公。登場する女や男たちはとにかく生きることに前向きで...> ニューヨーク・タイムズがベトナム戦争の米機密文書ペンタゴン・ペーパーズを掲載し、連合赤軍が榛名山の山岳ベースで同志たちの殺戮を始めた1971年。日活は業績悪化の打開策として、ロマンポルノ路線に舵を切った。つまり成人映画。この時期に中学生だった僕は、さすがにリアルタイムには観ていない。 でも大学に入って映画研究会に所属してからは、都内の名画座に通い続けて、かなりの数のロマンポルノを観た。ロマンポルノの条件は「10分に1回の濡(ぬ)れ場があること」と「尺は70分前後であること」。それさえ守れば、監督たちは自由に作ることができた。だからこの時期、神代(くましろ)辰巳や曽根中生など既に大御所となっていた監督だけではなく、石井隆や金子修介、崔洋一に周防正行、相米