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釜ヶ崎の検索結果1 - 17 件 / 17件

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釜ヶ崎に関するエントリは17件あります。 大阪社会福祉 などが関連タグです。 人気エントリには 『釜ヶ崎の労働者は外国人も非合法も同一賃金や。破る業者は許さん(吉岡基さん)|ニッポン複雑紀行』などがあります。
  • 釜ヶ崎の労働者は外国人も非合法も同一賃金や。破る業者は許さん(吉岡基さん)|ニッポン複雑紀行

    午前5時。大阪、釜ヶ崎。 日本最大の「寄せ場」があるこの街では、今も陽が登る前から労働者と手配師の間で仕事の交渉が行われている。昨日も、今日も、明日も。多くの人々がまだ寝ているうちに、日雇い労働者たちは行動を開始する。今日の賃金を稼ぎ、今日の生活を続けていくために。 (寄せ場:日雇い労働者の「寄り場」を中心とする居住まで含んだ生活拠点地域/寄り場:求人・求職活動の実際の拠点) 手配師が乗るバンが集まり、労働者たちと交渉を始める。釜ヶ崎は大阪市西成区の北端にある 「はい車通りまーす!」 労働者を集める求人車両が「寄り場」に入ってくるたび、蛍光色の上着に身を包んだ吉岡基さんが大きな声をあげる。彼が声をあげると、同じ安全誘導作業の仕事をしている労働者たちも、彼に続いてやまびこのように繰り返す。 「車通りまーす」 「車行きまーす」 「バックで入りまーす」 釜ヶ崎の寄せ場を「過去の歴史」と見る方もい

      釜ヶ崎の労働者は外国人も非合法も同一賃金や。破る業者は許さん(吉岡基さん)|ニッポン複雑紀行
    • 釜ヶ崎のレジェンドが語る「大阪・西成」50年のリアル。治安、労働、福祉…実は”どんな人も排除しない町”だった - イーアイデム「ジモコロ」

      「阿部さん、今回は僕の地元・大阪にある西成区・釜ヶ崎エリア(以下、西成)へ向かいます」 「あー、20年前に一度ゲストハウスに泊まったことがあります。ちょっと雰囲気的に怖かった記憶が……」 「過去に暴動があったのは事実です。大阪で生まれ育っても怖いイメージは残っています。ただ、ここ数年で町が大きく変わろうとしているんですよね」 「なるほど。ところでピンクの髪の方は…?」 西成で暮らし、町の観察を続けてきて早50年 水野阿修羅(みずのあしゅら)さん 水野阿修羅(みずのあしゅら)。1949年生。大阪市西成区在住。1970年に開催された大阪万博を機に、仕事を求めて釜ヶ崎へと移住。以来、建設業・運送業を中心に45年間日雇い仕事に従事。その傍ら、88年に外国人支援組織「アジアン・フレンド」を立ち上げ、アジアからの出稼ぎ労働者問題に関わるようになる。91年にはメンズリブ研究会、98年にはメンズサポートル

        釜ヶ崎のレジェンドが語る「大阪・西成」50年のリアル。治安、労働、福祉…実は”どんな人も排除しない町”だった - イーアイデム「ジモコロ」
      • 【アウトロー探訪】大阪の西成区・あいりん地区(釜ヶ崎)潜入レポート - 日常にツベルクリン注射を‥

        【アウトロー探訪】シリーズは、シャレにならないくらいアウトローな場所や人物を私ツベルクリンが取材したシリーズ記事です。今回は、大阪市内の西成区にあるあいりん地区(釜ヶ崎)に潜入してきました。 そもそもアウトローとは、「ロー(法律)」をアウトしている、言うなれば無法地帯とか無法状態ってことです。日本は法治国家ですから、基本的には無法地帯は存在しないのです。 ただ、日本には一か所、ガチ無法地帯が存在します。大阪府の西成(にしなり)区にある「あいりん地区」です。 あいりん地区、昔は「釜ヶ崎(かまがさき)」って言われてました。どんな場所かまとめると 日雇い労働者の街 ホームレスの人々が多く住む 覚醒剤が手に入りやすい(らしい) 平成になってから暴動が起きた とにかくアウトロー。大阪人でも近付かない 物価が崩壊している 宿泊施設の料金が安いので、最近は海外から来たバックパッカーの巣窟になっている 今

          【アウトロー探訪】大阪の西成区・あいりん地区(釜ヶ崎)潜入レポート - 日常にツベルクリン注射を‥
        • 釜ヶ崎におけるジェントリフィケーションと強制立ち退きについての問題提起|原口 剛

          現在、釜ヶ崎のあいりん総合センターの周辺で生活する野宿者や、かれらを支援するために設置された団結小屋に対し、強制立ち退きの危機が迫っています。この動きへの対抗として、筆者は、西成特区構想の有識者委員一同による文書への批判を執筆しました。執筆の目的は裁判の場にて活用できることですが、同時に、有識者委員の議論に批判的に応答することや、幅広い関心と議論を喚起することをめざしました。ここに、本意見書を公表します。ぜひご一読ください。(原口 剛) <参考> 「あいりん総合センター閉鎖(建替)に伴う現況に関する私たちの見解:取組みの経緯や問題点の整理」(2019 年 6 月 3 日 西成特区構想有識者委員一同)https://www.city.osaka.lg.jp/nishinari/cmsfiles/contents/0000474/474880/07siryou4.pdf 『西成特区構想 まちづ

            釜ヶ崎におけるジェントリフィケーションと強制立ち退きについての問題提起|原口 剛
          • 私を憲法学者にした「ドヤ街の怒り」 大阪・釜ヶ崎の遠藤比呂通弁護士が現場に生きる理由 - 弁護士ドットコムニュース

              私を憲法学者にした「ドヤ街の怒り」 大阪・釜ヶ崎の遠藤比呂通弁護士が現場に生きる理由 - 弁護士ドットコムニュース
            • 【最終話】私が釜ヶ崎から去った理由 - 釜ヶ崎と女子大生。

              このブログを初めて読む人へ こんにちは、はじめまして。いつも読んでくださっていた方は、お久しぶりです。 このブログを読む人は、きっと何かの縁があって釜ヶ崎に興味を持たれたのでしょう。このブログは、私が大学院生だった2016年11月から、2017年10月頃まで釜ヶ崎に通って、見たり聞いたりしたことをまとめた記録です。 当事の釜ヶ崎の姿を発信したいという気持ちで始めたブログですが、この4年間で15万人近くの人が見てくれました。本当に有難いことです。 あれから月日が経ち、私は大学院を修了し、社会人になりました。そして、2020年になった今は、もう以前のように釜ヶ崎には通っていません。 もう"大学生"ではないのだから、そして釜ヶ崎には通わなくなったのだから、ちゃんとブログを一区切りつけなければ・・・と長年思っていました。今日が、その時です。 私が釜ヶ崎から去った日 初めに伝えたいことは、私が釜ヶ崎

                【最終話】私が釜ヶ崎から去った理由 - 釜ヶ崎と女子大生。
              • かつての労働者の街が…大阪・釜ヶ崎「LGBTQ高齢者の介護や就労支援の最前線になった」深い背景(FRIDAY) - Yahoo!ニュース

                今、大阪市西成区にある「釜ヶ崎(あいりん地区)」が、LGBTQの高齢者の介護や、障害者就労支援の〝前線〟となっていることを知っているだろうか。 【これは…】すごい!山口組若頭「髙山清司」出所 グリーン車1両貸し切り「VIP」写真 かつて日本でも労働者の多い地区として知られた街が、LGBTQの介護者が高齢者のLGBTQの人々を支えたり、高齢の障害者が就労支援でクラフトビールを売ったりする場となりつつあるのだ。社会から外れた高齢者の実態を追うルポ『無縁老人』(石井光太、潮出版社)からその実情を紹介したい。 「釜ヶ崎」と聞けば、中高年層なら、「日雇い労働者が集まる街」というイメージを抱く人も少なくないだろう。若い世代には、「ホームレスの人たちが集まるカオスの街」というイメージかもしれない。 釜ヶ崎は、高度経済成長期から1970年代にかけて簡易宿泊所が集まる「ドヤ街」として栄えた。 当時の日本では

                  かつての労働者の街が…大阪・釜ヶ崎「LGBTQ高齢者の介護や就労支援の最前線になった」深い背景(FRIDAY) - Yahoo!ニュース
                • 【釜ヶ崎の宿キング】高層ホテル、コンビニ、食堂…「地元のおっちゃんのため」に街を変えた男 - イーアイデム「ジモコロ」

                  こんにちは、ライターの阿部です。 今、目の前で語られている話のスケールがデカすぎて笑ってます。 だって…… 30歳で数億円の借金を背負って高層ホテルを購入し、 時代に先駆けてホームページを作成して海外からお客さんを呼び込み、 蓄積したノウハウをシェアして地域全体で観光を盛り上げ、 最終的には年間に50万人が訪れる街になった っていうんですもん。 事業を通じて街の姿すら変えてしまったというダイナミックなエピソードが次々と飛び出すので、もう笑うしかありませんでした。 そんなお話を聞かせてくださったのが、こちらの方。 大阪にあるホテル中央グループの会長・山田純範さんです。 取材後には編集部一同が“釜ヶ崎の宿キング”と仰ぐことになった山田さん。豪快なエピソードの裏には、地元愛と「地元のおっちゃん」たちへの思いが溢れていました。 話を聞いた人:山田純範さん 宿泊事業者として創業100年以上の歴史を持

                    【釜ヶ崎の宿キング】高層ホテル、コンビニ、食堂…「地元のおっちゃんのため」に街を変えた男 - イーアイデム「ジモコロ」
                  • 「開けないのなら5分後にドアを爆破する」違法賭博が白昼堂々行われる釜ヶ崎で起きた事件 | 文春オンライン

                    新宿歌舞伎町の通称“ヤクザマンション”に事務所、そして大阪府西成に居を構え、東西のヤクザと向き合ってきたからこそ書ける「暴力団の実像」とは――暴力団との関係が色濃い西成という街について、著作『潜入ルポ ヤクザの修羅場』(文春新書)から一部を抜粋する。 ◇◇◇ 釜ヶ崎の危険エリア 西成のもう一つのエリア――飛田新地の西側にある通称・釜ヶ崎(あいりん地区)の取材は、ひたすら足を運んだ。ここでは違法・合法問わず、あらゆるものが販売されていた。週末の泥棒市程度なら、観光ついでに出かけても、そう問題は起きないだろう。ただしこのあたりも写真は御法度である。すぐあちこちから怒鳴られる。かなりの確率でトラブルになる。 JR新今宮駅近くのハローワークあいりん労働(通称・センター)からちょっと入った場所では、向精神薬や睡眠薬、覚せい剤や麻薬などがおおっぴらに売買されていた。朝早くの時間は、煙草が1割引で車上販

                      「開けないのなら5分後にドアを爆破する」違法賭博が白昼堂々行われる釜ヶ崎で起きた事件 | 文春オンライン
                    • 釜ヶ崎(新今宮)とは何か?木賃宿から日雇い労働者の寄せ場、福祉の町まであいりん地区の歴史 | The HEADLINE

                      公開日 2021年05月04日 19:57, 更新日 2023年09月19日 19:39, 有料記事 / 社会問題・人権 4月7日、大阪市の「新今宮エリアブランド向上事業」の一環として、ライターのしまだあや氏が電通関西支社から依頼を受けた記事「ティファニーで朝食を。松のやで定食を。」を公開した。しかし本記事は批判を集め、しまだ氏は謝罪記事を公開して、今後の対応を検討中だと明らかにした。 今回問題となったのは、大阪市西成区に位置する通称「釜ヶ崎」と呼ばれるエリアだ。この地域を訪れたしまだ氏は、大衆酒場の男性から奢ってもらったことで、街に「借りを返す」ために、様々な人と出会う様子が描かれる。 記事の問題点については様々な指摘があり、例えば「ホームレスとデートの記事の残酷さ~貧困消費と感動ポルノ~」や「『新今宮のホームレスとデートする』記事は何が問題なのか」などがあるが、そもそも発注者側の行政や

                        釜ヶ崎(新今宮)とは何か?木賃宿から日雇い労働者の寄せ場、福祉の町まであいりん地区の歴史 | The HEADLINE
                      • 中島敏フォトアーカイブ・解題 – 釜ヶ崎の記録は数多く存在するが、中島敏の写真には 他にはみられない特異性がある。

                        釜ヶ崎の記録は数多く存在するが、中島敏の写真には 他にはみられない特異性がある。 まず、記録の期間である。中島さんの写真は、初期のものは1960年代末、最新のものは2010年代にまで至る。これだけの長い期間にわたり、ひとりの記録者が釜ヶ崎を撮影しつづけた写真群は、ほかにはない。これらの写真は、’60年代、’70年代、’80年代、’90年代、そして2000年代以降の、それぞれの光景を映し出す。それは、釜ヶ崎の戦後史をそのままに活写した記録に他ならない。 だがもっとも重要なのは、数多くの労働者とその生活・労働を記録した中島さんが、ひとりの釜ヶ崎労働者として生活してきたということだろう。つまりこれらの写真記録は、労働者自身による記録なのだ。それゆえ中島さんの写真は、労働者が生活するドヤ街のみならず、様々な労働現場や闘争の現場を、労働者の目線から記録している。それらの写真は、流動する労働者の身体を

                          中島敏フォトアーカイブ・解題 – 釜ヶ崎の記録は数多く存在するが、中島敏の写真には 他にはみられない特異性がある。
                        • 「西成」「釜ヶ崎」をネタにして稼ぐ人たちと、野宿者を排除して進むジェントリフィケーション・ビジネス ── 差別と暴力を覆い隠して、何が「来たらだいたい、なんとかなる」だ! 尾崎美代子 : デジタル鹿砦社通信

                          ◆「西成」は売れる? 最近、西成(ここでは「釜ヶ崎」界隈を示す)で動画を撮影するYouTuberが増えている。有名(?)YouTuberに紹介され客が増えたと喜ぶ店がある一方、他の客の顔を撮られては困ると断る店もあるようだ。店の紹介だけでなく、公園で酒盛りする人やセンター周辺の野宿者の生活を面白可笑しく撮るものも多い。刺青を堂々と見せる人、ムショ帰りと話す人、泥酔してクダをまく人……西成には様々な経歴、過去をもつ人、ひと癖もふた癖もある人が多いが、それはこの街がどんな人をも受け入れる懐の深さがある証拠だ。 しかし、そうした人たちを撮って視聴数を伸ばし、広告代を稼ぐYouTuberは、彼らに動画をYouTubeにアップすると説明したり、許可を得ているのだろうか。実際、動画に映る人に聞くと、知らないという人もいるが、問題はないのだろうか? ◆暴力野郎が「平和を守ろう」というようなもの こうした

                          • 修正指示を拒否し助成金を返還 釜ヶ崎の現実を映す『解放区』監督の信念|シネマトゥデイ

                            「後世にとって、とてもいい資料」酒井隆史氏と太田信吾監督 17日、大阪・釜ヶ崎に流れ着いた若者の姿をドキュメンタリータッチで描いた映画『解放区』が、京都市で開催中の「京都国際映画祭2019」内で上映され、都市研究学者で大阪府立大学教授の酒井隆史氏と、太田信吾監督がトークイベントに登壇。当初、助成金を得て作られた本作への行政からの修正指示と、それを拒否した経緯について語った。 【画像】映画『解放区』フォトギャラリー 2014年に、映像制作者の支援と映像文化の発信を目的とした助成金の対象となり制作された本作。完成後は大阪アジアン映画祭での上映が予定されていたが、完成後に、大阪市(担当機関及び担当者)から、舞台となっている大阪市西成の釜ヶ崎(あいりん地区)の描写方法に対して修正指示が出る事態となり、太田監督はそれを拒否。映画祭での上映を辞退し、助成金も返還。2014年から5年の時を経て、ようやく

                              修正指示を拒否し助成金を返還 釜ヶ崎の現実を映す『解放区』監督の信念|シネマトゥデイ
                            • 大阪新世界・山王・釜ヶ崎までカメラを持ってブラブラお散歩。 - 暮らしの顛末(くまくまコアラ)

                              さて、今日は朝から雨。 だがしかし、カメラを持って出かけたい気分。 天王寺動物園にでも行って動物でも撮影するかな。 なんてEF70-300mm F4-5.6 IS II USMを持ってやってきたもの・・・ 土日祝は事前予約制なんだって。 あらまぁ。 やっちゃったよ。 で、いたしかたなく新世界界隈をブラブラとお散歩。 新世界のアミューズメントは昭和で時間がとまったまんま。 今年になって日本一大きな射的場、大衆娯楽遊戯場「秘宝館本店」がオープンしたりしている。 都構想反対運動が盛んだわ。 通天閣の真下にこんなのあったんだけど・・・ これなんだろう。 〇〇に10万円あげたらこんな使い方されちゃいました! 10万円神社? テレビ番組か何かかなぁ。 なんて思っていたのですが、帰って調べてみるとやっぱりテレビ番組だった。 hicbc.com さて、ジャンジャン横丁を通って、動物園前商店街方面へ。 まじ

                                大阪新世界・山王・釜ヶ崎までカメラを持ってブラブラお散歩。 - 暮らしの顛末(くまくまコアラ)
                              • 「「愛」はずっと、さっぱりわからないものだったんです」男性問題研究家 / 釜ヶ崎地域史研究家 水野阿修羅さん | 物語を伝える記事制作 / Screen

                                Story 「「愛」はずっと、さっぱりわからないものだったんです」 男性問題研究家 / 釜ヶ崎地域史研究家 水野 阿修羅さん 1949年生。大阪市西成区在住。1970年に開催された大阪万博を機に、仕事を求めて釜ヶ崎へと移住。以来、建設業・運送業を中心に45年間日雇い仕事に従事。その傍ら、88年に外国人支援組織「アジアン・フレンド」を立ち上げ、アジアからの出稼ぎ労働者問題に関わるようになる。91年にはメンズリブ研究会、98年にはメンズサポートルーム大阪を立ち上げ。以来、DV加害者に対し、自らの感情を回復させ、DVから脱却することを目的に「男の非暴力グループワーク」を実施している。ほか、部落解放運動・女性解放運動などの運動も進める。99年、NPO法人釜ヶ崎支援機構の職員となり、2014年1月に定年退職。 ※ 約18,500字 肯定していた怒り 喧嘩は得意とするところだった。その起因となる怒りは

                                  「「愛」はずっと、さっぱりわからないものだったんです」男性問題研究家 / 釜ヶ崎地域史研究家 水野阿修羅さん | 物語を伝える記事制作 / Screen
                                • 釜ヶ崎のオカマと男娼の話|おいらんだ国酔夢譚 番外編|

                                  釜ヶ崎…現在はあいりん地区という玉虫色の名前で呼ばれていますが、あまりに人工的すぎて現在でもその地を釜ヶ崎と呼ぶ人がいます。 日本でも有数の人間の刺激臭を肌で感じることができる場所として全国でも有名となり、存在に蓋をされた「大阪の暗部」として、現在も独特の存在感を示しています。 「あいりん地区」と聞いて、事情がわからない人が真っ先に思いつくイメージが、 だと思います。大阪人として不本意ではありますが、時には大阪の悪いイメージを強調する材料としても、ここが取り上げられることもあります。 確かに、3~40年前は子供が徘徊するような場所ではありませんでした。高校生の頃に友人と夜に徘徊したことがありますが、確かに雰囲気はあまり良くなく、酔っ払っているおっさんが道ばたで横たわり、歩いている人も目つきが異様な光景。 これは怖いなとジャンジャン横町あたりに逃げると、怖いおにーさんに呼び止められ、 とやさ

                                  • コロナ対策を軽視し、労働者を騙し、都構想ばかり推し進める大阪維新〈暴政〉「全国すべての人々へ」給付されるはずの特別定額給付金がなぜ、「住民票を失った」釜ヶ崎の住人たちには給付されないのか? 尾崎美代子 : デジタル鹿砦社通信

                                    ◆大阪維新は、センターからの野宿者追い出しをやめろ! 7月6日、昨年閉鎖されたセンター前に組合のバスを置く釜ヶ崎地域合同労組や、北西角に団結テントを設置する仲間に、「土地明け渡し請求事件」の訴状などが届いた。「出ていけ!」と訴えるのは大阪府だ。コロナ災いが続く中、センターから野宿者を追い出したいのは、都構想とリンクする西成特区構想を前に進めたいがためだ。 西成あいりん総合センンター(以下センター)は、昨年3月31日閉鎖予定だったが、当日大勢の労働者、支援者が「シャッター閉めるな」と声をあげたため閉鎖できなかった。翌日から始まった自主管理活動には、全国から支援の声・物資・カンパなどが届けられた。4月24日、国と大阪府は警察がタッグを組み、センター内の労働者らを暴力的に排除したが、それ以降も大勢の野宿者がセンター周辺や釜合労のバスで寝泊まりし、炊き出しや寄り合いなどの支援活動も続けられている。

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