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2017年4月6日のブックマーク (6件)

  • 百田尚樹氏「中国文化は日本人に合わぬ。漢文の授業廃止を」 (NEWS ポストセブン) - Yahoo!ニュース

    はなぜ、中国の脅威を感じながらも適切な対抗策を取れないのか。作家の百田尚樹氏は、その背景には日人の勘違いに基づいた「中国への憧れ」があると語る。 * * * 中国の尖閣諸島への“侵略”は日に日にエスカレートしています。ただし、意外かもしれませんが、尖閣周辺の東シナ海や南シナ海で暴れ回る中国に対峙しようという時に、もっとも弊害になっているのが日人の「中国への漠然とした憧れ」です。

    百田尚樹氏「中国文化は日本人に合わぬ。漢文の授業廃止を」 (NEWS ポストセブン) - Yahoo!ニュース
    q52464
    q52464 2017/04/06
    これって本気で言ってるのか冗談のつもりなのかどっちなんだろう?
  • 大岡信の死によせて - そぞろごと

  • ユーモアの中にある、人々の墓標を眺めるような物悲しさ/W・アーヴィング(齊藤昇訳)『ブレイスブリッジ邸』岩波文庫 - 誤読と曲解の読書日記

    ユーモアの中にある、人々の墓標を眺めるような物悲しさ/W・アーヴィング(齊藤昇訳)『ブレイスブリッジ邸』岩波文庫:目次 行間から滲み出る登場人物たちの心の機微 ユーモアの中に人生に対する寂寥感や諦観が顔を出す それほど洗練されていない、素朴な味わい 参考リンク 行間から滲み出る登場人物たちの心の機微 書のタイトルにもなっている「ブレイスブリッジ邸」とは、この物語の舞台となった「英国ヨークシャーの人里離れた美しい一角に佇む荘園風の邸宅」(書p14)を指す。 書『ブレイスブリッジ邸』は、ブレイスブリッジ邸で行われる婚儀に招かれた、語り手でもあるクレヨンの目を通して、地主一家や使用人たち、村の人々、その屋敷や村で起こった出来事が、ユーモアを交えて描かれる物語だ。 語り手のクレヨンは、この屋敷に滞在しているあいだ、「間近で展開するいろんな出来事や人物を折にふれてスケッチ風に活写しよう」(

    ユーモアの中にある、人々の墓標を眺めるような物悲しさ/W・アーヴィング(齊藤昇訳)『ブレイスブリッジ邸』岩波文庫 - 誤読と曲解の読書日記
  • 【書評】 ぼく東綺憚 著者永井荷風 評価☆☆☆☆★ (日本) - 好きなものと、嫌いなもの

    濹東(ぼくとう)綺譚 (岩波文庫) 作者: 永井荷風 出版社/メーカー: 岩波書店 発売日: 1991/07 メディア: 文庫 購入: 5人 クリック: 89回 この商品を含むブログ (66件) を見る 荷風は、ニーチェと共に若い時分の筆者にとって反時代性の象徴のような存在だった。現実に目を背けて江戸戯作に懐旧の念を抱く荷風についても、あるいは、現実の東京を散策して江戸の残り香を発見する荷風についても、どちらも反時代性を体現する、眩しい偶像であった。 30代の現在、荷風は、反時代的であることに変わりはないが、やや苔むした像へと落ちていった。かつては崇拝するほどの偶像であった彼も、時代の流れに適合することの妙味に親しむようになった筆者にとっては、何だか、陶しい存在にさえ感じさせられるほどである。 江戸戯作を懐かしむ荷風の姿は、既に現実から消失した風景(これは、文字通り風景のことであり、また

    【書評】 ぼく東綺憚 著者永井荷風 評価☆☆☆☆★ (日本) - 好きなものと、嫌いなもの
  • 曠日弥久(こうじつびきゅう) - かえるさんとにわとりさん「四字熟語」

    今回は曠日弥久(こうじつびきゅう)です。 日を曠しくして久しきに弥たる(ひをむなしくしてひさしきにわたる)。長期間にわたって無駄な時をすごすこと、です。 そういうこと言うんじゃないの!!その時はそれなりに頑張ったり楽しんだりしたの! いや、人がよければいいんですけど。にわとりさんそんなに反応するなんて思わなかったですよ。 いや、べつに言われてみれば、気にするほどじゃなかったわ。 かえるさんは? かえるさんは、自分が何をしたか、とか日記的なものを書いているので、年表があるんですけど、5年くらい曠日弥久(こうじつびきゅう)って言える時期がありますね。 じゃあ5年無駄にしたんだね。 そうとも言えますし、それを教訓に出来た、と言える為に頑張ろうとも思います。 人生色々だねぇ。 出典は「戦国策」でした。

    曠日弥久(こうじつびきゅう) - かえるさんとにわとりさん「四字熟語」
  • 境界線の彼方へ 村上春樹「ねじまき鳥クロニクル」(第3部 鳥刺し男編) - サラダ坊主日記

    村上春樹の「ねじまき鳥クロニクル」(第3部 鳥刺し男編)を読了した。 この錯綜した筋書きを持つ長大な物語の概要を、何かしらの理論的な構図の中に縮約して織り込めるという自信は、少なくとも現在の私の持ち物ではない。敢えて私見を述べるならば「未整理の作品」という形容が相応しいように感じられる、この「ねじまき鳥クロニクル」という小説においては、総ての伏線や謎めいた要素が充分に回収されたり解決されたりしているとは言い難い。だが、それらの整理されない細部と細部の整合性を確保する為に強引に理路を切り拓こうとすれば、この小説小説として構築された意義が失われてしまうようにも思える。 「ねじまき鳥クロニクル」の主要な筋書きが、失踪したクミコとの平穏な生活の「奪還」に存することは確かである。だが、その主要な筋書きに限ってさえ、それが具体的にどのような構造的真実を指し示しているのか、明瞭に把握することは困難で

    境界線の彼方へ 村上春樹「ねじまき鳥クロニクル」(第3部 鳥刺し男編) - サラダ坊主日記