ビッグマウス厨房という料理動画シリーズが好きだ。 ビッグマウス厨房をみて、料理の手法に「味見」というものがあることを発見した。「味見の姿」を初めてみた感じがした。 「味見」というのはフィクションだと思っていた。鍋のなかの汁をおたまですくって、小皿にたらして、エプロンをした主婦が小皿を口に傾けて、うん、とうなづくのが「味見」である。喩えるなら演劇のワザであって、現実の人間はこんなことをしないと思っていた。 BIGさんの味見は違ってみえた。てきとうで、プラグマティックで、「現実世界に生きる味見」だった。それは断じて料理のワザだった。 味見という手法が成立すると、料理における主体が転回する。味をつくるのがレシピでなくなる。自分になる。「あなたが味を決めていいんだよ」という転回だ。そんな考え方がありうるなんて想像したことがなかった、衝撃。 僕は味というものに不安がある。その不安とは本質的に他者に対