タグ

歴史に関するquagmaのブックマーク (112)

  • 日本型雇用システムと女性労働の葛藤 - hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳)

    3日のエントリ「ネオリベラリズムとフェミニズムとの交叉を論ずるのなら・・・」の趣旨を理解していただくためには、今から四半世紀前の女性労働政策がどのような状況にあったかを振り返っていただく必要があるのかも知れません。 男女雇用機会均等法の制定作業が開始された頃の当時の労働省の女性官僚たちが共同執筆した高橋久子編『変わりゆく婦人労働』(有斐閣選書)というがあります。1983年4月の発行です。執筆者の中には佐藤ギン子、太田芳江、松原亘子等々という名前が連なっていますが、その序文を当時駐デンマーク大使だった高橋展子さんが書かれていて、当時の女性労働政策が置かれていた日独特の状況が明確に示されています。やや長いのですが、80年代半ばがいかなる時代状況であったかは、今の若い人々には意外と知られていないような気もするので、一つの時代の証言として、読んでいただきたいと思います。 >・・・私は日におけ

    日本型雇用システムと女性労働の葛藤 - hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳)
  • 三・一(サミル)運動をめぐって - heuristic ways

    quagma
    quagma 2011/01/04
    ”三・一運動は、中国に影響することによって、東アジアの現代史の不可欠の一環となりました””そして、三・一運動から何も学ばなかったのが、私たち日本国民ではないでしょうか”
  • メモ〜片野次雄『日韓併合』より - heuristic ways

    片野次雄『日韓併合』を読んでいくうちに、韓国併合・朝鮮支配の問題は、日と朝鮮の二ヵ国間の問題としてだけではなく、中国ロシアアメリカなどを含めた、もっと広い国際的な文脈の中で捉えなければならないのではないかという印象が強まってきた。 たとえば安重根(アンヂュングン)は、ロシア領の沿海州地方に亡命していた。《当時、これらの都市(ウラジオストクやポクラニチナヤ、ノボキエフスクなど)には、朝鮮を追われた義兵将や義兵、独立運動家たちが、国境の豆満江(トマンガン)を越え、大勢、亡命していた。安重根もそのひとりであった。》 伊藤博文が暗殺されたのは、満州のハルビン駅でだが、伊藤博文は旅順の戦跡を視察した後、満鉄で長春へ行き、そこからハルビンに向かっている。一方、安重根はノボキエフスクからウラジオストクへ行き、そこからハルビン行きの汽車に乗っている。  アメリカのサンフランシスコに在米朝鮮人の結社が

  • もちつけblog(仮)、、、の跡地(はてなダイアリーに移転。) 暴力装置が抱いた欲望 -武装組織が台頭した諸事情- 【続・ワイマール共和国内部の武装組織について】

    前記事より続き。 ■なんで武装組織ばっかだったんだよ!■ ここで一点、疑問に思われる方が、おられるかもしれません。なぜ、ワイマール共和国は、武装勢力だらけになったか。 詳細は分かりませんが、ドイツ義勇軍(フライコール)の存在が大きかっただろうことは間違いありません(以下、Wikipediaドイツ義勇軍」の項目参照)。 ドイツ義勇軍というのは、第二次大戦後にドイツの復員兵が作った民兵組織のこと(総称)です。 「多くのドイツ退役軍人は市民生活に馴染むことができず、軍事組織の中に安定を求めて義勇軍に入隊」します。 そんな「復員兵の多くは彼らの目から見て『突然起きた、どう見ても不可解な敗戦』とその後の社会の混乱に憤りを感じていた。彼等は、その憤懣を晴らすために入隊し、混乱の元凶と思われた共産主義者を鎮圧」したわけです。共産主義者が、敗戦のスケープ・ゴートとなります。 しかも重要なことに、「彼らは

  • 憲法のおもちゃ箱: 戦う民主主義

    2009年6月20日 戦う民主主義 戦う民主主義という言葉があります。  ヨーロッパで広く知られている言葉なのですが、これを単純に定義すると次の通りです。  民主主義を否定する言動を許さない民主主義。  現代史においてはヒットラーの独裁政治に対するドイツの反省が有名なので、ドイツを例にとってみましょう。  1930年代。  第1次世界大戦後のハイパー・インフレや世界恐慌による深刻な大失業といった国家的窮地や危機に対応できない議会への不信感・絶望感がドイツ中に蔓延していました。  ここで登場したのがナチス党のヒットラーでした。  一般的にヒットラーが独裁者と言われる大きな原因の1つは「全権委任法」にあるとされています。  内容は主に次のとおりです。 ・議会の立法権を内閣に委譲する ・大統領の法令制定認証権を首相(ヒットラー)に委譲する ・条約締結は議会の承認を必要としない    これは要する

  • もちつけblog(仮)、、、の跡地(はてなダイアリーに移転。) 暴力装置の機能不全 -ワイマール共和国内部の武装組織について- 【ブクマを振り返って】

    著者はこの「たたかわなかった」ワイマールという話自体が神話であったのではないかと説く。ワイマール共和国はけっして自らを攻撃する勢力や運動に寛大であったわけではない。むしろ刑法の内乱罪や「共和国擁護法」を活用し、「共和国の敵」に対して言論段階での監視や抑圧を行っていた。要するにワイマールはかなり頑張って「たたかって」いたのだ。 だがその「敵」として名指しされたのは、もっぱら共産主義勢力であり、保守的な当局はナチスを含めた右翼団体にはその認定を甘くした。このことは結果的に、①共産党と社民党との左派の連携が絶たれることで宿敵ナチスに利をもたらし、さらに②共和国末期に政権入りしたナチスが政敵を「共和国の敵」として弾圧するという悪夢を生み出すことになった。 (略)戦後ドイツが――「たたかう民主制」の標榜とは裏腹に――平穏な民主主義を実現し得たのも、社会の武装解除が進んだからというリアルな認識に立つ。

  • 狩猟民族じゃねえ、狩猟採集民じゃい。 - hituziのブログじゃがー

    田重道(ほんだ・しげみち)『なぜ、私の歳をきくの? 年齢不問社会の提言』飛鳥新社 うえのを よんでいたら、くだらないことが かいてあったので批判します。 田は、「年齢」という かんがえかたの起源について想像を めぐらせ、つぎのように かいている。 原始の狩猟時代とは言え、ヒトは集団生活をしていたし、その最小単位の「家族」はすでにあったはずだ。例えば、であり母である彼女は、洞窟の中で狩りから戻る夫を待ち続けていたであろう。 (23ページ) このあと「獲物を手にした夫を待ちわびる、洞窟の女」という表現も でてきます。どんだけ受身なんだよっていう。 「狩猟採集民」っていう用語があります。文化人類学のの題名にもありますね。 今村薫(いまむら・かおる)『砂漠に生きる女たち―カラハリ狩猟採集民の日常と儀礼』どうぶつ社 亀井伸孝(かめい・のぶたか)『森の小さな〈ハンター〉たち―狩猟採集民の子ど

    狩猟民族じゃねえ、狩猟採集民じゃい。 - hituziのブログじゃがー
  • 「国民」の戦争責任について - Apeman’s diary

    cf. http://matsuo-tadasu.ptu.jp/essay__101212.html , http://matsuo-tadasu.ptu.jp/essay__101215.html 多くの民衆は、戦争と敗戦にいたる過程を「ダマサレタ」という論理でとらえて納得したが、そこには戦争責任をみずからのものとする意識が欠落しているとともに、旧い価値とのふかい内面的な対決を経ないままに、いち早くあたらしい価値を受容してゆく姿態が表現されていた。 どうです? 1990年代の匂いがぷんぷんしませんか? アイデンティティ・ポリティックスにうつつを抜かすクサレ文化左翼の言いそうなことじゃないですか? 出典は1971年刊の『講座日史8』(東京大学出版界)が初出の、安丸良夫著「戦後イデオロギー論」(『日ナショナリズムの前夜 国家・民衆・宗教』、洋泉社MC新書、263ページ)。ちなみに「階級」

    「国民」の戦争責任について - Apeman’s diary
    quagma
    quagma 2010/12/20
    コメント欄も。
  • 努力? - Living, Loving, Thinking, Again

    http://d.hatena.ne.jp/satosuke-428125/20101216/1292447439 堀井憲一郎『若者殺しの時代』というに基づいて、所謂「バブル」の時代を語っているのだが、ちょっと気になった点が幾つかあった。因みに、堀井氏のこのは読んでいない。 戦後の高度経済成長期を経て、バブル経済へと豊かで元気だった日。まだまだ成長していける、坂の上の雲(@司馬遼太郎)まで登りつめようとばかり、貪欲に富を得ていったのだ。しかし終焉を迎えたとき、当然不況に入り、次第に虚無感が生み出していく。 『一杯のかけそば』は、貧乏な一家がそば屋で、一杯のそばを家族で分け合ってべる。何年かして、一家の子供は医者や弁護士になって成長し、そば屋に行くという物語だ。 「貧しさは努力によって克服でき、貧乏生活はいずれ逆転できる」と信じられてきた時代に生まれた物語。これが中流社会への礎となり

    努力? - Living, Loving, Thinking, Again
  • 「最終的解決」はむしろ現在進められつつある - Apeman’s diary

    ツイッターではすでに指摘しておられる人もいるが、念のためこちらでも。「最終(的)解決」という用語は日の同盟国であったドイツの国家犯罪の(当事者が用いた)婉曲表現であるがゆえに注意を要するものではあるが、戦後補償問題という文脈においてはより切実な問題がある。先日、名古屋空襲で両足を失った女性の妹の「国は戦災傷害者が死ぬのを待っている」という言葉(を伝える記事)を紹介した。名古屋空襲の被災者は他地域の戦争被害者とともに今年「全国空襲被害者連絡協議会」を結成して国に補償を求める活動をしているが、国内外で公的な補償を求めている人々が共通して口にするのが「日政府はわれわれが死ぬのを待っているのではないか?」という言葉だ。日政府の中で特定の個人が明確にそうしたことを意識して対応を決めているかどうかは別として、従来とおりの不作為を続けることがどのような結果につながるかは明白である。したがって、戦後

    「最終的解決」はむしろ現在進められつつある - Apeman’s diary
  • ローザ・パークスと「彼」。 - 歌ったらアカン歌なんてあるわけないんだッ!

    今より人種差別がもっと酷かった頃の1950年代のアメリカで、一人の黒人女性がバスで白人に席を譲るのを拒否し、逮捕された。彼女の名前は、ローザ・パークス。 http://www2.netdoor.com/~takano/civil_rights/civil_04.html 黒人が白人に座席を譲るのが「当然」だった時代、それを拒否するのは「非常識」な行為だっただろうし、その上危険でもあったろう。現に彼女は逮捕されたし、あるいは殺されて「奇妙な果実」として吊るされても不思議ではなかった。「黒人であるという理由で白人に席を譲ることを拒否する」という、今思えば実にささやかな、慎ましやかな行為は、その意味で無謀だったと言える。 それから50年以上経った現在の日の話。「朝鮮人は出ていけー!」などとヘイトスピーチを公然と撒き散らす団体(在特会)の「デモ」に、たった一人で抗議のメッセージを掲げた在日韓国

    ローザ・パークスと「彼」。 - 歌ったらアカン歌なんてあるわけないんだッ!
    quagma
    quagma 2010/12/13
    「黒い彗星」を見た私はどうしていままでローザ・パークスのことを思い出さなかったんだろう?
  • 『「国民受忍論」を捨て、補償を』

    朝日新聞12月11日付朝刊「私の視点」欄に、直野章子さんの「『国民受忍論』を捨て補償を」が掲載されている。 「戦争被害は、国民が等しく受忍すべきものである」という論理が、長年にわたり、多くの戦争被害者への補償を拒む根拠とされてきた。いわゆる「国民受忍論」だ。 直野さんは、これに疑問を投げかける。 「受忍論は戦争損害に対する国の法的補償責任を否定するが、法的根拠のない政治論だ。主権在民、基的人権の尊重、平和主義という日国憲法の精神にも反する。その前提となっているのは、国家の戦争遂行権であり、国家のために国民が命を犠牲にして当然という考え方だからだ。 (略)受忍論は過去の遺物ではない。東京と大阪の空襲裁判でも、国は相変わらず受忍論を主張している。安全保障や抑止力という政治論で憲法が適用されない『例外状態』を強要し、被害を不平等に受忍させる点で沖縄の米軍基地問題にも通底する。 (略)受忍させ

    quagma
    quagma 2010/12/13
    "世界のいたるところで国家優先の論理がまかり通ってきた。少数者の被害を「いたしかたないこと」とみなし、切り捨てるやり方だ""国家優先の論理を批判し、超えようとする動きもまた、いま世界中に広がりつつある"
  • 結婚式に出席してきた - こぐま座

    カソリック式の結婚式。よく知らないが、たぶん結婚式のために作られた教会*1で。なかなか立派なつくりで、ステンドグラスは100年前だかにヨーロッパで作られたものを持ってきたらしい。美しい。神父が何か話している間、ずっとそれを見ていた。 新婦がカソリックらしい。たぶん出席者のほとんどは日的「無宗教」者*2(私もそう)なのだろうけれど、立派な教会だとかで神父の進行のもと一連の儀式が執り行われ(賛美歌を歌うとか)ている中にいると、フェイクだなーと思いつつも、なんとなくその気になってしまうような。そう感じたのは私だけではなかったみたい。 ていうか、「オプションでつけた」というゴスペルシンガーの歌「アメイジング・グレイス」がすごくて、それで持っていかれたという感じだ。これもみなが口々に言っていた。新婦などは、リハーサル(それも前の組のそれが行われているのを外で聞いていて)の段階で聞いて落涙したほどだ

    結婚式に出席してきた - こぐま座
  • Amazing Grace Part.2

    ●「アメイジング・グレース」のメロディの問題  「アメイジング・グレース」の詞は、ここまでみてきた経緯からも、どうやらまずニュートンの作といって間違いないだろう。これに異論を唱える人々も多いが、ここでは一応そうしておきたい。それではメロディも彼のオリジナルなのか、という問題が出てくる。この曲は後述するが、様々な人々によってレコーディングされている。その一つ、非常に有名なエルビス・プレスリーの1971年の録音がある。この曲のレコーディングデータには、作者の欄に「Traditional」と記されている。作詞作曲ともに「Traditional」で、このプレスリー盤にはニュートンの「ニ」の字も出てこないのだ。日のポピュラーシンガー、中島美嘉のデビュー・アルバム、2002年の『True』の冒頭に収録されたこの曲のクレジットでは「作詞・作曲 John Newton」となっている。この二つの事例に見え

  • 虹のために - lmnopqrstuの日記

    メモ | 02:01 |  中野重治「ある側面」(1956)より  むかしロシアで、社会民主主義者たちが社会民主党の政治綱領をつくることで議論をした。そのとき、ある人びとが、ロシアにおける資主義の発展の問題にふれて、大資にたいして小資の持つ重要性の比重が、相対的に小さくなってきているというふうな文案をつくった。それを見て、レーニンが、怒り心頭に発して――というふうに私に見える。――そんな言い方があるか、大資が小資を、どしどしってきているというふうにいうべきだ、と言っていた。政治綱領というものは戦いのためのものだ。それは戦うものの立場から書かれる。それならば、う大資われる小資、その関係が、う大資と憎悪をもって戦う立場から、動的に描きだされねばならぬ。そうレーニンは言っていた。言いかえれば、レーニンはそこで、問題を動的に、人間的にとらえていた。いわば文学的にとらえてい

    quagma
    quagma 2010/12/07
    中野重治の文章(?)。
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    うめぇヨーグルトソースでもいかがですか。個人差にもよりますが。もしよろしければ。 お久しぶりです。 最近うんめぇ〜と思ってるヨーグルトソースがあるので、書いていこうと思います。 ヨーグルトとハーブ類をもりもり使うので、そういうのがべられない方にはうんめぇソースではないです。ごめんなさい…。もしよろしければお茶だけも…旦~ 【用意する…

    はてなブログ | 無料ブログを作成しよう
  • 「公表をはばかる内容なので公表できません」 - 八路軍研究メモ

    別件で上京した機会をとらえて、防衛省の防衛研究所史料閲覧室でなにかおもしろそうな史料はないか漁ってきました。 ちょっと使い勝手は悪かったですが、あそこはあそこで宝の山ですね! ぜひまた漁りに行きたいですね。旧軍関係者の回想録とか文書とかあそこ(一部東アジア歴史資料センターにもあるが、やっぱ史料閲覧室の方が豊富かね)にしかない史料がいっぱいって感じ。 あまり多くは読めなかったけど、その中でも特に「折田貞重大佐回想録」がお勧めかな? とても興味深いことがたくさん書いてあります(あと当人がすごいやる気になって書いています)。一部コピーしてきたので、そのうち著作権に反さない限りの引用で紹介します。 それはそうと、以下の二つのような防衛研究所の奇妙な対応も体験してしまいました。 ・閲覧不可になった毒ガス戦史料 日軍毒ガス作戦の村―中国河北省・北坦村で起こったこと 作者: 石切山英彰出版社/メーカー

    「公表をはばかる内容なので公表できません」 - 八路軍研究メモ
    quagma
    quagma 2010/11/30
    旧日本軍のスキャンダルをもって防衛省が「公表をはばかる」とするってことは、防衛省が自衛隊は皇軍の継承組織と公に認めていると解してOKってこと?そのこと自体スキャンダルだと思うんだけど。
  • 今、改めて天皇機関説事件をおおざっぱに振り返ってみた~@noiehoieさんつぶやき編集

    菅野完 @noiehoie 機関説論争の端緒となったのは、菊池議員(陸軍中将)による貴族院会議での滝川事件に関する質疑。美濃部の著書の片言隻句を引用して、「学匪」「反逆者」と罵った。で、その後、美濃部は「一身上の弁明」として会議で演説を行った。その日の貴族院は議席はもとより傍聴席も満員だったという(続く 2010-11-20 22:50:03 菅野完 @noiehoie (承前)美濃部は演説の中で「天皇主権説であれば、国際条約は天皇個人の契約となってしまう」等の例をあげながら機関説の妥当性を訴えた。一時間を超えたこの演説は、人々の共感を呼び、演説の最後には貴族院では珍しく議席からも傍聴席からも拍手が起こったという(続く) 2010-11-20 22:54:42 菅野完 @noiehoie (承前)この演説の結果、当の菊池中将から「徒に美濃部博士を侮辱したものではない。また博士の著作を通

    今、改めて天皇機関説事件をおおざっぱに振り返ってみた~@noiehoieさんつぶやき編集
  • 「なぜ助けたのか?」という問い - Apeman’s diary

    先月末に放映されたETV特集「シンドラーとユダヤ人〜ホロコーストの時代とその後〜」に登場する生存者の一人は、「なぜシンドラーはユダヤ人を助けたと思いますか?」という質問に対し、私はそんなことは尋ねるなと言うことにしている、「なぜ?」と問われると不快になる、という印象深い答えを返していた*1。その意味するところを彼自身が明示的に語っているわけではないのだが、次のような解釈が頭に浮かんだ。 あの時代においてユダヤ人を助けることは、彼らを見捨てたりあるいは積極的に殺害に加担することに比べれば遥かに困難なことであったから、「なぜ助けたのか?」という問いが出てくるのは当然のことに思える。だがその問いは、来問われるべき「なぜ助けなかったのか?」という問いを背景に退けてしまいかねない。彼らが助けられることに理由など必要なかったはずであるにもかかわらず。 *1:このやり取りは、上記番組の短縮版である「ホ

    「なぜ助けたのか?」という問い - Apeman’s diary
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    そすいさんぽ 全34.8キロを全部歩いてきた。疏水分線コース編 そすいさんぽ完全制覇の日記です。前回、前々回と、琵琶湖から宇治川までを歩く大津-鴨川コースと鴨川運河コースを歩いてきた様子を書きました。 daiary.hatenadiary.jp daiary.hatenadiary.jp 琵琶湖疏水はこれ以外にも、蹴上のあたりで北に分岐して京都市内に水を送…

    はてなブログ | 無料ブログを作成しよう