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差別と社会に関するquasimoto_sanのブックマーク (84)

  • 美術史のミソジニーと折り合いをつける

    400年も500年も昔の美術作品を調べていると、ときどき21世紀人から見るとぎょっとするような主題のものがある。 パッと思いつく限りでも、ギリシャ・ローマ神話には「それって女性側からしたらどうなん?」となるような話が満載だし(テセウスに捨てられるアリアドネとか、ゼウスに犯されるエウロパとかレダとか)、キリスト教主題だって自分らの父親を誘惑する娘たちってどうなのってなるし(ロトと娘たち)、世俗主題でも純潔を汚された乙女が自殺するのが美談になってるし(ルクレティア)。それが絵やら彫刻やらであらわされて、当時の文献で「まことに美しい」とか書かれていたら、そりゃ絵はそうやろけどこれ相当ヤバい話やで? みたいになりますわな、こちとら21世紀人なんで…。 現在都内の大学で西洋美術史を教えているのだけど、こういう話を紹介するのは難しい。難しく感じているのはこちらだけかもしれないけど、とりあえずいちいち「

    美術史のミソジニーと折り合いをつける
  • マジョリティと責任の問題 - don't look back into the sun

    これはわたしの観測範囲の問題かもしれないんですけど、最近のインターネットを見ていてよく思うのが、「マジョリティである」と認識することの難しさです。 ひとはいろんな属性を同時に持っているので、ある場面ではマジョリティだけど別の場面ではマイノリティである、といったことはあります。 でも、それがわからない人がすごく多い気がする。ある文脈ではマジョリティになっているにも関わらず、自分のことをいついかなる時も絶対マイノリティだと思っていて、批判されると「また口をふさがれた」みたいな被害者意識を強めてしまう、みたいな光景をめちゃくちゃよく見る。その被害者意識が攻撃に転じる。で、すでに抑圧されている人をさらに傷つけてしまう。そういう、最悪な負の連鎖があらゆるところで起きている気がする。 多分それって「マジョリティである」と認識すること、それにまつわるあれこれを引き受けることが当に難しいからっていうのも

    マジョリティと責任の問題 - don't look back into the sun
  • 松浦大悟さんの「女湯に男性器のある人を入れないのは差別」論への疑問

    松浦氏もこれをリツイートしています。 しかし、一連の議論はそもそも事実なのでしょうか? 野党批判のために持ち出された「女湯の利用拒否が差別」への疑問結論から言えば、野党が提出しているLGBT差別解消法案に関する議論において「手術を受けていないトランスジェンダー女性の女湯からの排除が差別である」なんて話はそもそも出ていないのです。 また差別に対する罰則も設けられていません。「男性器のある人を女湯に入れるのを拒んだら罰せられる」というフィフィ氏のツイートは、二重の意味でミスリードとなります。 この議論は二つの方向から行うことができます。 一つは、LGBT差別解消法案の文章を読み解くアプローチです。 法案を読めば、「差別したら罰せられる」との議論が事実無根であることが分かりますし、事業者に求められている内容もわかります。 現在の野党案が事業者(企業など)に求めているのは、「性的指向または性自認に

    松浦大悟さんの「女湯に男性器のある人を入れないのは差別」論への疑問
  • 差別と同化

    差別と同化(ユダヤ人を中心に) 松村 治 『ユダヤ人ゲットー』(大澤武男著)からヨーロッパ社会ではユダヤ人に対するひどい差別の歴史があることを知った。ディアスポラ以来のユダヤ人差別の長い歴史の中で18世紀に始まったユダヤ人のドイツ社会への同化への動きに注目してみると、同化の過程で,ユダヤ人の世界が拡大する一方、アイデンティティの喪失の問題や、同化が進むことによりさらに大きな偏見が生まれるというように様々な変化があったことがわかる。 ユダヤ人の差別は1つの社会の中でのマイノリティに対する差別の典型であり、ユダヤ人がその差別にどのように対処しようとしたか、また彼らに対してマジョリティの側はどのような態度をとったかをその歴史の流れの中でみていくことは差別の問題を考える上で大変重要である。今の日の社会もマイノリティに対する差別の問題とは無縁ではなく、在日朝鮮人の差別問題など私たち自身の問題として

  • 格差を生み出す「特権」とは何か?が誰にでもよくわかる授業が秀逸

    「特権を持つと、なぜ格差が生まれるのか?」を生徒に分かりやすく説明するために行われた、という授業の内容がYouTubeにて公開されており、誰にでも分かるようにかみ砕かれた内容が非常に秀逸なものとなっています。 Students Learn A Powerful Lesson About Privilege - YouTube とある教師が生徒に向けて「社会的地位と特権」についての授業を行いました。 教師は生徒に紙を使ったゲームを提案します。 ゲームは至ってシンプルで、紙を丸めて教室の黒板前に置かれたゴミ箱に投げ入れる、というもの。 ゲームは生徒がそれぞれひとつの国の代表者となり、ゴミ箱の中に丸めた紙を入れた国は豊かになります。そして、豊かになった国は座ったまま何もしなくてもお金がゲットできるようになります。 このゴミ箱の中に丸めた紙が入れば「勝ち組」というわけ。 ルールを聞き、クラスの後ろ

    格差を生み出す「特権」とは何か?が誰にでもよくわかる授業が秀逸
  • 『ヒプノシスマイク』の「女尊男卑」設定は、ミソジニーを表現する免罪符にならない - wezzy|ウェジー

    2018.08.03 00:25 『ヒプノシスマイク』の「女尊男卑」設定は、ミソジニーを表現する免罪符にならない 『ヒプノシスマイク』と差別表現をめぐって、ネット上で議論が起きている。『ヒプノシスマイク』とは、男性声優がキャラクターになりきってラップをするキャラクターソングとボイスドラマが収録されたCDのシリーズである。メインターゲットはオタク女性だ。第一線で活躍するプロのラッパーが曲提供した聞き応えのあるラップと魅力的なキャラクター造形で人気になり、最新作はオリコンで首位を獲得した。 しかし、ボイスドラマの中にはミソジニー(女性蔑視)やホモフォビア (同性愛蔑視)と受け取れる表現が含まれており、批判が起きた(参考:「ヒプノシスマイクが怖い話」)。また批判に対して「嫌なら見るな」「フィクションと現実は別」などの反発も相次いでいる。 実際にボイスドラマの内容を引用してみよう。 「てめーら俺の

    『ヒプノシスマイク』の「女尊男卑」設定は、ミソジニーを表現する免罪符にならない - wezzy|ウェジー
  • スティグマにどう対処するのか? 当事者の語りに触れること

    または仲間同士で連帯しようとする時に、自分と同じ属性を持っている人への嫌悪感を抱くことがありますが、これも自己スティグマです。 女性でいえばミソジニー(女性蔑視)があります。男性もミソジニーはありますけれども、女性同士のミソジニーというものがあるのです。 女性運動だけではありません。障害者運動であっても、障害を持った人同士で、自分の障害を憎むだけではなく、同じ障害を持った仲間を憎んでしまうことが起きます。 例えば、同じ属性を持った仲間が勇気を持って社会に対して異議申し立てをした時に、「そんな恥ずかしいことやめてくれ」「あんな風に周囲に攻撃性を発揮したら、こっちまでネガティブに見られてしまうじゃないか」と仲間への違和感を抱かせます。 健常者同士ではあまり起きないことです。ある健常者が社会運動をしたとして、他の健常者が「やめてくれ。健常者のイメージが悪くなる」とはあまり言わないですね。 こうい

    スティグマにどう対処するのか? 当事者の語りに触れること
    quasimoto_san
    quasimoto_san 2018/12/03
    “バーチャルリアリティを使うだけではダメで、当事者の語りに触れる。語りというのはまさにその人の分厚い本一冊を読むことなのです。”
  • ポリティカル・コレクトネスは表現の幅を狭めるか - 宇野ゆうかの備忘録

    最近のネット炎上を受けて、竹下は、「表現の幅が狭まってる」「昔はもっと自由にできた」と感じている制作者と、不快な表現に批判的な声を上げるようになった受け手の間で、「分断」が起きていると指摘した。 「ネット炎上→削除」の先にあるもの。小島慶子さんらと「メディアと表現」考えてみた | ハフポスト よくある「最近はポリコレポリコレうるさくて、自由に表現できないよ」というやつだ。でも、それは当なんだろうか。私は、むしろ逆だと思っている。 オードリー・ヘップバーンが主演を務めたことで有名な1961年のハリウッド映画『ティファニーで朝を』に、「ユニオシ氏」という日人(日系人)キャラクターが登場する。ミッキー・ルーニーという白人俳優が「イエロー・フェイス」をして、つり目で出っ歯で眼鏡をかけて、LとRの区別がつかない、いかにもステレオタイプな日人を演じている。 Breakfast at Tiffa

    quasimoto_san
    quasimoto_san 2018/12/01
    “ステレオタイプなアジア人描写が批判される世の中になってから、逆に、アメリカのメディア社会では、当時よりもずっと多様なアジア人像が描かれるようになっている。”
  • フェミニズムが社会運動なのか学問なのかって部分で、フェミニストは随分..

    フェミニズムが社会運動なのか学問なのかって部分で、フェミニストは随分甘えがあるように思うんだよね。 社会運動家としての一貫性を追求されると、これは学問であり個人の思想や要求ではないと逃げるし、学問としての透明性や検証の担保をもとめられると社会運動家としての被害者論に逃げ込む感じ。 おそらく今現在の多くのフェミニストは、フェミニズムがなんで学問を経由しなきゃならなかったのか、そこが当にわかってない。 フェミニズムが、暴力の次元で既存社会と戦うと負けるからなんだよ。この場合暴力っていうのは、いわゆる肉体的だったり経済的だったり権力的だったりするようなぱっと想像できる暴力だけではなく、民主主義的な、多数決の暴力によってもフェミニズムは負けちゃうんだ。なにせ、以前の社会では「女性の権利が男性より劣るのは当たり前」だったから(女性参政権、この文脈では多数決に参加できる権利ですら日ではまだ100年

    フェミニズムが社会運動なのか学問なのかって部分で、フェミニストは随分..
    quasimoto_san
    quasimoto_san 2018/11/04
    マジョリティに差別問題解消する/しないの選択肢がある前提がおかしい。マイノリティの態度がどうであろうと差別の解消のみ目指せばいい。無駄な議論。
  • キズナアイ炎上問題 「萌えキャラだらけ国家」台湾のユルさに学びたい | 文春オンライン

    公的な場における「萌え表現」の使用を許容するか否かという問題は、ひとたび火がつくと大いに燃え上がる。今年10月上旬、NHKがノーベル賞解説サイトに人気バーチャルYouTuberのキズナアイを起用した件についてもそうだった。 「キズナアイは性的に強調されて描かれている」 詳細は他の報道に譲るが、まず弁護士の太田啓子氏が自身のツイッターで「NHKノーベル賞解説サイトでこのイラストを使う感覚を疑う」、「女性の体はしばしばこの社会では性的に強調した描写され(ママ)アイキャッチの具にされるがよりによってNHKのサイトでやめて」と主張し、大きな波紋を呼んだ。

    キズナアイ炎上問題 「萌えキャラだらけ国家」台湾のユルさに学びたい | 文春オンライン
    quasimoto_san
    quasimoto_san 2018/11/02
    台湾の表面だけ真似しようとしても意味ないぞ。
  • 表現の自由戦士たちの「エビデンス」を読んでみた その1 : 九段新報

    九段新報 犯罪学オタク、新橋九段によるブログです。 日常の出来事から世間を騒がすニュースまで犯罪学のフィルターを通してみていきます。 新橋九段@kudan9ここの一覧に並んでいるものの1つですね。 https://t.co/cIRdACTjSX https://t.co/xts4jrlhaQ 2018/10/10 22:42:13 新橋九段@kudan9確かScott, J. E., & Schwalm, L. A. (1988). &vquot;Rape rates and the circulation rates of adult magazines&vquot;. Journal of Sex… https://t.co/6GQ6UQhDnP 2018/10/10 00:31:26 今回はこの辺の話。『議論によって浮き彫りになった「表現の自由戦士」の不誠実』でも指摘したことですが、

    表現の自由戦士たちの「エビデンス」を読んでみた その1 : 九段新報
  • 「わいせつ表現」規制と女性差別克服は関係ない? 憲法学者・志田陽子氏インタビュー - wezzy|ウェジー

    2016.12.27 20:00 「わいせつ表現」規制と女性差別克服は関係ない? 憲法学者・志田陽子氏インタビュー スクール水着の少女が「養って」とお願いする鹿児島県志布志市のPR動画「UNAKO」。太ももと下着のラインがスカートからすけているようにみえる東京メトロのイメージキャラ「駅乃みちか」。これらは、「性的な表現がふさわしくない」として批判をうけ、「UNAKO」は公開中止、「駅乃みちか」はデザインが一部変更されました。 このような事態を疑問視し、「過剰な規制は、表現の自由に反するのでは」といった意見を持つ人もいます。賛否両論が沸き起こる性表現。表現の自由と、表現への批判、この二つは対立する概念なのか。そして、表現規制は、女性差別に効果があるのか。憲法学者の志田陽子さんにお話を聞きました。 批判は表現規制なのか?――女性差別に関係するものに限らず、特定の表現に対して批判がおこると「表現

    「わいせつ表現」規制と女性差別克服は関係ない? 憲法学者・志田陽子氏インタビュー - wezzy|ウェジー
    quasimoto_san
    quasimoto_san 2018/10/30
    「性表現」と「性差別表現」の区別をつけましょう。
  • 小田嶋隆氏「『女性差別広告』への抗議騒動史」の何が問題なのか? – フェミニズムの歴史と理論

    執筆者: 山口智美 コラムニストの小田嶋隆氏が、「「女性差別広告」への抗議騒動史」という記事をブログにアップした。そもそもの経緯は、小田嶋氏のツイッターでの「従軍いやん婦」発言にさかのぼる。その発言をめぐる一連の経緯はTogetter「小田嶋隆さんの”従軍いやん婦”発言をめぐるやりとり」参照。Twitterでの経緯から、小田嶋氏がこのブログ記事で言及している「フェミニズム運動にかかわっておられると思しき女性」というのは、私のことを指しているかと思われる。 ブログ記事としてアップし、追記まで加えておきながら、「以後、この問題については、議論しません」というのは、どうなのかとは思う。まあ一方で、私の側とすれば、絶版状態のの文章をブログで批判するのもどうかと思っていたのだが、アップされたことで誰でも検証できる状態になったこともあり、批判をまとめるよい機会を与えていただいたということになる。小田

    小田嶋隆氏「『女性差別広告』への抗議騒動史」の何が問題なのか? – フェミニズムの歴史と理論
    quasimoto_san
    quasimoto_san 2018/10/28
    “「このような抗議自体はすぐ効く即効薬でもないし、大転換させる革命でもない。」と会員は言う。だが、「この小さなことの積み重ねが、社会通念という怪物を作ったりこわしたりしてゆくのではないか」”
  • 生存学研究センター報告書 [24] – 立命館大学生存学研究所

    まえがき ー〈抵抗〉としてのフェミニズム目次第Ⅰ部 軌跡 ー公開研究会の記録 1.境界を揺るがす ー映画『トークバック』上映会・坂上香監督を迎えて第Ⅰ部 軌跡 ー公開研究会の記録 2.公開研究会・協力企画の記録第Ⅱ部 思考 ーフェミニズムをめぐる論考 ■理論/実践 1.フェミニスト軍事化分析を考察する(Web非公開)第Ⅱ部 思考 ーフェミニズムをめぐる論考 ■理論/実践 2.フェミニズムとフィールドワークーアメリカ合衆国のシングルマザーと児童福祉第Ⅱ部 思考 ーフェミニズムをめぐる論考 ■理論/実践 3.DVにおける分離政策のオルタナティヴのために ーリンダ・ミルズおよび修復的正義の視点第Ⅱ部 思考 ーフェミニズムをめぐる論考 ■理論/実践 4.マイクロアグレッション概念の射程第Ⅱ部 思考 ーフェミニズムをめぐる論考 ■理論/実践 5.「個人的なことは政治的なこと」をめぐる断章第Ⅱ部 思考

  • 第Ⅱ部 思考 ーフェミニズムをめぐる論考 ■読解/倫理 8.性差別の構造について ー江原由美子の性支配論をめぐって – 立命館大学生存学研究センター

    トップページ» 刊行物 » 生存学研究センター報告書 [24]  » 第Ⅱ部 思考 ーフェミニズムをめぐる論考 ■読解/倫理 8.性差別の構造について ー江原由美子の性支配論をめぐって 読解/倫理 性差別の構造について ―江原由美子の性支配論をめぐって― 堀田義太郎 1 はじめに 「性差別(sexism)」とは、もっぱら「女性差別」を典型とする、性的な少数者に対する差別であるという認識は、多くの人に共有されていると思われる。 とはいえ、たとえば「女性専用車両」や映画館やレストラン等の「女性半額キャンペーン」などについて「男性差別だ」と主張する人は依然として存在するし、また雇用の際の「女性応募者の優遇」についても同様である。「性差別とは女性差別である」という観点からすれば、「男性差別」という言葉自体がナンセンスだとして斥けられるはずである。しかし、ではそれはなぜだろうか。「性」という属性(ま

    quasimoto_san
    quasimoto_san 2018/10/23
    “ある言動に対する「差別的」だという批判が、「そんな細かいことに目くじらを立てなくても」といった形で(冷笑を伴って)無効化される、という構図はつねに繰り返されている。”
  • わたしたちは、わたしも あなたもフェミニズムの当事者だ。 - hituziのブログじゃがー

    ちょっと なつかしい。 わたしたちは、わたしも あなたもベジタリアンだ - hituziのブログ 無料体験コース 反ベジタリアニズムの思想の もちぬしが、ベジタリアンを限定形容詞にしてしまうのだ。なぜか。そうすることによって、ベジタリアニズムを他人ごとにしたいからです。にげたいからです。自分から、きりはなしたいからです。自分とは関係のないことにしたいからです。 きょうは、野菜をたべよう。そんなとき、あなたは すてきなベジタリアンです。 きのうは肉をたべました。それでも、あなたはベジタリアンです。 そういった ゆるい思想。ゆるい連帯。資格をとわない社会運動が必要なのです。 きょうは、「フェミニズムは、みんなのものだ」というはなしです。 ええと、いつもながら あたりまえのことを かきます。 性差別に反対するということは、なにもフェミニズムなどと なづけるまでもなく、当然のことだ。女性だからとい

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  • 本を読まないフェミニストもまた尊い | | c71の一日

    以前わたしは、フェミニストならばを読むべきとツイッターで発言した。 今は、撤回する。わたしは、を読むべきと言わなければよかった。 わたし自身は、読書をする環境や資質に恵まれ、図書館の使い方も熟知しており、大学では、読書にほとんどの時間、四年間を費やした。 わたしが精神疾患を発症したのは、16歳のころだと思われるが、そのときに、集中力や体力の多くを失ったものの、を読む力はまだ残されていた。 わたしが精神疾患を発症した理由は、社会の女性蔑視によるものだと理解したとき、わたしはに感謝した。 わたしにとって、読書とは、今ここにいない知性との対話の時間であった。わたしはひどく寂しかったから、いつでも誰かの考えを知ることができる読書は、ほとんど人との関わりと同義であった。人と会話するような気持で、すがるように読書をした。 今、わたしは、読書をする体力が当にない。時間もない。一日二冊読んでいた

    本を読まないフェミニストもまた尊い | | c71の一日
  • また千田先生が燃やされそうなので一言言っておく

    発達障害に関する昔のツイートが掘り起こされて、千田氏の「科学軽視な態度」がはてなの理系オタの逆鱗に触れたようだが、千田氏がこのようなことを言うのにはわけがある そもそもジュディス・バトラー以降一気にポストモダン化したフェミニズムの世界では「科学=男性的」であり転倒されるべき権威という考え方が一般的になっていた これはなにもバトラーが始めたことではなく、バトラーというフェミニスト界の大スターの登場によって、これまで潮流としてあったものが一気にメインストリームに躍り出たとでも言うべきか それ以前から、もっとラディカルな一部のフェミニストの間では「論理的思考そのものが男性的なので悪」くらいのことは言われていたし、ニュートンのプリンキピア・マテマティカを「レイプ・マニュアル」と呼んだサンドラ・ハーディングや、女性の認知能力の進化を5段階にわけて説明し「抗議する内なる声」に導かれた「主観的知性」を称

    また千田先生が燃やされそうなので一言言っておく
    quasimoto_san
    quasimoto_san 2018/10/11
    これ読んで嘲笑してる人はたしかに男性的でも悪でもなさそう。
  • 不完全な「キズナアイ」として生きる NHKノーベル賞解説サイトの炎上 - レインボーフラッグは誰のもの

    quasimoto_san
    quasimoto_san 2018/10/08
    古くて新しい born sexy yesterday のお話し。
  • ジェンダー平等社会のエロの位相、あるいは欲望と配慮の関係 - ohnosakiko’s blog