連載終了から20年以上。 「昭和の黄金期」を飄々と駆け抜けたサラリーマン「フジ三太郎」と、著者・サトウサンペイの人生が詰まったインタビューをセットにして、全27巻の電子書籍としてお届けします。 お知らせ 2014/7/16京都工芸繊維大学で開催中の「サトウサンペイ展」での記念講演の記事が朝日新聞に紹介されました。「世のあり方、ふわりと サトウサンペイさん、母校で講演」 2013/06/13NHK「おはよう日本」で紹介されました! 2013/06/1019~27巻、発売開始しました。 2013/05/1010~18巻、発売開始しました。 2013/05/03J-CAST会社ウォッチで、「サラリーマンが読むフジ三太郎」連載開始。 2013/04/16J-CASTニュースで1日1作品の「復刻連載」が始まりました。 2013/04/12Apple iBooksでの取り扱い開始しました。 2013/
当時のモンゴルの人々は上写真のような、長方形の襟(方領)が付いた、足もとまで丈のある服を、たいていは右前(右手側を下、左手側を上にして重ねる形)で着用していました。生地の色は白、紅、紫、紺、緑、素材は絹、苧麻、麻、綿、毛など。上写真の服のように、金糸で刺繍を施す場合もありました。 モンゴル帝国時代の金糸は、紙や動物の皮革、腸膜に金箔を貼ってから細断して糸状にしたもの、糸に金箔を巻き付けて撚ったもの、絹糸に金箔や銀泥を直に貼り付けたもの、それに撚りをかけたものなど、多様な種類がありました。こうした金糸の成分について、たとえばモンゴル国東部、ヘンティー県デルゲルハーン・ソムのタワンハイラースト第5地点5号墓で見つかった糸では、いわゆる18金の純度(金77.9%、銀19.1%)だったということです。 また金糸の織物についても、平織、綾織、ランパ織(中央アジアのヘラートやサマルカンドなどにみられた
前田憲司氏からお借りした資料より 小島剛夕氏は、昭和3年11月3日(手塚治虫氏と同年月日)、三重県四日市市に生まれる。昭和25年、上京、加太こうじ永松達夫氏らの指導によって、紙芝居画家となる。漫画家としては、昭和32年「隠密黒妖伝」(ひばり書房)にてデビュー。次々と時代劇・忍者ものを発表し、白土三平と人気を二分していた。昭和42年「週刊漫画アクション」創刊号より「おぼろ十忍法」を連載開始、筆を使った、力感、躍動感のあるタッチ、さらに巧みな構成力には定評があり、小島ブームを作った。昭和45年「子連れ狼」(小池一夫原作)スタート、爆発的なヒットとなる。 諏訪 栄のこと 小島剛夕 わが誇り高き故郷、三重県・四日市市。西に広大な丘陵地帯を山とし、東は水のきれいな伊勢湾に抱かれた、人情豊かな街である。 諺に謂く“近江商人・伊勢乞食”・・・これはお隣りの近江の方で気遣ってくれ、伊勢乞食うぃ“伊勢子正直
漫画家・つげ義春、世界へ 2019年はマンガファンにとって「つげ義春の年」として記憶されるだろう。 長い間、ほんの少しの例外を除き、外国のファンはつげの物語を日本語でしか読むことができなかった。しかし、今年からフランス語版(訳注=版元はCornélius)と英語版(訳注=同Drawn & Quarterly)がついに出版開始される。どちらも1965年から1987年までの全作品を収録(訳注=全7巻)。これらの翻訳の承認をつげから得られるよう説得するのに、実に約10年がかかっている。 この81歳(インタビュー当時)の作家は、その波乱に満ちた人生と作品の特質の両方から、一種の「異才」と見なされている。最後のマンガを描いてから30年以上が経つつげは、マスコミやマンガ界とのほとんどすべての接触を拒否し、親しい友人の間で連絡を取り合うだけで、世間の監視から「消える」ことを試みている。「ZOOM JAP
作家名デビュー年代表作長谷川町子1935年『サザエさん』『いじわるばあさん』手塚治虫1946年『鉄腕アトム』『ジャングル大帝』『リボンの騎士』『火の鳥』『ブラックジャック』藤子・F・不二雄1951年『オバケのQ太郎』『パーマン』『ドラえもん』『キテレツ大百科』藤子不二雄A1951年『オバケのQ太郎』『忍者ハットリくん』『怪物くん』『笑ゥせぇるすまん』石ノ森章太郎1954年『サイボーグ009』『仮面ライダー』横山光輝1954年『鉄人28号』『伊賀の影丸』『魔法使いサリー』『バビル2世』『三国志』松本零士1954年『宇宙戦艦ヤマト』『銀河鉄道999』さいとう・たかを1955年『ゴルゴ13』つのだじろう1955年『空手バカ一代』『恐怖新聞』『うしろの百太郎』赤塚不二夫1956年『おそ松くん』『ひみつのアッコちゃん』『天才バカボン』ちばてつや1956年『あしたのジョー』白土三平1957年『カムイ伝
ナショナル・キッド 作・貴瀬川 実 画・一峰大二 「ぼくら」講談社(昭和35年7月~36年12月連載) ◆NETテレビ(現 テレビ朝日)昭和35年8月4日~36年4月27日木曜日午後6時15分より30分間 太地喜和子も出演していた。提供はもちろんナショナル(パナソニック)。それならブッダン・キッドが居ても良いと思うが・・・ま、金銭次第ですか・・・ (27) Nacional KID Abertura - YouTube 2019年8月30日のブログ記事一覧-花の四日市スワマエ商店街 (goo.ne.jp) 2019年9月3日のブログ記事一覧-花の四日市スワマエ商店街 (goo.ne.jp) 猿飛佐助 作・画 杉浦 茂 「おもしろぶっく」集英社(昭和29年3月~30年12月) 昭和28年12月出版の単行本が大ヒットし、翌年から連載が始まった。楽観的で明るいマンガだった。小学生の頃、布団をかぶ
昭和31年4月、大阪の日の丸文庫が、短編集『影』を発刊しました。初めはそれほどの売れ行きでもなかったのですが、ハードカバーから、安くあがりスマートさを狙ったA5版の巻カバーに変えると大ヒットしました。 『影』の後すぐ出た『街』は、関西のさいとうたかおや辰巳ヨシヒロら“劇画工房”の人たちでした。東京のマンガは、子供マンガの伝統を引く上品なマンガでしたが、関西の劇画は勢いがあるが下品でヤケクソでした。 発行部数は、最盛期時の昭和32年頃で『影』は8千部、『街』で6千くらいでしたから、実際、貸本で借りて読んでいるのはその30倍くらいあったと思います。 貸本マンガ家は二百人程いたと思いますが、全員が手塚治虫さんの影響を受けています。手塚さんを別格とすれば、「劇画」という名前を付けた弟の辰巳ヨシヒロでした。「影」や「街」の形を作ったのも弟です。 “劇画工房”の集団が、関西から東京へ出てから、さいとう
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く