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2018年2月12日のブックマーク (5件)

  • トップ - Hoshizora stand

    当カーニバルは、世界の有名なカーニバルと同様に、古代のカーニバルをルーツとする中世の伝統に由来しています。カーニバル期間中は、他人に迷惑がかからない範囲で、自由に自己表現することができます。お気軽にご参加ください! ゲームの紹介 会場では、子供から大人まで楽しめるゲームを多数用意しております。こちらで最も人気のゲームを一部ご紹介します。 ボール&バケツ・トス(Ball and Bucket Toss)– 景品やもう一度投げる権利を狙って、ゴムボールを投げてできるだけ多くのバケツに当てます。 ダーツ&バルーン(Dart and Balloon)– 景品を獲得するために、ダーツを投げてできるだけ多くの風船を割ります。 バスケットボール – 限られた時間内にできるだけ多くのポイントを獲得します。

  • 熱湯を回しかけるだけの“ニラのお浸し”が驚異の中毒性! 無限日本酒案件につき要注意なおいしさ

    記事はアフィリエイトプログラムによる収益を得ています 生のようで生ではない――絶妙な感の“ニラのお浸し”が「めちゃくちゃおいしい」と話題になっています。シャキシャキのニラと卵黄のまろやかさがクセになるレシピを早速作ってみましょう。 卵黄との相性がヤバすぎるニラのお浸し 用意するのは、ニラ、しょうゆ、白だし、卵。まずはニラを3センチくらいの大きさに切っていきます。次にニラをザルに移し、満遍なく熱湯を回しかけます。ニラがしんなりしたら、冷水で冷やしてから水気をしっかり切りましょう。 まずはニラを適当な大きさにカットしてザルにあける 熱湯を満遍なく回しかけて水気を切る 続いてお皿にニラを盛り付けます。このときガサッとワイルド盛っても構わないのですが、アルミホイルや厚紙、セルクルなどで丸くなるように盛り付けると、きれいに仕上げられますよ。 型を使って盛り付けるときれいな仕上がりに そして最後

    熱湯を回しかけるだけの“ニラのお浸し”が驚異の中毒性! 無限日本酒案件につき要注意なおいしさ
  • チョコレート寒天 (悪) #独身男性手作りチョコバトル - #つくりおき

    こんにちは.id:moznionです.#独身男性手作りチョコバトル ということで馳せ参じました. 「独身」「男性」に加え「手作り」そして普段の生活とは無縁の「チョコ」ということで,大変過酷な掟 <レギュレーション> であることが想像されます.しかし男にはやらねばならない時がある.世の中は常に見切り発車で,締め切りがあり,花は枯れ,風が止まり,恋人たちは消え,そして見積もりは必ず失敗する……それではやってみましょう. 日のゲストです.チョコレート,寒天,スパイスド・ラムです.脇に見切れている米麹は読者の皆さんにプレッシャーを与えるために登場してもらっただけなので,今回は使いません.しかしなぜ独身男性の家に米麹があるのか? それは以前誤って10kg発注してしまったためです.お陰で塩麹などを自分で作っている始末……どうして…… なおスパイスド・ラムについては以下のエントリに色々書きました.スペ

    チョコレート寒天 (悪) #独身男性手作りチョコバトル - #つくりおき
  • 「吉野家コピペ」17年の時を経てトレンドワードに! 生みの親に聞く

    そのようすを見たTwitterユーザーが「吉野家コピペ」の改編を投稿。「今の世代には通じない」など話題になりました。 そもそも「吉野家コピペ」とは吉野家コピペとは、17年前の2001年に流行したテキストのこと。ブログが一般的になるよりも前に、ネットには「テキストサイト」と呼ばれる、文章だけをアップする個人のホームページが流行していました。 そのうちのひとつで公開されたこの文章は、その特徴的なリズムから一躍大人気に。当時のネットの雰囲気を象徴する文化のひとつとされています。 以下、吉野家コピペの全文です。 昨日、近所の吉野家行ったんです。吉野家。 そしたらなんか人がめちゃくちゃいっぱいで座れないんです。 で、よく見たらなんか垂れ幕下がってて、150円引き、とか書いてあるんです。 もうね、アホかと。馬鹿かと。 お前らな、150円引き如きで普段来てない吉野家に来てんじゃねーよ、ボケが。 150円

    「吉野家コピペ」17年の時を経てトレンドワードに! 生みの親に聞く
    reffi222
    reffi222 2018/02/12
    オチの付いた良い記事でした
  • 画像で見る「神武天皇陵」でっち上げの経緯 - 読む・考える・書く

    神武陵にされる前のミサンザイ 「文久の修築」による変貌 改変が繰り返される「神武陵」 広大な森を新たに造成 演出される「神秘」「荘厳」 幕末の下級武士たちがでっち上げたペテン 神武陵にされる前のミサンザイ 式年祭についての記事でも書いたように、現在の「神武天皇陵」は、幕末の文久2(1862)年、恐らく神武の埋葬地ではない「ミサンザイ」に決定された。その後、明治から昭和にかけて、このミサンザイは巨大で荘厳な「天皇陵」に作り変えられていくことになる。 まず、この地が神武陵に比定される前はどうだったか。「文久の修築」前の状態を示す絵図が残っている[1]。 当時のミサンザイは、田圃の中の小さな塚に過ぎない。そこには榎一と茨のような灌木が一株生えていた[2]。ちなみに、旧洞村の古老の話によると、ここはもともと糞田(くそだ)と呼ばれており、牛馬の処理場だったかも知れない[3]、という。 「文久の修築

    画像で見る「神武天皇陵」でっち上げの経緯 - 読む・考える・書く
    reffi222
    reffi222 2018/02/12
    なるほど、行ったときにうさんくささを感じたわけです