世界に対する信頼の形 人間関係における判断基準の一つとして、「人の本性は善であるか、悪であるか」というものがあります。 日常会話の中でも、よく「性善説」「性悪説」といった単語が出てきますが、これは、 「人は善に傾きやすく、利他の心で行動するであろう」と推測する判断基準を「性善説」。 「いや、人は悪に傾きやすく、私利私欲で行動するであろう」と推測する判断基準を「性悪説」。 といった意味合いで使われているのだと思います。 ※この二つの言葉は、元々は儒教に由来する言葉であり、性善説は「孟子」、性悪説は「荀子」が唱えたものです。本来の意味は、上の例とは少し違った意味がありますが、とても一言で語れるものではありませんので、ここでは触れません。 これらの判断基準は、個々が持っている「世界に対する信頼の形」とも言えます。世界を信頼している者ほど性善説を支持し、世界を信頼せず疑う者ほど性悪説を支持している