2017年3月10日のブックマーク (2件)

  • 翻弄されるオフコンユーザー

    出典:ITpro 2016年 12月 20日 (記事は執筆時の情報に基づいており、現在では異なる場合があります) オープン化の波の中、オフコンベンダーが収益性の悪化した事業から撤退するのは理解できる。ただ数十年間使い続けてきたユーザーの困惑は大きい。 1993年ころの最盛期には毎年8万台を出荷し、オフコン市場を引っ張ってきたNECも2015年3月に最終モデルを出荷した。オフコン事業が幕引きされた時、ユーザーはどう対応したのか。三つの事例で見ていく。 「オフコンユーザーで集まりたい」の願い届かず 「40年近く当社の基幹業務を支えてくれたNECのオフコンには感謝しかない。ただ、移行パスが示されず、今後に不安を感じているのは事実」。紡績糸を製造・販売する新内外綿(大阪市)で営業戦略室課長兼業務部課長(内部統制・IT)を務める安田修治氏は、複雑な表情を浮かべる。

    翻弄されるオフコンユーザー
    renya
    renya 2017/03/10
  • 撤退か継続か、判断分かれるオフコンベンダー

    出典:ITpro 2016年 12月 19日 (記事は執筆時の情報に基づいており、現在では異なる場合があります) オフィスコンピュータ、略してオフコン。日ベンダーが「独自OS、独自CPU、独自きょう体」という独自路線で作り上げた小型コンピュータは、1960年代から1990年代に全国の中堅中小企業や工場の情報化を後押しした。 数十のベンダーが市場に参戦。オフコンを売り、その上でシステムを構築する販売店(ディーラー)網を築いた。ラインプリンターやFD(フロッピーディスク)、モデム、POS(販売時点情報管理)レジ、ハンディーターミナル、UPS(無停電電源装置)――。販売店は次々と生まれる周辺機器を使い、多様なシステムを作り続けた。 最盛期の1990年代、シェア3割を握る富士通は1974年の参入から「累計で50万台出荷に沸いた」(神尾彰一エンタプライズシステム事業部基幹サーバ事業部オフィスサー

    撤退か継続か、判断分かれるオフコンベンダー
    renya
    renya 2017/03/10