つながりを生きるためには、党派の分析が要る。 「ひきこもりの治療」や「全面肯定」が、関係者への洗脳のかたちをしていないかどうか。 つながりを生きることは、必ず党派性を生きることになっている。 ひきこもる人は、孤立したカルト的党派。 意識生産の指針がお互いひどく似通うのに、連携できない。つながるとしても、その連携パターンがひどく固着していて、集団的方針をいつの間にかなぞっている*1。 「党派はいけない」というだけでは、自分だけは党派的でないみたいな言い分になる。党派性は、いつの間にか生きている無意識みたいな傾向性であり、自分の語りはすでに一定の選択を終えたあとの姿をしている。つながりを創るとしたら、そこを資源とするしかない。そして、党派性の分析を共有できるかどうか。 「科学vs現代思想」 「大陸系vs分析哲学」だけでなく、精神分析、現存在分析、制度分析、分裂分析など、分析指針それ自体が派閥を