学部時代の2年間、私はある放送局の国際部でアルバイトをしていた。昭和天皇の崩御から天安門事件、「ベルリンの壁」の崩壊まで、歴史的な出来事が相次ぐなか、ジャーナリズムの道に進むか、大学院留学を目指すか迷っていた自分にとっては極めて有意義な経験となった。 ただ、結論からいえば、私はジャーナリズムの道を諦めた。理由は色々あるが、学生ながら幻滅した現実の1つに「プール方式」というのがあった。加盟局が幹事を決め、各局の特派員が取材リポートを順送りで送信するシステムだ。コスト面からやむを得ないとしても、同じ立ち位置から同じ情報が発せられる様は私が憧れていたジャーナリズムの姿とはあまりにかけ離れたものだった。懇意にしていた上司に疑問をぶつけると「“ジャーナリスト”なんて言えるのは、うちの会社でもせいぜい2、3人だよ」と諭された。 あれから20年ほどの歳月が流れ、ネット世代の学生を教える立場になって痛感す