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FacebookとWebに関するrikuoのブックマーク (5)

  • ニュース - 乱射事件:誤報された人物のFacebookが炎上 (WIRED.jp):ITpro

    乱射事件の犠牲者を悼んで半旗を掲げるオレゴン州の公立図書館。画像はWikimedia Commons コネティカット州ニュータウンで起きた小学校銃乱射事件で、疑わしい人物の情報をメディアが一斉に探すなか、いくつもの報道機関が、名前が似た人物の「Facebook」のページを誤認。そのページにはすぐに糾弾や殺害の脅迫が集まった。 現在、銃を乱射したのはアダム・ランザ容疑者(20歳)と報じられている。しかし、容疑者は学校に侵入した際に、兄のライアン・ランザ(24歳)の身分証明証を持っていたため、警察は当初、ランザ容疑者をライアンさんと取り違えていたという。 間違いが判明する前に、CNNやHuffington Post、Slateといったニュース機関が、ライアン・ランザという人物のFacebookページを取り上げた。 Huffington Postは間違いだとわかるまで、「ライアン・ランザの

  • ザッカーバーグ氏の「HTML5に賭けたのは失敗」発言には続きがある。長期的にはHTML5への期待も語る

    ザッカーバーグ氏の「HTML5に賭けたのは失敗」発言には続きがある。長期的にはHTML5への期待も語る これまでFacebookはiOS向けのアプリをHTML5ベースで開発していましたが、起動が遅い、反応が重いなど不評でした。そこで方針を転換。8月にリリースされた新バージョンは性能を重視してネイティブアプリケーションとして開発されました。 ザッカーバーグ氏はこの、HTML5で開発するという方針を指して「HTML5に賭けたのは失敗」と発言したわけです。 ザッカーバーグ氏の発言のここだけを見れば、FacebookはこれからHTML5を捨ててネイティブアプリへ注力するように受け取れます。しかしザッカーバーグ氏のこの発言には続きがあります。そこまで聞くことで、当は何を言いたかったのかがはっきりしてきます。 彼の発言を、TechCrunchで公開されているビデオから追ってみましょう(ビデオはこの記

    ザッカーバーグ氏の「HTML5に賭けたのは失敗」発言には続きがある。長期的にはHTML5への期待も語る
  • ネットのプライバシーなんて本当に守れるのだろうか? - 続・はてなポイント3万を使い切るまで死なない日記

    ネットでプライバシー侵害とセキュリティについての議論であれば、高木浩光氏のブログが素晴らしい。氏の議論は技術的な解説だけでなく法律的な側面からもいろいろな実例を紹介しており、まあ、総論としては、とても素晴らしいとしかいいようがない。氏の指摘により、ネットサービス側も、先日のはてなブックマークのように仕様変更をせざるを得なくなったケースも多くみられてネット社会に貢献しているサイトである。 少なくとも国内のネットサービス事業者においては氏の活躍により、プライバシー侵害についての意識が高まったことは間違いなく、今後も大いに活躍してもらいたいと思うのだが、やはり世の中の流れの全体としては、ネットのプライバシーなんて事実上なくなっていく可能性が高いなと、この前、Facebookを触っていて思った。 一昨年になるか、ぼくがFacebookのアカウントを取り直したときに気づいたことがある。自分の名を入

    ネットのプライバシーなんて本当に守れるのだろうか? - 続・はてなポイント3万を使い切るまで死なない日記
  • not Haruki - 私たちの知っているウェブの終わり

    Facebookのこと、どれだけ知っていますか。Faebookの個人情報の扱い方、 調べた事はありますか 。 きっと日の方は総じてあまりよく知らないんじゃないかと思います。何を隠そう、僕もそうです。 けどそんな僕らだからこそ、この記事を読む義務があると思うんです。 だから翻訳しました。インターネットを住まいとする一人の市民として、 自分の身を守れるように。 原題:It’s the end of the web as we know it 著者:Adrian Short 自分のドメインを持っているなら、あなたはウェブの一級市民だ。家主で地主だ。 自分のサイトでできる事は法と常識にのみ制限される。自分の好きなコンテンツを投稿できる。 自分の好きなソフトウェアを走らせれる。カスタマイズされたソフトや自作のものでも大丈夫だ。 ビジュアルも自分の意思通りにできる。 自分でウェブホスティングサービス

  • 規則を守れ厨の増加が意味するものは、ネットのフロンティア時代の終わりかもしれない | blog.yuco.net

    facebookの古い悪習に、僕らがNo!と言う理由 – しっぽのブログのブックマークコメントなどにたくさん見かけられる、「Facebookは実名で使うもの。ハンドルネームで使いたいという考え自体が間違っている、だったら使わなければ良い」みたいな考え方の人たちを見て軽くイラッとしていたのだが、「ネットのルールは自分たちで考え、働きかけて決めていくものだ」という考えがない人もいるんだろうなと気づいた。 かつて著作権に関する議論などでみられたように、2000年代前半までは、ネットでの議論に「ネットのルールは自分たちが作る」という雰囲気があったと思う。 弱小SNSならともかく、Facebookのような大規模SNSのルールは、ネットのかなり大きな部分を占めるルールだから、与えられたままではなく自分たちで働きかけていこう、という気風。レッシグを参照したりとかね。 でもその後「ネットでは与えられたもの

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