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licenseと哲学に関するrikuoのブックマーク (1)

  • ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記

    オープンソースの要であるGPLは、コードという知的財産を独占させないためのものであるとカネゴンひとまず理解しているが、憎まれっ子世に憚る、あの手この手で基的には数式と変わらない(数式には基的に特許は認められない)ソフトウェアを独占(というより「隠す」という方が正しい)しようとする動きは止みそうにない。純粋に「誰のものでもない」ものにしようとすると(GPLがそれを目指しているわけではないが)、そういう誰かのものにされてしまう可能性があるがために、仮にでも「誰かのもの」にしておく必要があるということだろう。 江戸時代には、面白い数学の問題を考えたりそれを解いたりしたら、絵馬に描いて神社に納めるという美しい習慣があった。果してGPLはオープンソース神社に絵馬を奉納する行為に相当するや否や。「誰のものでもなけりゃ、とりあえず神様のもんということにしとくべ」という考え方は、どうもキリスト教圏内で

    ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記
    rikuo
    rikuo 2011/10/21
    『GPLに「奉納」という概念を持ち込み、オープンソース神社を建立しようではないか。』
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