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historyと戦争に関するrosemariefairyのブックマーク (3)

  • 死者の声を運ぶ小舟 (Published 2020)

    広島の原爆の日は8月6日。長崎は8月9日。そして終戦の日が8月15日。日にとって8月は、死者を思う季節である。 当なら今年、75年めの原爆の日を、私たちは東京オリンピックの期間中に迎えるはずだった。しかし、新型コロナウイルスの蔓延によりオリンピックは延期され、思いがけない静けさの中で人々は、死者のために黙祷を捧げることになった。 1964年の東京オリンピック大会で聖火の最終ランナーを務めたのは、19歳の、無名の陸上選手だった。その青年は、原爆投下の当日、広島で生を受けていた。真っ白いランニングシャツと短パンを身に着け、聖火台に続く長い階段を駆け上がる彼の姿は、実に清潔で、均整がとれ、全身に若々しさが満ちあふれていた。この映像を目にするたび、敗戦からわずか19年で、世界中の人々が集まるスポーツの祭典が日で催された、という現実に驚かされる。人類が経験したことのない徹底的な破壊の中から誕生

    死者の声を運ぶ小舟 (Published 2020)
  • あの夏、僕は母と妹を殺した。70年間、語ることのできなかった戦争の記憶

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    あの夏、僕は母と妹を殺した。70年間、語ることのできなかった戦争の記憶
  • はり重のテキ|おっさん画報|菅野完

    祖父は寿司屋の大将であった。寿司屋といっても白木のカウンターがあって、清潔な三和土の上に行儀のいい椅子がならんでいるなんてのを想像してはいけない。全席テーブルで、うどんもあれば中華そばもあり、オムライスも出せば、焼肉定も出す。客といえば近所の人達であり、駅近くという立地から電車を待つ間に通勤客がラーメンを啜って行く。いわば「駅前堂」。看板には「寿司 丼物 うどん そば、麺類一式」とある。関西にはこの種の店が、昔は沢山あった。 子供の頃、この祖父に随分とかわいがられた。なにかあれば「美味しいもん、いに行こか?」と言う。奈良のそれも吉野という辺鄙な場所にある田舎の駅前堂といえども、高度成長期の波に乗ってそれなりの財もこしらえている。今から思えば金満家であった。年端もいかない我々孫たちを、大阪や京都の名だたる名店にどしどし連れて行く。当時の私はまだ10歳やそこら。「大人の世界」に連れて行

    はり重のテキ|おっさん画報|菅野完
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