2016年12月8日のブックマーク (2件)

  • 「正しいことを幸せだと思っている」真面目さと、生きづらさの正体。

    私はとても真面目だ。制服のスカートを折ったことも無いし、メイクをして学校へ行ったことも無い。課題は確実に出していたし、授業中自分から話したり、先生に横暴な態度を取ることも無かった。 私は母子家庭で育ったが、祖母と兄と母と一緒に暮らしていて、親戚同士の仲も良好だったため、たくさんの人に愛されて育ってきたと自負している。小学生の頃いじめられ、中学校に入ってから全く学校に通えなくなった時も、母が私のためを思い「どうして学校に行かないんだ」と怒られたことがあるこそすれ、無理やり学校へ行けと怒られたこともなく、なんなら「中学三年間なんてこれからの人生に比べれはちっぽけな時間なのだから、ゆっくり休めばいい。好きなことをしなさい」と言ってくれたおかげで、私は無事に高校へ進学した。 多少の家庭問題はあれど、それでも余るくらいに私は愛されてきた。ひきこもろうがどんなに反抗しようが、それでも常に私の心配をして

    「正しいことを幸せだと思っている」真面目さと、生きづらさの正体。
    rpvke
    rpvke 2016/12/08
  • 誰かのことは永遠にわからない(けれども諦めたらそこで試合終了だよ) - 腐ハウスブログ

    昨日、私の地元の同級生が出産した。 集落で中学卒業まで一緒に育った、たった11人しかいない同級生のひとりである。去年に結婚した。結婚相手は隣の集落の材木屋の息子で、熊市内の式場で行われた結婚式の折、その材木屋繋がりの出席者のおっちゃんが「○○君は材木色のスーツがよう似合っとるですが」と新郎を賞して言ったことが今も印象深く私の胸に刻まれている。材木色ってなんだ。(確かに新郎の衣装はちょっと茶色ではあった) 彼女は看護師をしており現在は町立病院で働いている。都会ではあまりないだろうが、高校から看護の専門課程を学び高校3年間+2年間の専門課程、合計5年ですぐに看護師になれる学校というものがいくつかあり、彼女はそこを卒業して看護師になった。ちなみに、11人しかいない同級生のうち、3人が中学卒業後その進路を選び看護師になっている。 結婚式には病院の上役も招かれており、「○○さんには当によう働いて

    誰かのことは永遠にわからない(けれども諦めたらそこで試合終了だよ) - 腐ハウスブログ
    rpvke
    rpvke 2016/12/08
    幸せは自分で決める事だけれど、それでも、数年後の高校卒業後をフリーターだよと子供達をみるとやるせなくなってくる。教師の指導範囲とは、答えのない問いを悶々と考えてしまう。様々な分野から意見を聞きたい。