子供と随筆に関するrunt_ncのブックマーク (21)

  • 無印良品のランドセルの思い出 - プロムナード

    ワークマンが8,800円のランドセルを売り出すというニュースが「はてなブックマーク」で話題になっていた1。そのニュースに対する反応を見ていて思い出したのだが、私も無印良品の安いランドセルを使っていた。それについて書く。 今ではもう売っていないようだが、かつて無印良品ランドセルを取り扱っていた。一般にランドセルは数万円するところ、無印のランドセルは当時6,150円だった。私は2005年に入学したのだが、ちょうどその年の新入生に合わせて発売された製品のプレスリリースがインターネットに残っていた。 出典:良品計画プレスリリース 6歳の私はどう思っていたか。ませた子供だったので、これがランドセルの相場に比してかなり安いらしいということは理解していた。でも普通のランドセルよりむしろかっこいいなと思っていて、わりと気に入っていたように思う。 ところで、なぜ親は数あるランドセルのなかでこれを選んだのだ

    無印良品のランドセルの思い出 - プロムナード
  • 最近人の親になったけどあの時の親の気持ちがやっぱり全くわからない

    中学3年のときの話。 学園祭が終わった夜、部活の同級生4人でオールをしようということになりカラオケか雀荘か漫喫に行く流れでまとまったのだが(今は知らないが、当時は詰襟のままでも平気で入れてくれる所は新宿渋谷池袋あたりの繁華街まで足を運べば必ずあった)、1年生の後輩が自分も付いて行きたいと言い出した。 「お前は家に帰れ」と皆で説得したけれど、どうしても一緒に行きたいとテコでも動かなかった。結局、「学園祭の日だから特別に親の許可が出てるんです」の一言で仕方なく後輩も仲間に入れることにした。 翌朝、俺は母親に叩き起され、顔を真っ赤にした父親から今までの人生で一番迫力のある説教を喰らい、挙句ビンタまで御見舞された。 後輩の母親が俺の家へ「嫌がってるうちの子を無理矢理朝まで連れ回すとは何事か」と猛抗議の電話を寄越したのだ。 週明け、早速俺は昼休みに後輩のところへ行き 「お前とはもう絶対に遊ばないけど

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  • レズカップルに育てられた人

    一応今も仲良くしてるものの、女親2人っていうのがしんどくて家を出た。ビアンって言えとか主張は各々あるだろうけど、ここではレズって書く。 登場人物は 自分→女でノンケ 親1→レズのメンヘラで血が繋がってる 親2→レズのモラハラで血が繋がってない 特殊すぎて身バレしそうだから多少フェイク混ぜます。 レズカップルの家庭って言うと「お母さん2人だね」っていい話し風になるんやけど、提供者の精液をスポイトでぶち込むみたいな方法で親1の腹から生まれたので、自分の感覚としては母親+同居してる女の人って感じになる 結局は産んだ方と接する機会が多いし、「母親が2人ですよ」って言われても意外とピンとこなくて、同じように甘えたりはできない。かといってもう1人からは父性みたいなのも感じないから父親代わりじゃないな、みたいな? 家族ってある程度は能で理解するのであって、理屈じゃないんだなと保育園くらいから思っていた

    レズカップルに育てられた人
    runt_nc
    runt_nc 2023/08/03
    ご苦労様としか言えない。 / “同性愛者の聖人化みたいなのはあんまり良くない” これは本当に前からずっと思ってて、同性カップルの養子縁組みたいなエントリにつくブコメ見ては当事者ながら辟易としている。
  • 親がDVして勉強すると罵られた俺が救われた時の体験は

    https://anond.hatelabo.jp/20230721191432 この増田を読んで、自分の人生を振り返ってしまった。 俺の父は母に暴力を振るう男だった。母は母で、そのストレスを俺にぶつけた。 父はじゃれ合ってるだけ、と言ったし、母はじゃれ合ってるだけ、と言っていた。俺も、心の片隅で、人を殴る程度、じゃれ合ってるだけだろ、と今だに感じることがある。 両親は、勉強にたいしてコンプレックスがあった。『勉強なんか何の役にも立たない』が口癖で、 かといって、スポーツ等の習い事に金を出してくれるわけではなかった。 家で宿題をやろうものなら、2人は半笑いで『馬鹿が宿題なんかやっても無駄』だの、『俺は宿題を一度もやらずに卒業した』だの言って、俺を罵った。 『友達を大事にしろ』などと言っていたが、実際に家に友達を連れてきたら、友達連中に対して、チビだの、不細工だの言って笑っていた。 俺が大事

    親がDVして勉強すると罵られた俺が救われた時の体験は
  • 親友の思い出

    小学校4年生まで、とある市の最南端に住んでいた。 当時住んでいた家は北側道路の家で、南側には子どもが遊ぶには申し分ない広さの公園があったのだけど、その公園は完全に別市の管轄だったから、当の当に最南端にある家だったんだと思う。今はもう取り壊されて無くなっちゃったけれど。 わたしには、公園を挟んで向かいのアパートに住んでいる同じ歳の友達がいて、小さい頃からよく遊んでた。 わたしの家からダッシュで1分もかからない距離のアパートなのに、彼女はわたしと住んでいる市が違って、同じ小学校には通えなかったんだけどね。でも、一番仲の良い同級生だったから、学校が終わってからは各々家にランドセルを置いて、公園に集合して暗くなるまで一緒に過ごした。 お互いの家を行き来してDSで通信することもあったし、少し歩いたところにある屋さんでファンシーな文房具を見たり、駄菓子屋に行ったりもしてた。狂ったように2人で手を

    親友の思い出
  • 小物臭溢れてた同級生の思い出

    小学生から中学生くらいのときにボーイスカウトに参加してた。 ボーイスカウトは地域の活動なので色んな学校の子供達がバラバラに集まって月1くらいでキャンプをしたりする。 なので普段は学校でどんなキャラなのかもお互いわからないまま共同作業や共同生活をする。 しかし所詮は同じ地域に暮らす同年代なので部活とか塾とかでの他校の生徒との交流で学校ではこういうやつなんだみたいな話は耳に入ってきたりする。 そしてここで仮にA君とするがボーイスカウトの同学年の一人が学校では小物臭溢れるタイプであるらしいことを聞く。 クラスではちょっと浮いている。 クラスの輪にはなかなか入れていないが先生がいるところでは杓子定規な意見を率先して述べてアピールしたがる。 誰が掃除をサボっていたとか学校の備品を乱暴に扱う遊びをしていたとかの告げ口をする。 なのでクラスの輪からはますます蚊帳の外にされる。 学校ではそんな感じのやつだ

    小物臭溢れてた同級生の思い出
  • 子供はアシが無くて移動出来ないのわりかし虐待だと思う。

    田舎暮らしだったんだよね。移動のメインが車で、電車もバスも役に立たない地域。 18歳以上にならないと車の運転出来ないし、最低でも16歳にならないとバイクの免許も取れない。生まれてから16歳まで自転車しか無いのよ移動手段。 当然親は自分が行きたい場所にしか行かないし、誰も指摘しないけど無自覚に軟禁してんだよねこれ。一番成長率の高い子供から学びを奪ってるのでわりかし虐待だと思う。 みんな1度は子供で皆思う事なのに、こういう不便って誰も言わないし聞いた事無い。 多感な時に移動できないってのは未来を奪ってる様なもんで。せめて10歳以上から乗れるような乗り物を考えて欲しいね。

    子供はアシが無くて移動出来ないのわりかし虐待だと思う。
  • 虐待といういいかたは違うと思うけど、文化レベルが全く異なってしまうの..

    虐待といういいかたは違うと思うけど、文化レベルが全く異なってしまうのは事実としてある。 電車もバスもあって、中学生や高校生で映画館とか博物館とか美術館とかスポーツ観戦とかに日帰りで気軽に行ける場所は恵まれてる。 自転車でいけばいいとか、チャリでどこまでも行けるとか、田舎を知らない人間の意見すぎる。 山間のド田舎育ちの人間からすると、自転車は交通手段にならない。なぜなら坂道が多すぎるし、そもそも人間が歩くことすら想定されてない道が多すぎるので。人が全然歩かないので歩道の整備があまりされてない。あるのは狭い車道。スーパーとかも自転車置き場は存在しない。みんな車だから広大な駐車場はある。 それなりに栄えてる地域に行くまでに、車で走ることしか想定されてない道か、そうでない完全な山道などを走る必要があり、自転車や徒歩で行くなんてとても気軽にできることではない。暗くなったら特に遭難や事故による死の可能

    虐待といういいかたは違うと思うけど、文化レベルが全く異なってしまうの..
  • 小6息子が不登校になった

    きっかけはいじめ。イジリに近い。積み重なって人には辛かったようだ 突然の腹痛、嘔吐。 病院にかかっても異常なし→精神的なものだろうと判断される 児童思春期外来で処方とカウンセリング開始。並行して学校側と連携していじめを潰す。加害者側に謝って貰い、息子人も一応納得した模様 でも、学校に行けない。 クラスの担任はとても協力的で、カムバックしやすい雰囲気を作ってくれていたように思う 家まで迎えに来てくれる友達もいた 嘔吐腹痛が治り、最初は2時間登校から始めて徐々に増やして行く…を半年程頑張ったところで今度は起立性調節障害を発症。欲も無くどんどん痩せて行く これは緩やかな自殺だな、そんなに学校が辛いならもう行かなくて良いのではとの境地にいたり登校を促す事をやめる。そして完全不登校に。 家では楽しそうにしてるんだよ 好きなゲームしてyoutube観てプラモ作って。勉強はほんとに時々。 自分の子

    小6息子が不登校になった
  • ゲイは悩まなくちゃだめ?当事者が描くエッセイ漫画 | HELiCO(ヘリコ) - あしたがちょっと健康に

    「自分は周りと違う気がする」と感じたとき、みなさんはその違和感とどう向き合っていくでしょうか。周りの目が気になって思い悩んだり、悩みを隠して苦痛を感じたりする人もいるかもしれません。 一方で、ゲイ当事者であり漫画家のおくらさんは、少年時代を振り返ると、自身の性的指向について「あまりつらいとは感じていなかった」と話します。悩みを抱えてしまう人も多いなかで、おくらさんはどのように折り合いをつけて過ごしていたのでしょうか。子どもの頃に感じていたことや、大人になったいまだから思うことなどをコミックエッセイにしていただきました。 漫画家。自身のwebサイトに掲載したゲイの高校生が過ごす学園生活を描いた漫画『そらいろフラッター』が原作となり、スクウェア・エニックス発行の雑誌『月刊ガンガンJOKER』で連載。現在は、ゲイかもしれない息子をもつ母親の立場から描いた漫画『うちの息子はたぶんゲイ』をweb雑誌

    ゲイは悩まなくちゃだめ?当事者が描くエッセイ漫画 | HELiCO(ヘリコ) - あしたがちょっと健康に
  • 村という逆境

    徳島文理からスタンフォード行った子が結局親金じゃないかと言われてることに関してツイッターを眺めていた。そしたらこういうツイート(メモ画像なので検索しても出ない)を見つけた。 『人口1000人の村の子の「四国からスタンフォード行った人テレビで見て僕も交換留学行ってみようと思って!」という言葉を聞いたことがある身としては、彼女を持ち上げていた社会はきっと間違いじゃなかったと思っています。』 これを見てうっかり過去の記憶が開いてしまったので、思い出し自分語りをする。先に言っておくがオチはない。 小学生の時に、私は親の都合で地方都市から学年人数1桁の小さな集落の小学校に転入して、1年で元の街に戻った。計画的な滞在であり、長いキャンプのような経験だった。私は自閉傾向があり対人関係に失敗していることにも気づかない有様だったが、勉強で苦労したことはなかった。1桁人数の同級生の中で、私は「街から来た頭のい

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  • 近所のおばさんがやってる個人の塾

    今日のはてなブックマークで盛り上がっていた、笑い飯の哲夫の塾の記事を読んでいて、ふと思い出したから書き留めておく。 https://news.yahoo.co.jp/articles/0ebb8f0cfa9377ae6d317df08076ee6809847ddd >>それともう1つ、僕が小学生のときに通っていた近所の塾が原点になっています。塾代が月3000円くらいで近所のおばあちゃん先生が教えてくれて、授業をするというよりは分からないところを教えてくれる場所でした。そういう地域密着型で、料金が安くて、「勉強の仕方」を教えてくれる塾ができたらいいなという思いがありました。<< うちの近所にもこういうのあって、通ってたよ。懐かしい。 もともとは近所のおばさんがやってたそろばん塾で、月謝3000円で週3回、1回1時間という今思うとハチャメチャな値段だった。 そのおばさん

    近所のおばさんがやってる個人の塾
  • 児童ポルノの被害者だけど萌えキャラのポスターが児童ポルノだとはどうしても思えない

    日記名で言いたい事の7割ぐらいは言ってる様な気もするけど、自分語り込でダラダラ書かせて下さい。 自分は男で今はオッサンなんだけど、昔は少年でした。 で、所謂児童ポルノのビデオに出演させられていました。 さすがに番とかは無い…いやかなり際どいのはあったけど、直接はしてない筈。(自分自身で記憶を封印してるとか無ければ) 裸で風呂に入ったり…とか、トイレしてる所…とか、女装させられて…とか、そんなのです。 今でももうちょっと温い形でイメージビデオみたいな形でジュニアアイドルの子とかが出てたりしてる様ですが、ああいったビデオのもうちょっと過激な代物だと思って下さい。 当然そんなの自分で出たいと言った訳でも無いですが、母一人子一人の、所謂シングルマザー家庭で、自分にとっては一緒に暮らす唯一の家族で親な母です。 逆らえる訳も無く…というか出るの嫌がったら殴られたりされてたけど。母が業者とかに自分を売

    児童ポルノの被害者だけど萌えキャラのポスターが児童ポルノだとはどうしても思えない
  • いじめが問題になった学校出身です

    旭川の事件を知って思い出した。 自分、一時期世間を賑わせたいじめが問題になった学校の出身のものです。 前提として荒れてる学校だった。 近くに国立の附属中があって、こだわりある子供はまずそっちに行ってた。 私たちの学校に来る子は家が近かったり、こだわりがなかったり、附属中なんか悪い意味で眼中に無い子達も多かった。 そんな学校だから、成績ももちろん低くて私たちの学校の価値観で言うと県で50くらいの高校に入る子はそれなりに頭がいい子、偏差値43.4が普通、55-は神様みたいな領域ぐらいには低かった。 クラスメートも1人2人は授業に参加しない子がいたり、30歳と付き合っていることを大っぴらに話す子やタバコ酒自慢も結構あった。 授業もできないから先生たちは口うるさいヤンキーグループを抑えながら授業するしかなくて、刺激しないように接してたらそれを馬鹿な中学生の頭では「自分たちは先生に認められた」と勘違

    いじめが問題になった学校出身です
  • 「感想は個々人で勝手に持っている」は真だと信じている

    異性関係でボロ雑巾になっていて、ここんところとにかく自信を失っていたところの私が、唯一と言っていいほど自信を持っているのが読書感想文だった。そんな中、光属性の例の増潤を見て、ひとしきり笑ってひどい虚しさを覚えた私が、滅びよ人類と思いながら酒を片手に読書感想文に関する増田を勢いで書くのは、必然だったのだろう。あんなにブクマが付くのは完全に想定外だったが。 今でこそ読書感想文は自信があるが、昔は苦手だった。あらすじ書いて、作者が伝えたいことはこれじゃないか、みたいな書評もどきを書いていた。そのころの感想文なんて、「○○は「A」と、言いました。××は「B」と、言いました。でも当は、BじゃなくてCです。××はうそをつきました。」とか書いてた。あまりにもわからなくて、親に聞いたら「これは感想文じゃない」だ。そのとおりだが、書き方がわからなかった。「感想文なんだから感想を書くんだよ。」そうなんだよな

    「感想は個々人で勝手に持っている」は真だと信じている
    runt_nc
    runt_nc 2020/08/23
    勢いが好き。 / 手を伸ばせる届く人ってどうしても限りがあるし、諦念込みでやってくしかないとこある。
  • 時が経つのがこわい

    時が経つのがこわい。時が経つにつれて大事だったはずのことを忘れていってしまっていることがこわい。 母親は気性が荒く、褒めるときはとても褒めてくれるが怒るときにはほんのちょっとしたことでもひどく怒鳴り散らした。蹴る、はたく、髪を掴むということもよくされた。僕よりも兄の方が好きで、兄の好物を優先したり、喧嘩して明らかに両方悪くても僕だけ怒鳴ったりした。はっきり言って母親が嫌いだった。憎かった。小学校のときに教師が「あなたのお母さんはうまく日語が話せなくてつい手を出してしまうかもしれないけど、あなたのことを思っているんだよ、愛しているんだよ」と言った。母は外国人だった。ふざけんなと思った。そんなことで暴力が正当化されてたまるかと思った。そんなことで母の愛を認められてたまるかと思った。身を持って母に愛されていない(少なくとも兄よりは)と実感しているのに、何も知らない外野に分かったようなことを言わ

    時が経つのがこわい
  • 父を許したい

    私は父を許したい。 大人になって就職して親元を離れてやっとそう思った。 父は酒は全く飲めず、ギャンブルはしない。たばこは吸うが家の中では吸わず、どれだけ寒く暑くても必ず庭で吸っていた。地方公務員で残業はなく、決まって18:30に家に帰ってきた。 母は専業主婦で、子供二人は私立短大と私立大学を奨学金無しで出してくれた。 これだけ書くと素晴らしい父親だと思う。 実際に嫌いではないのだ。父親の吸っているタバコと同じ香りがすると懐かしいなぁとさえ思う。 父に暴力を振るわれたことはない。だからDVを受けてきた人からしたら「なんだそんなことか」になるのかもしれない。 だから大したことない。もっとつらい思いした人はごまんといる。と思うのだけど、それでも時々父に対し黒い感情が沸き上がり、「許していいの?忘れてしまうの?」と諭す自分もいるのだ。 まず、父は外面がいい。 人前ではキレない。人前では怒鳴らない。

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  • 「今より一歩でも前に進みたい」そう願うことも、立派な夢。児童養護施設での生活を経験した西坂來人さんが伝えたいこと | soar(ソア)

    「今より一歩でも前に進みたい」そう願うことも、立派な夢。児童養護施設での生活を経験した西坂來人さんが伝えたいこと 私には、小学生の頃からの夢がありました。大学卒業後はその憧れていた職業に就くことができ、誇りを持って仕事に臨んでいました。当時の私は仕事のやりがいだけでなく、一番大きな夢を叶えたことで得た自信にも支えられていたように思います。 意気込みだけはあったものの、現場に出るとうまくいかないことばかり。乗り越えられない壁にぶつかるたび、自分を支えていたはずの気持ちはいつしか、心を縛り上げる鎖のようになっていました。心身が限界に達してからは、毎朝決まった時間に起きたり、ご飯をべたりすることも難しくなり、前向きに将来を考える余裕はありませんでした。 1日を終えるだけで精一杯だったあの頃、誰かにこんなふうに声をかけてもらえていたら、少しだけ自信を取り戻すことができたかもしれません。 夢は持た

    「今より一歩でも前に進みたい」そう願うことも、立派な夢。児童養護施設での生活を経験した西坂來人さんが伝えたいこと | soar(ソア)
  • 息子が発達障害で衝動性が高く加害傾向があった

    ズンズンがギィーするのをとめられないママ「子供が誰かを傷つけたとき 傷つけた人もその親も 実はすごく傷ついているんです」 加害する傾向がある子供を育てた親の育児談がまじで辛い…「これは言われても納得できないかも」の声も 息子は発達障害だった。小さい頃に近所の公園に何度か行った。お母さんたちのグループに挨拶して仲良くできれば…とは思ったけどだめだった。 いつもいつも息子が誰かを叩かないか怪我させないかとヒヤヒヤしていた。後ろをずっとついてまわった。お母さん同士で話をするなんてできなかった。 結局、何度か謝った末に、自分たちが歓迎されていないことがなんとなく解って公園には行かなくなった。夕暮れの人がいない時に遠くの公園にコソコソと歩いて行った。 息子は何度言い聞かせても何度真剣に怒っても他害が治らなかった。すぐ誰かを叩く。すぐ誰かを押す。言葉が遅いと指摘されていた。 何か伝えたいことがあるん

    息子が発達障害で衝動性が高く加害傾向があった
  • バカみたいだけど、弟と俺は違う人間だと気づいた

    自分語りしたくなった。 両親共働きで、ベビーシッターの人によくお世話されてた。それが普通だった。お世話になるのだから行儀良くしなさいと言われてたし、実際他人だ。冗談も言い合うし頼りもする、無理も言った。でも、それなりの距離感を取って暮らしてた。 他人が家にいるのもそれほど苦じゃなかったんだな。 暫くして弟ができた。俺が小学校にあがってすぐ産まれた。その数年はホントに幸せだった。帰ったら家に親がいて、色んな事を話したりした。 母のお腹がおおきい時は、一緒に名前を考えて、呼び掛けたりした。今の子はヒョンタなんて呼び掛けるのかな。俺の時代はそれが普通だった。 産まれたらオシメも替えた。うんちだったとき俺もビビって泣いたよ。小学生にうんちのショックは大きかったんだ。 成長して、母も仕事に復帰した。シッターさんと俺と弟で夕方まで一緒にいて、遅くに両親がそろう日常に戻った。 俺には日常だったが、弟には

    バカみたいだけど、弟と俺は違う人間だと気づいた