生と随筆に関するrunt_ncのブックマーク (74)

  • 途中で切れた。長いと切れるんだな。知らなかった。 ・総括 概観してみる..

    途中で切れた。長いと切れるんだな。知らなかった。 ・総括概観してみると、今の私を状態を説明する要点は、下記のようなものであると考えられる。 特性を持って生まれた子どもが、いわゆる体育会系の世界に入れられ、なまじ才能があったがために、支援が必要な特性について見過ごされたまま、強いストレスを肉体と精神の両方に受けることになったこと。 また、発達特性が仇となり、ストレスを軽減するための人間関係を作れず孤立したこと。 これらの要因により精神的な限界に達した時、受けた負荷が強いパニックの形で噴出してしまい、結局はそれが水泳を挫折する原因になったということ。 その後も必要なケアが十分には受けられなかったこと。 また、子ども当人(つまり、私)が、その負荷をむやみに強いられたと感じ、母親への不信を深め、その感情に向き合って修復する機会がないまま、成人後に関係を破綻させてしまったこと。 そして、これらの感情

    途中で切れた。長いと切れるんだな。知らなかった。 ・総括 概観してみる..
    runt_nc
    runt_nc 2024/06/19
    いわゆる「自分年表」を持ってきてくれと言う医師もいるらしいし、ボリュームについては気にしなくてもいい気がする。 / もし予後が良くなかったとしても、ぼちぼちで生きていって欲しいなと思う。
  • 発達障害、水泳、平成不況、リーマンショック、30代

    ・これは何か私の半生を占める水泳と、それがその後の人生に及ぼした影響について整理するために書いた記録である。 なお、当時は強いストレス下に置かれていたため、詳細を思い出せなくてぼんやりしている部分もある。 ・なぜこれを書いているか私は現在休職状態にあり、ADHDの診断を受けたところである。 精神科に通いつつ、投薬とカウンセリングの治療をおこなっている。 そしてカウンセリングを受けつつある今、自分がいまこうなっていることの底にはあまりに苦しかった水泳の記憶があり、それを直視することは避けては通れない道ではないかと思ったからだ。 (先生に直接「直視しろ」と言われたわけではない。ただ、「あなたの言葉はあなたの感情をひとことも説明しませんでしたね」、と言われ、その原因を自分で考えていたら、勝手にそこに行き着いたという話である) 正直に言えばそこに目を向けるのはめちゃくちゃ嫌で、前回のカウンセリング

    発達障害、水泳、平成不況、リーマンショック、30代
  • イエス・ノー遺影(イエス・ノー健一)

    anond:20230208195420 の続き】 仕事帰り、烏丸六角のファミマで買い物をしている最中に、この3年近く恒常的にセックスをしている男性から、「健一が亡くなったそうです」というLINEが入った。 この男性はどうにもこういうところがある。 身近な人間を基呼び捨てで呼ばわるところがある 母は「幸子」、母方の祖母は「ひさ江」、父方の祖父は「トメ吉」という具合に。ちなみに「トメ吉」については、まったく止まってはおらず、その下に「スエ」という妹がいる。 昔の人は、ある種なんとも露骨だ。 「子どもはもうこれ以上いらない」という気持ちを、今生まれてきた当の子どもの名前に込めてやるなよと私なんかは思ってしまうが、当人たちは一度避妊に失敗し、念押しのようにさらにその下に込めたりしているのだ。 現代なら「その名づけは虐待」とか普通に言われてしまいそう。 そういうふうにして、彼・彼女たちがそれぞ

    イエス・ノー遺影(イエス・ノー健一)
  • 毎日チキンラーメンを食べていた……

    20代で貧乏だった頃、毎チキンラーメンべていたことがある。 実家が微妙に健康志向であったので、子供の頃から袋麺やインスタント品自体を口にする機会があまりなかったからだろうか。大学生の頃、自分で稼いだ金でべるインスタント品やファストフードがめちゃくちゃ美味しかった。 会社勤めを始めた後も、零細に勤めてたのと、そもそも薄給で若者を働かせることが常態化していた業界だったので、慢性的に金がなく、それが不健康な生活に拍車をかけた。 なけなしの給料は、社会保障費と家賃と光熱費で消えていき、その残りで書籍を買うような生活だったから、夕飯を抜いたりすることが常態化していた。 そんな生活の中で、すごく重宝したのがチキンラーメンだ。当時、袋麺は5つセットで200円台、セールなら198円とかで買えたので、安い時に買いだめて、しょっちゅうべていた。 ある時、ひょっとしたら、毎チキンラーメンでもい

    毎日チキンラーメンを食べていた……
  • 漫画家・小林有吾先生による『アシスタント先で全然原稿を手伝えなかった話』に思わず泣いてしまう人たち「あだちとか先生すごい人すぎる」

    フェルマーの料理漫画公式】最新4巻9/28発売! @fermat_ryori 「月刊少年マガジン」にて不定期連載中『#フェルマーの料理漫画公式アカウントです!小林有吾が描く「料理」×「数学」新感覚グルメ漫画‼︎ 担当編集がつぶやきます。 ◆TBS系金曜ドラマ10月20日放送スタート!◆単行①〜④巻、絶賛発売中!◆ #フェルマーの料理 で感想いただけると嬉しいです🍝試し読みはこちら↓ pocket.shonenmagazine.com/episode/108341… リンク ameblo.jp 小林有吾オフィシャルブログ「1846」Powered by Ameba 小林有吾 YUGO KOBAYASHIさんのブログです。最近の記事は「私の先生(画像あり)」です。 3 users 10

    漫画家・小林有吾先生による『アシスタント先で全然原稿を手伝えなかった話』に思わず泣いてしまう人たち「あだちとか先生すごい人すぎる」
  • レズカップルに育てられた人

    一応今も仲良くしてるものの、女親2人っていうのがしんどくて家を出た。ビアンって言えとか主張は各々あるだろうけど、ここではレズって書く。 登場人物は 自分→女でノンケ 親1→レズのメンヘラで血が繋がってる 親2→レズのモラハラで血が繋がってない 特殊すぎて身バレしそうだから多少フェイク混ぜます。 レズカップルの家庭って言うと「お母さん2人だね」っていい話し風になるんやけど、提供者の精液をスポイトでぶち込むみたいな方法で親1の腹から生まれたので、自分の感覚としては母親+同居してる女の人って感じになる 結局は産んだ方と接する機会が多いし、「母親が2人ですよ」って言われても意外とピンとこなくて、同じように甘えたりはできない。かといってもう1人からは父性みたいなのも感じないから父親代わりじゃないな、みたいな? 家族ってある程度は能で理解するのであって、理屈じゃないんだなと保育園くらいから思っていた

    レズカップルに育てられた人
    runt_nc
    runt_nc 2023/08/03
    ご苦労様としか言えない。 / “同性愛者の聖人化みたいなのはあんまり良くない” これは本当に前からずっと思ってて、同性カップルの養子縁組みたいなエントリにつくブコメ見ては当事者ながら辟易としている。
  • 親がDVして勉強すると罵られた俺が救われた時の体験は

    https://anond.hatelabo.jp/20230721191432 この増田を読んで、自分の人生を振り返ってしまった。 俺の父は母に暴力を振るう男だった。母は母で、そのストレスを俺にぶつけた。 父はじゃれ合ってるだけ、と言ったし、母はじゃれ合ってるだけ、と言っていた。俺も、心の片隅で、人を殴る程度、じゃれ合ってるだけだろ、と今だに感じることがある。 両親は、勉強にたいしてコンプレックスがあった。『勉強なんか何の役にも立たない』が口癖で、 かといって、スポーツ等の習い事に金を出してくれるわけではなかった。 家で宿題をやろうものなら、2人は半笑いで『馬鹿が宿題なんかやっても無駄』だの、『俺は宿題を一度もやらずに卒業した』だの言って、俺を罵った。 『友達を大事にしろ』などと言っていたが、実際に家に友達を連れてきたら、友達連中に対して、チビだの、不細工だの言って笑っていた。 俺が大事

    親がDVして勉強すると罵られた俺が救われた時の体験は
  • 20年前に亡くなった母への後悔をつらつら書く

    母は20年前、増田が中学生の時にガンで亡くなった。享年40歳とかだったかな。若いよね。 なぜだか最近になって悲しさや後悔をぽつぽつ思い出すから、吐き出したくてこのエントリーをしたためてみることにした。オチはない。 ―――――― 増田が小学校高学年になる頃には母の入退院がはじまってて、父は仕事があったし、なおかつ妹弟もいたから家事は自分がやってた。よく考えたら今で言うヤングケアラー?周りからはあまり理解されなくて辛かったな。 ―――――― 当時は今みたいにネット環境がよくなかったんで、入院中のコミュニケーション手段として母と増田で交換日記をはじめた。 でも増田も学校や部活で忙しくて、かつ思春期の照れもあって、すぐに自然消滅してしまったんだよな。死んじゃうんだったら、もっと続ければよかった。ノートは取ってあるけど、後悔がでかすぎて封印してある。 というか、もっとたくさん会話すればよかった。面会

    20年前に亡くなった母への後悔をつらつら書く
  • それは社会と繋がれなかった精神障害者だよ

    https://anond.hatelabo.jp/20230504110406 はてなIDはもう10年以上前に削除済みのROM専だけど、今回トラバするためにわざわざIDをもういっぺん作ったよ。 身内に統合失調症がいるので、精神障害者やそういう人の家族に対しては理解があるつもりだ。 そんな私なので「精神異常者」なんて挑戦的な単語のタイトルを見たら、さーてどんな奴か読んでみたろと思うので読んだ。 事前に言っておくが、増田に対して説教するつもりは1点しかないよ。 その1点とは「精神異常者」なんて言葉を使ったことだけ(それも、動揺と怒りのため言葉を選べなかったのかもしれない) 読み進めて、2階から放尿でびっくりしたよ。だってうちの身内(以下、M)と同じなんだもの。 Mは、子供の頃絵を描くのが好きでテレビゲームがやたらと上手くてただ気を使ったり人とペースを合わせることができない奴だった。 クラスに

    それは社会と繋がれなかった精神障害者だよ
  • 貧すれば鈍するってマジね

    もう二十年も前 薄給なのにキツい仕事がつらくて逃げるようにやめた やすいパンだけをべて、甘いものがほしいから砂糖をなめて生活してた。 次の仕事が見つかるまで、一日だけの派遣をやった 遠くの倉庫に行ってピッキング作業して帰ってくる それで数千円 交通費も一部しか支給されない 働いて移動とご飯で消えるくらい少ない それでも家を追い出されないように手元にある現金を切り崩しながら生活していた。 次の仕事を見つけないといけないし、しかしその時間は生きるために労働力に変えないといけないし、そして働いたとしてもパンと砂糖で暮らすしかない。 計算していけば数カ月先に家賃は払えなくなる。なんとしても延命して仕事を見つけないといけない。 有限の時間を生きるために安売りした。 派遣先まで歩いていると自動車が通る。 軽自動車でも数百万する1万円を手に入れるのすら苦しいのに、なぜこんなに乗用車が溢れているんだろう

    貧すれば鈍するってマジね
  • 父親に夜逃げの体験談を聞く

    1993年生まれ。京都市伏見区出身、宮崎県在住。天性の分からず屋で分かられず屋。ボードゲームと坂口安吾をこよなく愛している。 前の記事:歯ブラシを枕元に置くと朝スッキリ起きられる > 個人サイト もがき続けて100年生き抜くブログ そもそも当のことなのか 父は1960年代に神戸で生まれた。島根の高校を卒業した後は京都の会社に就職し、現在まで同じ企業で働いている。ここまでが僕の知るすべてである。神戸から島根に移り住むタイミングで何かが起こったと推察しているが、実際はどうなのだろう。 私: お父さんが夜逃げしたっていう話あるやんか。詳しく聞いてもええかな 父: 現実かどうかも分からんねん 私: どういうこと? 父: ずっと仲良かった友達が逃げた先に会いに来てくれて、それは印象に残ってる 私: 転居は当にあったのか。いつ頃の話? 父: 中学2年生やったかな 私: 夜逃げは比喩とかじゃなくて

    父親に夜逃げの体験談を聞く
  • おばあちゃんの思い出話と乳首責めの相性

    【続きのようなもの anond:20230328202632】 三年前に祖母が亡くなったとき、私は孫代表スピーチを頼まれた。それで葬儀に出るまでの短い間におばあちゃんとの思いでをふりかえることになった。 そのころ大好きだったアイドルが載っていたMyojoやPOTATOを見せて、おばあちゃんに誰が好みか聞くと、「みんなすてきでかっこいいけど、この子が明るい感じでお話がしやすそう」といって、当時の私の推しを選んでくれた。 画家だった曾祖父の描いた、ふたつのあけびが木になるままにはじける刹那をとらえた、グロテスクで美しい日画をいつもいとおしそうにながめていた。 横山大観の展覧会に行きたいというから、じゃあ一緒に行こうと博多駅で待ち合わせをした。前日に何度も何度も電話で確認したホームにおばあちゃんはいなくて、慌てて必死に探したら、私の母が以前に贈ったあみめの大きなベージュのレースのよそ着をきて、

    おばあちゃんの思い出話と乳首責めの相性
  • 死ぬのを延期しつづけている|朱野帰子

    いやー、暗いニュースしかないですね! 暗いことを報じるのがニュースなのでしかたないのですが、それにしても明るいニュースがない。低気圧もすごい。まったく仕事にならないので、使徒イロウルに襲われた話をしてもいいですか。(エヴァファンしかわからない例えかも……ごめん……でも最後まで読んだらエヴァ知らなくてもわかるから……!) 2017年、第二子を出産した私は、産休もろくにとらずに働いていた。(この話はもう何度もしてますね、すみません)「わたし、定時で帰ります。」の初期プロットを編集者さんに送ったのは夜中の2時で、無痛分娩による計画出産のために起きたのは5時で、分娩予備室に入ったのは8時。出産したのは17時くらい。とにかく肉体的にも精神的にも疲れた状態で育児仕事の両立が始まった。密室にこもっていて、家族以外とはほんとんど話さなかった。結婚出産を機に接触回数が増えた親族たちは、老人うつの症状だった

    死ぬのを延期しつづけている|朱野帰子
  • 葬儀に派遣される女性スタッフの仕事をしていた だいたいの現場で私たちは..

    葬儀に派遣される女性スタッフの仕事をしていた だいたいの現場で私たちは名前ではなく「レディさん」とか「スタッフさん」とか呼ばれる ご遺体のお迎えから火葬後までずっと関わっていく葬儀社と違い、私たちがご遺族と一緒にいる時間は通夜告別あわせて8時間くらいだ 開式前に初めて故人と遺族に会い、どういう方だったか最後までわからない時もある 初めて派遣された葬儀会社の、初めて会う担当者から、初めて会う遺族のことを開口一番「めんどくさい人たちです」とだけ言われる時もある もちろん勉強していたり資格を持っている人もいるけど、私たちは役所の手続きやお金、お墓についてのことをほとんど知らない わかるのは葬儀中のことだけだ 私たちは説明書だったり自動ドアだったりコート掛けだったり案内看板だったりした 真夏日でも氷点下でもスーツ1枚で外に立ち、背筋を伸ばし指先を揃え、薄い笑顔で案内した 鞄にはなんでも入っていた

    葬儀に派遣される女性スタッフの仕事をしていた だいたいの現場で私たちは..
  • もしかしたら僕は自己肯定感がそれほど高くないかもしれない

    自己肯定感低い人あるある」っていうのTwitterでたまにRTされたりするが、それをみて「人の目を気にしたりして大変だな」と思っていた。 つまり僕は自分のことをそれほど自己肯定感が低くない、むしろ高いと思っていた。 でも最近もしかしたら実は結構低いかもしれないと気づき始めてきた。 『ぼっちざろっく』流行ってますよね。主人公のぼっちちゃんはギターが上手いのに、実力に自信を持ちつつも、他人の評価を気にしていて、目の前の観客も怖がっていた。それでぼっちちゃんが「当の敵は目の前の観客じゃない。観客は自分を求めているんだ」ということに気づき、一歩踏み出せた演奏ができた。 そんな成長エピソードがあるわけだ。 僕もその自分に自信を持ちつつも、人が怖いというのはわかるという気持ちになったが、むしろそれは普通のことだと思った。自己肯定感が低い人は自信もないものかと思っていたので。 例えば僕がぼっちちゃん

    もしかしたら僕は自己肯定感がそれほど高くないかもしれない
    runt_nc
    runt_nc 2022/11/29
    エラそうな言い方になってしまうけれど、これほど自身の心理を解体できる時点である意味「大した人間」だと俺は思う。 / 自身と関係のないところ(親の偉業とか)で誉めそやされるのは、子どもの心を蝕むよね、とか。
  • ホームレスから復帰した

    しばらく前のことであるが、ホームレスになった。 IT企業で派遣社員のエンジニアとして働いていたが、パニック障害とを発症して働けなくなった。 仕事をしばらく休んでもどうにも治らず、会社を辞めることになった。 この頃の貯金額は42万円程度だったと思う。 働かないと生きていけないので、自分の体に鞭打って、会社を探してテスターとして採用された。 三ヶ月間の試用期間でクビになった。休み休みだったし、持ちの人を採用したくない気持ちはわかるので全く恨んでいない。 パニック障害で電車に乗ることも電話することもできなくなった。 テスターをクビになってからしばらく引きこもりのようなことをしていて、お金が尽きた。 電気ガスが止まり、水道が止まった。水道はライフラインだから最後まで残してくれた。 今は冷静に「金のことは金の問題でしかない」と思えるが、当時はそんなことに頭は回らず、残高は自分の残り寿命そのものだ

    ホームレスから復帰した
  • ねこが22歳になった

    (前回のご報告)https://anond.hatelabo.jp/20211124144056 拾ったねこなので誕生日とかもわからないのだけど、ボロボロのこねこを9月に拾った時に多分生後3ヶ月くらいだった。ということで毎年6月をお誕生月にしているのでとうとう22歳になりました。ここまででもうご報告したいことの大半は述べてしまったのでここで文章を止めてもいいくらいなのですが、今年も無事に冬を越え、梅雨の手前の青空をともに眺めることができていることをことほぎ、ここに駄文を残しておきたいと思います。 あいもかわらぬねこ一匹ひと一人の生活ですが、最近は以前ブックマークコメントで教えていただいた26歳ねこさま動画を見つつ、動画の中で獣医師の先生がご紹介されていたペット用タオルなどをいそいそと購入して、これ以上なく嫌な顔をされながら増田のねこの体をお拭きしたりしています。ご紹介されていたものの中でさ

    ねこが22歳になった
  • 大事なオカマのおじさんが死んだ

    さっき葬式に出た。まだ気持ちの整理がついていない。 オカマのおじさんというのも変な呼び名だが、友達に話すときはいつも「オカマのおじさんがさぁ」と言っていたのでそのまま書いてみる。 22くらいの時に、路上で泣いてる私を気に留めて話しかけてくれ、あったかい飲み物をくれたのがきっかけで知り合った。 お金もなく仕事もうまくできず、適応障害っぽくなっていろんなことがうまくできなくて、繁華街の隅っこで静かに嗚咽してた時にパーっと寄ってきて世話焼いてくれた。今考えてもちょっとウケる。歌舞伎町やぞ。ただの酔っ払いの可能性もあるのに、私が泣いてる感じがしたから声をかけてくれたんだそうだ。 おじさんはオカマだが(ゲイ)、その時たまたま女装していただけで普段は男の格好をしていた。缶に入ったお茶かなんかをもらってそれで手をあっためて、感情失禁みたいになってた私は自分の置かれた状況を聞かれてもないのにただ話した。お

    大事なオカマのおじさんが死んだ
  • 若かりし頃の日記で泣く

    地方都市在住の50歳。子あり。東京に単身赴任中だが、コロナが始まってからは東京の借家には月に一度、一週間ほど滞在するだけになった。 中学2年生の時から書き溜めてきた日記帳を東京の借家に持って来ている。20年前の1月に書いたのを最後に更新が途絶えている。死後に読まれたくないが、処分してしまうと自分が自分でなくなってしまうような気がして、ドキュメントスキャナーでPCに取り込むことにした。 部活でいじめを受けていた中学時代。高校は県内トップ校を受検するもボーダーラインに数点足りず、県立高校の二次募集で片道1時間半の中堅高校に通うことになった。学校に馴染めず悶々としていた高1の夏、母親が癌で入院し、その冬にあっけなく逝ってしまう。その頃、今の高校を退学して大検を受けようと考え始め、父親とも激しく対立する日々──。 日記を読むつもりはなく、ただスキャン作業だけを淡々と進めるつもりだったが、どうして

    若かりし頃の日記で泣く
  • ソロキャンプしてたら襲われた男の話

    先に書いておくけど特にオチは無いし、特定を避ける為に諸々伏せて書く部分もあるのをご了承頂きたい。 あれは何度目かも忘れた頃のソロキャンプ時に起こった。 たまに車の音が聞こえる程度の人気の無い山奥で俺は一人キャンプをしていた。 ご飯もべて酒も軽く入ってうたた寝していた頃、時間は確か0時を少し回ったぐらいだったと思う、多分。 頭がある方角に車が止まった音……が聞こえた様な気もしたけど、うとうとしていたし特に気にも止めずにボケーっとしていた。 今から考えればあの時に警戒していれば、もっと被害は少なかったかも知れない。 それから少しして、いきなりテント入り口近くに何かが突き刺さった音がした。 慌てて灯りを付けると、シザーマンが持っている様なデカいハサミの先っちょみたいなのが突き刺さっていた。 初めは夢でも見ているのかと思ったけど、そのハサミが内側からテントを切っていき、空いた穴をビリビリと広げな

    ソロキャンプしてたら襲われた男の話