不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 視覚表現技術をどう進化させるか?という課題が、ひとの想像力をこの時代にあったものに拡張するうえで、重要なポイントの1つだろうという思いを最近より強く感じています。 そんなことをあらためて考えるようになったのは、前回の「反-知の形式としてのバロック的想像力を再獲得する」という記事でも紹介した高山宏さんの『魔の王が見る―バロック的想像力』という本のなかでこんな記述を目にしたからでもあります。 前回の記事中でも取り上げた17世紀初めのヴンダーカンマー(驚異博物館)の流行の時代を、高山さんは「想像力」の時代でもあると読み解きながら次のように書いているんです。 事物の集積に未曾有の関心をもった17世紀初めのそうした「エキセントリック・スペース」の流行を背景にしてみてはじめて、人間は自
世界の埋もれた映画の上映運動を主宰してきた岩波ホール(東京都千代田区)総支配人で、文化功労者の高野悦子(たかの・えつこ)さんが九日午後二時四十一分、大腸がんのため死去した。八十三歳。旧満州(現・中国東北部)生まれ。葬儀・告別式は近親者で済ませた。後日、お別れの会を開く。喪主はめいで、岩波ホール支配人の岩波律子(いわなみ・りつこ)さん。 日本女子大(社会心理学専攻)卒業後、一九五二年に東宝文芸部に入社するが、映画監督を目指し、パリの高等映画学院(イデック)に留学。帰国後は、テレビドラマのシナリオを書き、六四年に芹沢光治良・原作「巴里に死す」を脚色・演出した。 六八年に岩波ホール創立と同時に総支配人に就任。当初は音楽や芝居も上演したが、七四年、故川喜多かしこ氏とともに世界の埋もれた映画を発掘するエキプ・ド・シネマ(フランス語で映画の仲間の意)運動をスタート。インドのサタジット・レイ監督「大地
明治から昭和の缶詰ラベル約550点を収録。 バラエティ豊かなデザインや配色、意匠の数々をフルカラーで紹介。 本書では、明治10年から昭和期にかけて印刷された国内・輸出用の缶詰ラベル約550点を収載しています。魚類、肉類、甲殻類、果実や野菜から食卓に並ぶおかずまで、沢山の食材が描かれたラベルからは、当時の日本のもつ豊富な食料資源や国際競争のなかで培われていった高いデザイン力が読み取られます。卓越したデザインの奇抜さ、新鮮さには、近代日本という時代の息吹も投影されているのでしょう。 制作時より数十年を経たいまなお新鮮な魅力に溢れる、缶詰ラベルの往時の商業デザインをお楽しみください。 寄稿:安西水丸
ここに一枚のスケッチがある。のどもとのつまった貧しい服装をした中年の女がドアの前に佇み、永年の力仕事で節の大きく高くなった手で、そのドアをノックしている。貧しさの中でも慎しみぶかく小ざっぱりとかき上げられて、かたく巻きつけられている髪。うつむいている顔は、やっと決心して来た医者のドアの前で、自分の静かに重いノックにこたえられる内からの声に耳を傾けているばかりでなく、その横顔全体に何と深い生活の愁いが漲っていることだろう。彼女は妊娠している。うつむきながら、決心と期待と不安とをこめて一つ二つと左手でノックする。右の手は、重い腹をすべって垂れ下っている粗いスカートを掴むように握っている。 「医者のもとで」という題のこのスケッチには不思議に心に迫る力がこもっている。名もない、一人の貧しい、身重の女が全身から滲み出しているものは、生活に苦しんでいる人間の無限の訴えと、その苦悩の偽りなさと、そのよう
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く