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ブックマーク / number.bunshun.jp (12)

  • 「カズに憧れていた」福田正博が今だから明かす30年前の本音…“賞金50万”で買った思い出のヴィトンのバッグ〈Jリーグ前夜の記憶〉(飯尾篤史)

    1993年に産声を上げたJリーグは、今年で30周年を迎えた。日サッカー界が誇るレジェンドの一人、福田正博(56歳)はアマチュアからプロ化への転換期だった激動の時代にキャリアをスタートさせている。屈指のストライカーとして名を馳せた福田だが、その道のりを辿ると知られざる葛藤や苦難があった。ACL決勝を前に、古巣・浦和への思いも赤裸々に語った。【全4回の1回目/#2、#3、#4へ】 “ミスター・レッズ”“大将”などの愛称で親しまれ、数えきれないほど豪快なゴールを決めてきた。解説者に転身してからは、歯に衣着せぬコメントでサッカー界を盛り上げている。 そんな福田正博だが、実際は大胆な印象とは真逆のパーソナリティなのだという。 「よく誤解されるんだけど、俺はどっちかというと、堅実で、繊細な性格なんだよ。例えば、就職先を決めるときだってさ……」 憧れのラモスがいた読売クラブ もともと福田は少年時代、読

    「カズに憧れていた」福田正博が今だから明かす30年前の本音…“賞金50万”で買った思い出のヴィトンのバッグ〈Jリーグ前夜の記憶〉(飯尾篤史)
    ryokubo
    ryokubo 2023/04/24
    “福田正博”
  • 「浦和の特別」であり続けた10年。山田直輝の忘れられない”あの日“。(轡田哲朗)

    サッカー選手、プロサッカークラブとしての決断に正しさを感じるし理解もできる。しかし、心のどこかに寂しさがあることは否めない。 それが、山田直輝の浦和レッズから湘南ベルマーレへの期限付き移籍が7月24日に発表された時の印象だった。 彼は「サッカーの街」とうたう浦和という地域にとって、1つの象徴でもある。小学校時代にFC浦和で、中学と高校は浦和の下部組織で全国制覇を果たし、トップチームへ昇格した。 高校3年生だった2008年には、高円宮杯第19回全日ユース(U-18)サッカー選手権大会の決勝で名古屋グランパスU-18に9-1で圧勝。その優勝メンバーには、原口元気や高橋峻希、濱田水輝らが名を連ねた。'09年のトップ昇格を勝ち取っていった彼らは、浦和ユース黄金世代とも称された。 当時のトップチームには、クラブの“レジェンド”と言える同姓の山田暢久が所属していたこともあり、「直輝」という呼び名の方

    「浦和の特別」であり続けた10年。山田直輝の忘れられない”あの日“。(轡田哲朗)
    ryokubo
    ryokubo 2019/07/28
    "1人の選手が、クラブを取り巻くサポーターからこれだけ長きにわたって期待を受け続けた例もまた、それほど多くないだろう"こういうことなんだけど、俺は赤星にも伊藤にも期待をずっとしていた
  • 顔が見えないSNSとの向き合い方。日本ハム・広報が抱える葛藤。(高山通史)

    面と向き合うことが難しいが、確かに存在を感じている。活字などを通して、確かな息遣いも感じている。ただ、対象となる「相手」はスクリーンにはいるが、目の前にはいない。 時折、強いリアクションがあるケースがある。きっと向き合ったことがない方々ばかりである。 広報として思い悩み、明確な答えを出すことができずにいる1つの事案がある。インターネットの普及・浸透による、一部のさまざまな人たちとの関係性についてである。 2019年3月11日。また、考えさせられる出来事があった。 その日は、広島東洋カープの拠地「MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島」での練習日だった。'11年の同日に東日大震災で被災した方々へ対し、チーム全員で黙祷を捧げた。そのシーンを、携帯電話で撮影して弊社のSNS担当者へ画像を渡した。 削除した1枚の写真。 その写真は球団公式SNSにアップして1時間も経たないうちに、削除す

    顔が見えないSNSとの向き合い方。日本ハム・広報が抱える葛藤。(高山通史)
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    ryokubo 2019/03/16
  • 浦和→代表→海外のはずが……。19歳伊藤涼太郎、J2水戸で再出発。 - Jリーグ - Number Web - ナンバー

    1年目の時にイメージしたプロ生活とは違うかもしれない。それでも伊藤はまだ序列を一気に好転させるポテンシャルの持ち主である。 「開幕ベンチもJデビューも思い通りと言うか、想定していたサッカー人生だった。……でも、そこからの期間は当に苦しかったし、『何でやろ』と思った日々もあった」 浦和レッズにとって5年ぶりの内部昇格以外の高卒新人となった、伊藤涼太郎という選手がいる。 昨シーズン作陽高校から浦和に加入した彼は大きな期待を背負っていた。ルーキーイヤーにいきなり開幕戦でベンチ入りを果たすと、4月29日のJ1第9節の名古屋戦で途中出場し、早くもトップデビューを果たした。 「僕の目標はあくまでA代表に入ることと、世界に出てプレーすること。レッズでレギュラーを掴むことが出来れば、そのままA代表という道が見えてくると思っている」 入団前から思っていることをはっきりと口にする強気の性格で“ビッグマウス”

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    ryokubo 2018/11/30
    頑張れ!
  • ジェフ千葉から消えた脂身と白米。監督が持ち込んだ食事革命が凄い。 - Jリーグ - Number Web - ナンバー

    9年ぶりのJ1復帰を目指すジェフユナイテッド千葉は、今季、いままでにない大改革を進めている。 エスナイデル新監督が率いるチームは、極端なまでのハイラインで守り、猛烈なハイプレスをかけ続ける。前にも後ろにも、とにかく走るのだ。夏場でも、その運動量が落ちることはない。なぜ、そこまで走れるのか――。 監督は「そこにミステリーはない」と言葉に力を込める。厳しいフィジカルトレーニングを課しているのは想像に難くないが、それだけではない。強度の高い練習をこなす体作りから見直し、徹底して事改善に取り組んでいるのだ。 現役時代、イタリアのユベントス、スペインのレアル・マドリーなど、欧州の名門クラブでプレーしてきた元アルゼンチン代表にとっては、当たり前のことを当たり前にしているだけだという。 脂身、濃い味、白米が並ぶ事に監督があ然。 きっかけは、シーズン開幕前の沖縄キャンプだった。 「なぜこんなに味付けが

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    ryokubo 2017/09/09
  • 試合前の嫌な予感と王座陥落。山中慎介が挑んだV13の紙一重さ。(渋谷淳)

    WBC世界バンタム級チャンピオンの山中慎介(帝拳)が15日、京都市の島津アリーナ京都で13度目の防衛戦を行い、同級1位の挑戦者、ルイス・ネリ(メキシコ)に4回2分29秒TKOで敗れた。 13度の防衛は、1980年に具志堅用高氏が打ち立てた世界タイトル最多連続防衛の日記録だったが、山中はこの不滅と思われた大記録に並ぶことはできなかった。 胸が締め付けられるように苦しかった。満員の会場に大音量で鳴り響く入場曲「龍馬伝」を、これだけ緊張しながら耳にするのは初めてのことだった。 今回ばかりは負けてしまうのではないか─―。 そう思わずにはいられなかったからだ。2010年に長谷川穂積が11度目の防衛戦に失敗したときも、'16年に内山高志が12度目に敗れたときも、試合前にこんな気持ちにはならなかった。 「練習と番が違う」という言葉に一縷の望みを。 ここ1年で近年のボクシング界をけん引してきた内山、八

    試合前の嫌な予感と王座陥落。山中慎介が挑んだV13の紙一重さ。(渋谷淳)
    ryokubo
    ryokubo 2017/08/16
    お疲れ様でした。出来ればもう一回!
  • 日本ハムの新スタジアム構想が凄い!「入場料無し」「弁当無し」の衝撃。(鈴木忠平)

    「彼らに聞いたら『だって甲子園に行くつもりで高校に入ったから』と……。僕とはそこが決定的に違いました。つまり自分が想像できないことは達成されない。そういうことです」 北海道旅行の目標になる、壮大なスタジアム構想を! その青年は今、北海道ハムファイターズ事業統轄部長として、新球場構想のプロジェクトを担っている。今年6月29日、新スタジアムのイメージ図を発表した席で「オンリー・ワンか、ナンバー・ワンか。北海道の皆様の誇りになるような球場にしたい」と語ったのが前沢だった。 「北海道を象徴するような文化であり、街づくりの中心となるようなものができれば、自然とオンリー・ワンになるし、世界ナンバー・ワンになると思っています」 例えば、北海道旅行に行く人に「何のために?」と尋ねると、こう答える。 「そりゃあ、美味しい海産物と◯◯スタジアムだよ」 これが前沢の言う文化としての球場であり、街づくりの

    日本ハムの新スタジアム構想が凄い!「入場料無し」「弁当無し」の衝撃。(鈴木忠平)
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    ryokubo 2017/08/16
  • テレビ局の利害、会場、ベルト……。田口と田中の統一戦を阻む要素とは。(渋谷淳)

    WBA世界ライト・フライ級王者の田口良一(ワタナベ)が23日、東京・大田区総合体育館で同級1位のロベルト・バレラ(コロンビア)を下して6度目の防衛に成功した。 試合後、テレビ解説を務めたWBO世界同級王者の田中恒成(畑中)がリングに上がり、2人でそろって対戦をアピールした。 国内史上まだ一例しかないという「統一戦」にかける両者の思いとは─―。 2人の王者の統一戦への熱い思いが、田口の3試合ぶりのTKO勝ちを生み出したように思えた。先に統一戦を呼び掛けたのは22歳の若き2階級制覇王者、田中だった。 田中は5月20日、名古屋市の武田テバオーシャンアリーナで世界タイトルマッチを行った。16戦全KO勝ちのパーフェクト・レコードを持つアンヘル・アコスタ(プエルトリコ)を下した直後、リング上で解説席にいた田口を呼び、「今年中に僕とやりましょう!」と呼びかけ、さらに畑中清詞会長の了解まで取り付けたのだ。

    テレビ局の利害、会場、ベルト……。田口と田中の統一戦を阻む要素とは。(渋谷淳)
    ryokubo
    ryokubo 2017/07/24
    テレビ局とかそーゆーのいいから統一戦やろうよ
  • 21世紀の浦和にはいつも啓太がいた。退団の理由、そして残して行くもの。(轡田哲朗)

    今、浦和レッズの歴史を最も知る男の決断だった。10月20日、鈴木啓太は自身のブログで、今季限りで浦和を離れることを決意したと発表した。2000年に入団すると、翌年から背番号を13に変更してレギュラーポジションを獲得。21世紀の浦和レッズの歴史は、そのまま“13番・鈴木啓太”の歴史とリンクすると言っても過言ではない。 彼ほど、苗字よりも名前で愛されてきたサッカー選手はなかなかいない。選手たちも、サポーターも、愛情をこめて「啓太」と呼んできた。 啓太と浦和の歴史をたどっていけば、それだけで一晩以上かかってしまうだろう。「緊張しましたよ」と語る'00年天皇杯でのデビューから、浦和の初タイトルとなった'03年のナビスコカップ。セカンドステージを制した'04年に、リーグ初優勝の'06年、アジアチャンピオンズリーグ制覇の'07年といったタイトルを、次々に獲得した輝かしい歴史がある。 一方で、シーズン中

    21世紀の浦和にはいつも啓太がいた。退団の理由、そして残して行くもの。(轡田哲朗)
    ryokubo
    ryokubo 2015/11/05
    お疲れ様でした。確かに啓太って下の名前で親しまれている選手は少なそう
  • <34歳になった天才の帰還>小野伸二が札幌の街とサッカーを変える。(佐藤俊)

    サッカー史上最高級の才能を備えた男がJリーグに戻ってきた。18歳でW杯に出場し、欧州の舞台でも足跡を残した34歳の天才は、何故、いまさら新天地に札幌の地を選んだのか。スーパースターの出現に沸く北海道民の期待を一身に受け、小野伸二は新たな輝きを放つことが出来るのか。Jの舞台に戻ってきた“新人”の44番とコンサドーレが織りなす奇跡の相思相愛に迫る。 「お久しぶりっ」 日復帰初戦となる大分トリニータ戦の前日練習、ピッチに上がる直前に目が合うとわざわざ近くまで歩み寄り、握手を交わした。顔を合わすのは2年ぶりだが日焼けした表情は以前よりも精悍さを増し、張り付いた練習着の上からは身体がかなり絞れている様子が窺える。 「また、あとで」 小走りでピッチに入るとドームの芝の感触を確かめるようにボールを蹴り、ダッシュを繰り返した。FK練習ではペナルティボックスの左端からゴールを決めた。傍で見ていた鈴木ウ

    <34歳になった天才の帰還>小野伸二が札幌の街とサッカーを変える。(佐藤俊)
    ryokubo
    ryokubo 2014/08/14
  • <香川・清武・乾を育てた名将に聞く> なぜ、クルピの下で才能は育つのか。(小宮良之)

    一つのクラブから欧州に旅立った3人が日本代表の中盤に揃い立つ。 欧州遠征では漫画のようなストーリーが現実になった。 彼らは一人のブラジル人に導かれ、攻撃センスを磨き上げた。 その監督の下では今季も若手が躍動する。なぜ皆セレッソなのか。 古巣に帰ってきた指揮官の言葉から、育成の秘訣を読み解く。 日本代表欧州遠征・フランス戦の後半、乾貴士がピッチへ。2列目には香川真司、清武弘嗣、乾が並ぶ。3人は勇躍して攻め立てた。その戦う姿勢が終了間際の香川の決勝点を呼び込む――。若き日の3人。彼らはセレッソ大阪でレヴィー・クルピの薫陶を受けていた。 「常に夢を見なさい。成功を収める人間は、誰でも夢を持っているものです」 その言葉を信じて遥かなる夢を見た香川は、今や世界屈指のビッグクラブ、マンチェスター・ユナイテッドで堂々とプレーする。さらには乾、清武も欧州で成功を見据えている。 「夢を持ったら、実現するため

    <香川・清武・乾を育てた名将に聞く> なぜ、クルピの下で才能は育つのか。(小宮良之)
  • マガト監督に“干された”長谷部誠。折れない心と代表へ懸ける意気込み。(ミムラユウスケ)

    開幕からの全試合で、ベンチ入りさえかなわない状態にある長谷部。スタンドからヴォルフスブルクの試合を観戦する光景も……。 長谷部誠は、今シーズンこれまでに体験したことのない奇妙な状態に置かれている。 開幕からここまでリーグ戦7試合を戦ったヴォルフスブルクでは、出場機会はおろかベンチ入りメンバーにさえ一度も入っていない。アウェイでの遠征に、かろうじて予備メンバーとして帯同する程度の扱いなのだ。 その理由は、今夏にヴォルフスブルクからイングランドへの移籍を画策したからだ。8月には移籍にむけての交渉に動きだした。さまざまなリスクも、これまでに得た教訓も踏まえた上で。 昨シーズン、長谷部は20試合で先発出場を果たしているのだが、先発出場の試合数としてはヴォルフスブルクに来てから最も多い数字だった。その理由について、昨シーズンの途中に長谷部はこう話していた。 「シーズン前には……地獄なんていったら怒ら

    マガト監督に“干された”長谷部誠。折れない心と代表へ懸ける意気込み。(ミムラユウスケ)
    ryokubo
    ryokubo 2012/10/12
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