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認知科学に関するsakushaのブックマーク (10)

  • 保存アイコンでみえてくるアイコンデザインの勘違い

    先日 Goodpatch さんが 保存アイコン=フロッピーディスクの時代は終わった…? という興味深い記事が掲載されていました。フロッピーディスクを保存アイコンをとして採用するのは古いのではないか、という議論は国内外で何年かに一回はあります。私も 2009 年に変わりゆく「保存」の存在と題してフロッピーディスクアイコンのあり方も踏まえて、今後の保存の姿を模索していました。また、先月開催された Android Bazaar Conference 2013 Spring でも同じ話題に触れています。 アイコンと問題解決について 様々なデザイナーが新しい保存アイコンを提案しているものの、「うん、これは保存だ」と納得できたものはほとんどなかったと思います。ダウンロードにみえるものも少なくありませんし、中には抽象的すぎて何を意味しているのかさえ分からないのもあります。自分たちのクリエイティブアウトプ

    保存アイコンでみえてくるアイコンデザインの勘違い
    sakusha
    sakusha 2013/04/10
    慣習化(=繰り返し使用)した比喩の意味は、辞書的な意味と殆ど変わらなくなるの巻。
  • A typical child on Piaget's conservation tasks

    A typical 4.5-year-old on Piagetian conservation tasks: number, length, liquid, mass, and area. (Captioning provided by the IT Department at Inver Hills Community College, Inver Grove Heights, MN.)

    A typical child on Piaget's conservation tasks
    sakusha
    sakusha 2012/10/12
    授業での紹介用
  • なぜアンケート調査は認知科学の研究にはならないのか? - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~

    アンケート調査は認知科学の研究にはなりえない。アンケート調査と言っても、企業がよくやる消費者に適当な質問に答えてもらうようなものというよりも、心理学や社会学での尺度(例えば好きから嫌いまでの間を5段階に分けてそこから選ぶようなタイプの質問の仕方)を用いた質問紙調査のような科学的調査のことをここでは指している。テレビや雑誌などでよく見かけるアンケート調査は標抽出(つまり聞いた相手が偏ってないか)などの問題をよく考慮することなくむやみに一般化することなどが多くて当てにならない。 しかし、学術的に行なわれるアンケート調査(むしろ質問紙調査と呼ぶ)の場合は、様々な問題が考慮されて、何が妥当と言えて何が言えないかが考慮されている。実際にはアンケート結果の(統計的)解釈は機械的に一義にできるわけじゃなくて、いろいろな解釈が可能なのだが、それはここでは問題にしない(このテーマを扱った著作は多い)。ここ

    なぜアンケート調査は認知科学の研究にはならないのか? - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~
    sakusha
    sakusha 2008/07/21
    質問紙オンリーの調査で心的過程をはかれるかといわれると確かに微妙。
  • 数学屋のメガネ:心理学や言語学は「科学」になりうるか - livedoor Blog(ブログ)

    ソシュールは言語学を科学として確立したといわれている。それまでの事実の寄せ集めを解釈していただけの言語理論を、科学という理論体系として打ち立てたと評価されているのだろう。この解釈学から科学への飛躍は、その研究対象として「ラング」というものを提出したことに求められている。「ラング」の発見こそが言語学という科学を生む基になったというわけだ。 「科学」という言葉の概念は、人によってかなり違うところがあるだろう。僕は、仮説実験授業の提唱者の板倉聖宣さんからその概念を学んだ。その概念は、「科学」と科学でないものを明確に区別し、科学の有効性をはっきりと分からせてくれるものとして、僕は板倉さんが語る以外の概念で「科学」を捉えることが出来なくなってしまった感じがする。そこで、板倉さん的な概念でソシュールが語る言語学が果たして科学になるものかというのを考えてみたいと思う。 板倉さんが考える「科学」というのは

    sakusha
    sakusha 2008/07/06
    心理学に関して言えば、心・心的現象をどういう方法で捉えるかという問題。実験条件の設定と材料選定で一番がんばらにゃならん所 / 言語学は最近脳やコーパスで頑張ってるけど、どういう方向を目指してるのかなー
  • 言葉遊びに他ならぬ、か? - 認知科学史に関する非常に粗雑な概説

    今回の記事は認知科学の歴史概説です。 さて。久しぶりの更新なのですが、このサイトは、いずれ(というか、もはやか…)見限ります。学術blogを始めたのはいいけど、いじりづらいので。代わりに、htmlでHPサイトを立ち上げます。とりあえず、新しいサイトでは、客寄せ(笑)の一つの柱として認知科学の歴史を扱っていきたいと思っています。 認知科学の誕生経緯は複雑であるが、ごく簡単なイメージを掴んでもらうために、20世紀以降の行動主義から、認知科学の一つのコアである認知心理学が誕生するまでを、掻い摘み記しておく。 心理学史を学んだ者にとってはお馴染みのフレーズであるが、第一次大戦後、行動主義心理学[*2]が行き詰まりを見せた。人間の精神活動を研究対象から半ば捨てたことで、その研究法は洗練されたが、代償に、研究対象が貧困化してしまったのだ[*3]。極端な例を挙げれば、動物の些細な行動を記述するためにすら

  • 心理学の危機再び、または学際分野としての認知科学の解体(素描) - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~

    注:あくまで素描なので、様々な知識を勝手に前提にして書いています。ようするに、ただでさえ書くのが厄介な内容なのに、その上に丁寧に説明するのは面倒(それでなくても、言及すべきなのに抜けてるところはいろいろありそう)。ご了承ください。 生理学的な心理学と解釈学的な心理学 心理学には外部からの介入が多いが、(昔のゲシュタルト心理学の例外はあるが)その多くが心理学の問題を勘違いしたものである。認知革命は来その問題意識を取り戻すためのものだったのだが*1、いつの間にか手段と目的とが勘違いされるようになった*2。結局、未だに生理学的な心理学と解釈学的な心理学という昔ながらの対立は全く解消してない。 脳科学と遺伝学における還元主義とその裏返し 心理学を理解するうえで生物学が必要なのは確かだが、どのように必要とされるのかには問題が絡む。遠い将来的にはどうであれ、当面は心理学を生物学に還元するにはその溝が

    心理学の危機再び、または学際分野としての認知科学の解体(素描) - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~
  • 認知科学年表(解説付) - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~

    認知科学における重要な著作や論文の年表 注:適当に和訳しています。訳があるのに気づいたものは、それに従っていますが、すべての邦訳を見つけ出したわけではありません。訳の間違いがあったら、指摘してください。 1930年代以前:先駆的研究 1930 子供による世界の概念形成 ピアジェ 1932 想起の心理学:実験社会心理学の研究 バートレット 1934 思考と言語 ヴィゴツキー 1935 ゲシュタルト心理学の原理 コフカ 1935 連続的な言語反応における干渉の研究 ストループ 1940年代:潜在期 1943 神経活動に内在する観念の論理計算 マカロック,ピッツ 1944 コミュニケーションの数学的理論 シャノン 1945 行動の構造 ヘッブ 1948 ラットと人における認知地図 トールマン 1948 サイバネティクス ウィーナー 1949 心の概念 ライル 1950年代:初期の研究 1950

    認知科学年表(解説付) - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~
  • 認知科学への身体や環境の二つの導入のされ方 - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~

    UTCPワークショップ「身体の思考・感覚の論理」http://utcp.c.u-tokyo.ac.jp/tbls.html 身体や環境が認知科学に導入され始めたのは第二派の始まった1980年代以降だ。どうも日の文系の学者は分析哲学関連はよくフォローするけれど、来の認知科学はあまりフォローしない人が結構いる。しょうがないので私が分かる限りで説明します。 認知科学への身体や環境の導入にも強い導入と弱い導入とがある。例えばノーマンのアフォーダンス概念はギブソンのものとは違うことを人が認めている。ノーマンのアフォーダンス概念はそれまでの認知科学で標準的だった情報処理アプローチとそれほどは矛盾していない(道具をどう使うかの処理がある)。しかし、ギブソンの生態学的アプローチはそうではなかった。ノーマンのアフォーダンス概念は認知科学への身体や環境の弱い導入でしかない。同様にして、進化心理学や文化

    認知科学への身体や環境の二つの導入のされ方 - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~
  • 認知科学はすでに終わってる…? - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~

    正直なところ、認知科学(の盛期)がすでに終わったものだとしてもそんなことはどうでもいいことだ(それを言ったらフランス現代思想はとっくに終わってる)*1。私がむかつくのは、認知科学の成果がろくに考慮されずに議論がなされていることだ。未だに認知科学を人工知能や脳科学と一致させるような不勉強などを目にしてうんざりする。まぁ、それを言ったら、日の心理学の入門書のほとんどが認知心理学を記憶や思考などの特定のテーマを扱うだけの分野として扱っているレベルの低さにはさらにうんざりするが*2。どちらにせよ日は理解のレベルが低い人が多すぎる。 今や、認知系の研究者の多くは応用研究に走っている。心理学は学習科学、言語学は第二言語習得、人工知能は(認知モデルとは無関係な)実用的ソフトウェア*3、脳科学は神経工学*4、哲学でも神経倫理学とか*5。でも実用や応用は構わないけど、過去の認知科学の成果を前提にしないレ

    認知科学はすでに終わってる…? - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~
  • 『http://www.kc.t.u-tokyo.ac.jp/NLP_Portal/』へのコメント

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