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読み物に関するsalmonsojouのブックマーク (2)

  • 夫が他界して半年が経った

    子どもがおらず、ふたりとも働いていたので(もっとも最後の2年くらい夫は働けていなかったが)、なんとなく私たちは独立した個人で、ただ好きあっているので一緒にいるだけなのだとどこかで思っていた。一緒にいることもあれば、お互いの趣味友人についてそこまで深入りすることもなく、それはとても理想的だと思っていた。 それがひとりぼっちになった途端、足もとかおぼつかなくなっている。私個人の外側に置いているとばかり思っていた夫は、ずいぶん私の中に入りこんでいたらしい。夫という一部を失った私は、自分の輪郭が分からなくなった。どうして毎朝起きるんだっけ。何で毎日べるものを考えて作ってご飯をべてるんだっけ。今、立っている場所が、地面が揺れている。何で仕事に行って、なんで休みの日に休むんだっけ。お金を稼いでも、休みがあっても何にもすることはないのに。なんで夫は死んで、私は生きているんだっけ。 確かにあった肉体

    夫が他界して半年が経った
  • 「先生がオメガを倒したら宿題やってきてやるよ」と生徒が言ったので、わたしはゲームライターになった|Yuka S. (or rurune)

    (四半世紀前の思い出。間違い、勘違いがいくつかあります。修正しようと努力しましたが、次第につじつま合わせに必死になり、書き上げた時の情熱を自ら消してしまいかねないと気づきました。なので10年以上も迷って、やっとついに書き上げることができたままの文を残しておきます。) 大学生時代、塾講師のバイトをしていた。理由は金。岩手県で「現役東北大学生が勉強を教えます」とぶん回せば仕事がたくさん来た。家庭教師もしていたが、すぐに塾一に絞った。希少性を高めるため、不便なところを狙った。動機は金。岩手の実家から高速バスで1時間半揺られ、山奥の町の中にあるたったひとつの塾に週3回通った。当時の岩手はのんきなもので、高校進学の選択肢もそんなに多くはなかった。進学校に行くか、そうではない高校に行くか、それぐらい。それでも我が子のよりよい将来を願って、子供を塾に通わせる親が増えてきていた。 両親の願いを背負って送

    「先生がオメガを倒したら宿題やってきてやるよ」と生徒が言ったので、わたしはゲームライターになった|Yuka S. (or rurune)
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