ミンデルの概念を使うと「耳をすませば」がよくわかるし、逆に「耳をすませば」でミンデルを理解することもできる。 「耳をすませば」では主人公の雫の日常生活が一次プロセスである。一次プロセスであるから、室井滋が母親の声を演じ、雫の住む公団住宅の狭さなどをリアルに表現する必要があったのである。そして、二次プロセスとしてのバロンの物語がその中に立ち現れて来る。一次プロセスと二次プロセスは、表面的には全く独立で、互いの関係を持たずに動いているが、何かの拍子に両者が突然交錯する。その瞬間を描いたのが「耳をすませば」である。 そして、二次プロセスとしてのバロンの物語は、断片的にしか出てこない。それは未完なのではなく、向こう側では最初から完成しているのである。しかし、今の雫には、その物語を完全な形で引っぱりだすことはできない。おそらく、最後に雫が書きあげた物語は、本人が言うように不完全なものである。その物語