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2015年3月、日本の元首相の鳩山由紀夫氏がクリミア半島を訪問しました。NHKはこう伝えています。 ロシア国営テレビは鳩山氏の一連の訪問を連日詳しく伝え、この会見についても、現地時間の午後(日本時間11日夜)の全国ニュースで取り上げました。 このなかで、「鳩山氏が、『クリミアの住民投票が民主的な手続きで行われ、住民の意思を反映していることを確信した』と述べた」と伝えました。(ロシアTV「鳩山氏がロシアに理解」と報道 NHKニュース15.3.11) クリミアに関するニュースを思うとき、私はエチオピアを思い出します。この2つの地域と国には共通点があります。国際社会の現状を変革しようとする国が武力を背景に国境線を変更し、そしてその一撃が、世界の秩序を揺るがせた、という共通点です。 この記事では、そもそも国家がある土地を領有できる仕組み、国境をめぐる戦争を人類がどう克服しようとし、そして失敗してき
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小牧山城の復元図。今回発掘した北東側は矢印の方向。左の赤い帯の部分に3段目の石垣が巡っていると推定される(絵・富永商太、監修・千田嘉博) 「絶対にないと思っていたものが見つかった」――。 愛知県小牧市の小牧山城跡で出土した3段目の石垣は発掘担当者も驚く発見だった。石垣の調査は今年度で終え、12年にわたる城の中心部(主郭、のちの本丸)の発掘調査を新年度に完了する予定だった。しかし、今回の発見で、「信長の初めての城」が想定よりも一回り大きい可能性が高まり、今後、調査範囲や期間の拡大が予想される。 今年度の調査は、主郭を囲む「2段」の石垣が周回することを確認するために、北東側約200平方メートルを発掘するものだった。2段の石垣の下は急斜面で、当時の技術では石垣が築けないと考えられていたが、今年1月に3段目が出土した。 3段目は、高さ2メートルのうち下半分(約1・0~1・2メートル)を石積みで腰巻
戦国武将の織田信長(1534〜82年)が1563年(永禄6年)に築城した愛知県小牧市の小牧山城は、3段の石垣(高さ約6メートル)で囲まれていたことが発掘調査で分かった。 同市教委が12日発表した。市教委は「近づくと高さ6メートルの石垣がそびえ立っているように見え、若い信長が、部下や敵対する勢力を圧倒する演出効果を狙ったのではないか」と分析している。 小牧山城の中心部を囲む石垣については、これまでの城跡の調査で、上から1、2段目(高さ計約4メートル)は出土していたが、3段目が確認されたのは初めて。新たに見つかった3段目は高さ約2メートルで、下部の約1メートルは高さや幅が30〜50センチの自然石を積み上げていた。今回発掘されたのは北東の長さ約25メートルにわたる部分だが、市教委によると、3段の石垣は山頂の中心部を周回している可能性があるという。 信長は1563年に、居城を尾張国(愛知県)
tenpurasoba @tenpurasoba4 中世パン図鑑 中世の農業の変遷 パン中心の食生活に至るまで農業に幾つもの革新があった。牧畜中心だったガリアの地に麦作をもたらし鉄器農具、有輪鋤、労働家畜の飼育に馬具、三圃制、水車、農民身分への変化など。明日より一つづつ紹介する。 pic.twitter.com/IqgeG4C4SU 構成 中世前夜 ローマ帝国時代における現在の東西ヨーロッパがどのような状況だったか、どのような農業を行っていたかについて解説する。 黎明の中世 民族大移動を通して中世初期のフランスの農業や麦作りに関する状況がどのようなものであったか解説する。 パンの時代 中世初期の混沌とした状況からどのような技術革新が起き、生産量及び人口が増える状況を作ってきたかについて解説する。 また「パンの時代」における麦の生産者である農民達の生活の様子についても解説する。 落日の中世
戦国時代における「天下人」とはなんぞや?というのは、言葉の定義や王権論、史料研究も含めて結構ホットな話題のようです。そんな話題の中で、むしろ京都の貴族や朝廷は、純朴?な将軍候補や地方武士が上洛すると「統治の責任」を巧みに押し付ける…そんな構造だったのではないか…という話が盛り上がりました。読んで面白かったのでまとめさせてもらいます。
ぼくは千葉の西船橋で育ち、現在は引っ越して川崎区に住んでいる。 ときどき「競馬が好きなの?」と聞かれる。言われてみれば競馬場を渡り歩いているように見えなくもない(西船橋は中山競馬場への玄関口であり、いまは川崎競馬場が近い)。 馬券は一度も買ったことがなく競馬には興味がないが、競馬場には興味がある。特に"元"競馬場に。
財政ファイナンス。 マスコミでは決してやってはならない経済政策上のタブーとして語られることが殆どです。 しかし過去のデフレ事例を見てみると、財政ファイナンスのまるで違った姿が見えてきます。 今朝の日経新聞でも日銀の審議委員の中に財政ファイナンス(通貨発行権を財源にした財政政策)に許容的な発言があることに対し、「財政ファイナンスが容認されるなら、日銀の信認どころか日本の信認が揺らぐことになる。」と、財政ファイナンスに手を出せば、日本経済どころか日本自身が信用を失うといった極めて強い調子で財政ファイナンスを否定する記事が載っています。*1 では古今東西、古代ギリシャから現代日欧に至るまで、経済がデフレ化した事例は多数知られていますが、これらはどのような方法でデフレ脱却したのでしょうか。 図表1は過去のデフレ事例とその脱却方法です。 古来よりデフレ脱却は戦争と財政ファイナンスが主な手段だった 図
会計とは何か?なぜ必要か? ・会計とは、財産の状態を出入り(フロー)と残額(ストック)の面で管理することです。 これをやらないと、儲かっているのか損をしているのかさえ分かりません。 商品が売れた代金も、どこからか借りてきた借金も、出所が違うだけで、手に乗れば同じ100万円です。 同じお金なので、どちらの場合も、給料の支払いや仕入れをするのに使うことができます。 しかし、この後に起きることは、やらなくてはならないことは、お金の出所によってまったく違います。 借金には利子がつくし期限までに返さなくてはなりません。 商品の売上金の場合はそういうことはありません。 だから今どれだけお金があるかを知るだけでなく、その出所がどこなのかも把握しておく必要があります。 倉庫会計ー財産管理のはじまり 会計の歴史でいうと、倉庫に入っている財産について、その一つ一つを書き出した財産目録をつくるのが最初でした。
ドイツ東部の美術館で、着物に模様をつけるときに使われる「型紙」およそ1万6000点が、125年ぶりに倉庫の中で発見され、地元で展示会が開かれるなど話題となっています。 着物を染めるときに使われる「型紙」は、厚く貼り合わせた和紙に細かな模様を彫ったもので、19世紀にヨーロッパに伝わり、西洋の美術や工芸にも大きな影響を与えました。 ドイツ東部のドレスデンにある工芸美術館は、125年前にベルリンの美術商から購入し、その後一度も展示されないままになっていた型紙、およそ1万6000点が倉庫の中から見つかったことを明らかにし、29日から一部を紹介する展示会を開いています。 いずれもかつての日本の着物に実際に使われた型紙で、訪れた人たちは、無数の細かい点を彫りこんで模様を表現したものや植物の葉を描いたものなど、その芸術性の高さに見入っていました。 ドレスデン美術館連盟のハルトヴィヒ・フィッシャー会長は「
*前篇はこちらから 日本を「中国の映し鏡」ではなく他者としてとらえるべきと気づき始めた一部の中国人のあいだでは、一歩踏み込んで日本研究・日本認識の一新を求める動きもある。 たとえば、もともと知日派の閲覧が多いと言われるポータルサイト『騰訊(テンセント)』のオピニオンコーナー「大家」(「みんな・皆様」の意)に掲載された姜建強氏のエッセイ「君の知っている日本はこのようなものか?」(http://dajia.qq.com/blog/277148103204715) は、日本における司法の独立・学問の独立・表現の自由・権力者の面子にこだわらない現実的な政策立案・不正に対する厳格な社会的制裁・殺到する中国人観光客への「おもてなし」にもぬかりない誠実な職業精神などを列挙する(それは日本に仮託した自国批判とも読める)。そして、日本との暗い歴史も忘れるべきではないが、感情に流されずに日本の歴史と現実を研究
まとめ管理人 @1059kanri 室町時代というのは「資本主義」が高度に発展して、特に土蔵などの金融業は、殆どヨーロッパ近世のそれと変わらないほど発展していたのだけれど、そのベースとなっていたのは荘園制であった、というのは面白いですね。戦国期における荘園制の崩壊は高度な金融業も崩壊させた。
2014年11月23日16:00 中世ヨーロッパって時代は大きく三つに分けられるから区別を意識しようね Tweet 1: アスペニート 2014/11/20(木) 08:05:46.35 ID:qUJAQBIyHAPPY.net 中世の中で前期・盛期・後期と分類されててかなり違うからね 転載元:http://viper.2ch.sc/news4vip/kako/1416/14164/1416438346.html 漫画で鳥肌立ったシーンってなんかある? http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/4780313.html 3: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします(´・ω・`)<\(^o^)/ 2014/11/20(木) 08:06:56.46 ID:uwoS8k51HAPPY.net アスペニートだと思ったらアスペニートだった おおまかに違
「大昔物々交換があり、その不便さを解消すべく、商品の中から変質しにくい金属などが選ばれてマネーとなった。」 この一般人のみならず、経済学者にも堅固に信じられている「標準貨幣論」に対して、人類学などの分野からは異も出ているようです。 こうした人類学などの知見も踏まえた新しい貨幣観を見せてくれる、フェリックス・マーティンの「21世紀の貨幣論」には標準貨幣論とは全くことなるマネー観があります。 この本に出てくるヤップ島のフェイの話も私が要約すると、味わいが失われてしまいますので、第1章の一部を転載して紹介させていただきます。 ヤップ島の石貨「フェイ」 1899年、スペインはヤップ島を330万ドルでドイツに売却した。 ヤップ島のドイツ帝国への併合には、ある大きな成果があった。若く、才気にあふれ、冒険好きな一風変わったアメリカ人、ウィリアム・へンリー・ファーネス3世がヤップ島を訪れ、歴史的に見てきわ
1888年に米国で出版され、「アンクル・トムの小屋」と並ぶ大ベストセラーとなった小説にエドワード・ベラミー(1850~1898)の「かえりみれば――二〇〇〇年から一八八七年」(原題:”Looking backward 2000-1887”)という作品がある。1887年から2000年のボストンへとタイムスリップした上流階級の男性が体験する113年後の世界を描いたユートピア小説で、知識人から大衆まで大ブームとなり、二十世紀に入っても「最も影響が深い二五冊の書物」としてマルクスの「資本論」に次ぎ第二位に選ばれたという。 本間長世による本書の解説「ベラミー『かえりみれば』の現代性」によれば、エーリッヒ・フロムは本書を評して『ベラミーのユートピアは、その根本的要素のほとんどすべてにおいて社会主義のユートピアであり、多くの点においてマルクス主義的ユートピアであることは、ほとんど疑問の余地がないと述べて
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