2011年12月26日先般五箇山で開催された、自然文化解説員養成講座の講師としてお話を戴いた、板垣英治先生の論文の載った日本風俗史学界誌風俗史学2011年2月(第49回大会特集)の冊子を五箇山荘支配人の大瀬支配人より頂きました。日頃五箇山の塩硝製造を観光的に説明する中で、建物の床下の木材の腐食の様子を考えると製造方法に矛盾を感じておりました。板垣先生の説に納得出来るものがありました。 板垣英治先生の資料の一部のみ抜き出して照会します。 わが国ではどの様な方法で塩硝を生産したか わが国では塩硝の生産は三種類の方法で行っていた。最も古く伝わった最も簡単な方法が 「古土法」である。江戸初期には、加賀藩を除いて全国の藩でこの方法により塩硝を生産していた。しかし、江戸中期には、これを行う藩は少なくなった。古土法については、多くの資料が残されている。例えば佐藤信淵著「塩硝製造弁」(嘉永七年)がある。乾