戦国時代後半、銭の信用低下が進むなか、各地の戦国大名たちが発布した撰銭(えりぜに)令。なかでも浅井長政と織田信長の撰銭令は、義兄弟ながら実に対照的な内容となっている。 長政が治める近江は、北陸道・中山道・東海道を抱える日本一の流通の要衝である。馬借(ばしゃく=輸送業者)や問丸(といまる=米の倉庫・委託販売業組織)も発達し、銭取引の安定化がなによりも必要な地域であった。そこで出された撰銭令(1566年)は実にシンプルで、「破銭(欠け銭・割れ銭)や文字のない銭は使用禁止」-逆に捉えると「これ以外の銭は、人気の低い悪貨でも、良貨と同等に扱え」という意味だ。こうして使える銭の量を増やし、取引の利便性を高めれば銭の信用も回復する…と考えたのだろう。 しかし、この撰銭令は失策であったと私は見る。なぜなら、悪貨の使用量に制限をつけず良貨と同じ1文として扱うと、他国で使用制限されている悪貨が浅井領に大量に