ブックマーク / end-of-scan.hatenadiary.jp (7)

  • ハーモニー - end-of-scan

    結構前に読んだんだけど、なかなかうまくレビューがまとまらなかった。 「ハーモニー」で気になったのは読後感のどうしようもなさだった(注:ほめてます)。カタルシスもない、不毛ですらない。自分の周囲で変わっていく世界をなすすべもなく眺めている。 とはいえ、訳分からないものを書いているわけでもない。少なくともラストまでは、冥界下りものの展開を忠実になぞっている。なのに読後感が全然違う。すさまじい勢いで読者を突き放している。例のタグは、を介して立ち上がる読み手としての「わたし」をも否定している。話のラストで生まれるのはゲシュタルト化した人類で、別に珍しいものでもない。でも何かが決定的に違う。 視点を変えて考えてみた。人類はすでに身体的にはゲシュタルト化しているのだろう。物理的な個の多様性に意味はなくなり、群体として一つの個を形成している。意識についてよく言われる論として、意識は身体性であり身体中に

    ハーモニー - end-of-scan
    satos
    satos 2009/01/30
  • 遊蕩してる場合じゃない - end-of-scan

    森博嗣的な天才の終わり - END_OF_SCANで20世紀的な知的活動が壊れてきているてな話を書いた。その際、http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1240.htmlを引用したのだけど、松岡正剛さんも次の回、http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1241.htmlにて同じようなことを書いている。 いま、地球で破壊されているのは「環境」だけではない。実は「意味」が壊されている。意味が撤退し、そのぶん自己がしゃしゃり出た。 その自己がネットで繋がっているのが今なのだろうと思う。人と人との間の距離や隔絶の存在を認めそこに何らかの説明をつけるのが意味meaningだとすると、今のネットの中で自己を拡張し人との距離をゼロにする行為が意味づけindexingなのだろう。この境界を漂う行為については、周縁について - END_OF

    遊蕩してる場合じゃない - end-of-scan
    satos
    satos 2008/05/19
    "意味がその輪郭を失って溶け出していることと、斉藤環先生が言うように精神病理が社会的になっていることは、とても関係があると思う。"
  • 異化のチープ革命 - end-of-scan

    コンテンツを自由にマッシュアップできればこれまでの創作にはないものができる、という信奉は根強い。でも、なぜそうすることで面白いコンテンツが出来るのか、という問いへの答えはあまり見かけない。 コンテンツが自由にマッシュアップできると当に幸せなのか - END_OF_SCANで書いたのは、元作品からの異化という要素って大きいよねってことだった。 これも何度か書いたことだけど、「ドン・キホーテ」以降の近代小説は「異化」に自覚的という点で二次創作的だと思っている。作品内である世界を描き、それからそれをずらす。それによって読者の日常を異化してみせる。現代になって異化はどんどん難しくなっている。前提となる世界はどんどん複雑になっているし、落差も小さくなっている。ニートやダメ人間を異化されてもなーと思ってしまう。森見センセーとか円城センセーを見ていると語りとか切り口から異化しない限り(「詩的言語」って

    異化のチープ革命 - end-of-scan
    satos
    satos 2008/03/14
    "異化が自動的になされるようなプラットフォームはできないものか"これは、「Wisdom of Crowds」ではなく「Intelligence of Crowds」を作れないかという問いと等価に思えた。
  • 生命システムでは集合知は生まれない - end-of-scan

    さとーのWeb日記−AIとWoC 1ヶ月たっちゃったw。他の人がまとめているのを読むとまた整理される。WoCの実装不良が質的なものなのか単に実装ミスによるものなのか。私は前者だと思ってる。なぜなら、人間の系では多様性と継続性はトレードオフの関係にあるから。 去年、DoCoMoのモバイル社会研究所のカンファレンスで、カンブリアンという取り組みが紹介された(→モバイル社会シンポジウム2006 − ケータイメディアのリテラシーについて - END_OF_SCAN)。ケータイに撮りだめしている写真を、他の誰かがアップした写真に関連づけてネットにアップしてもらう、というものだ。写真同士でリンク構造を作り、系統樹のようなものができていく。実験ではある程度数が増えると急に樹が爆発的に成長していったらしい。それが丁度進化プロセスのカンブリアン爆発みたいで、ネットの可能性を示している、ということだった。し

    生命システムでは集合知は生まれない - end-of-scan
    satos
    satos 2007/04/30
    生命システムは、一旦形成されると組織を維持しようとする。これが集合知の成長を阻む。これは「知能の成長を阻む」と一般化できるか?
  • パペじろうR1にでる - end-of-scan

    NECのロボットPaPeRoとぜんじろうの漫才ユニットであるパペじろうの最近の動きについて聞く機会があった。R1グランプリ(M1グランプリ一人芸版みたいなもん)の大阪予選に出て2回戦まで行ったらしい。 最初はM1グランプリに出た。でも、PaPeRoが相方なのは、「漫才ではないから」と落とされた。 R1の観客は技術のことなんて何もしらない若い子で、しかもそのうち多くは自分の目当ての芸人を見るために来ている。パペじろうにとってはとてもAwayな状況。 他の芸人は、まず見た目で笑わせようとするのが多かった。ホモっぽいとか。セーラー服にパンツ一丁とか。 ぜんじろう曰く、笑い(漫才)は3つの要素からなる。論理、しぐさ、音。論理をちゃんとやって笑わせるのが目標。 準備がものものしいのは良くない。動作不安定だったり、やたら大きかったり、付き添いの研究員がものものしかったり。PaPeRoは身軽にできる。

    パペじろうR1にでる - end-of-scan
  • Artificial Wisdom - 賢しき霊長類の星への賛歌 - end-of-scan

    表題はJ. ティプトリーJr.の短編集より。 ポール・グレアム「賢くなる価値はあるの?」 - nikki つまり、Wisdom of Crowdsはやはりwiseなのであってintelligentではない。このブログがこれまでとりあげた、Webの知のありかた、知を獲得する過程をあげておく。 Webの知がwiseであること: END_OF_SCAN:チープ革命の悪魔 「ウェブ進化論」に関する議論の低調さについて - END_OF_SCAN 反証主義と集合知 - END_OF_SCAN Webの知を獲得する過程がwiseであること 100人目のブロガーが叫んだとき - END_OF_SCAN スルー力に関わる議論でわかったこと - END_OF_SCAN Webの知を獲得する過程と得られる知が強く結びついていること ブログの思考停止スパイラル - END_OF_SCAN オライリーはWebはA

    Artificial Wisdom - 賢しき霊長類の星への賛歌 - end-of-scan
    satos
    satos 2007/02/18
    Intelligenceを感じるには、依然として直接会うしかないのだろうか。それとも、孤独と絶望こそがIntelligenceを養うか。「計算的に大きい」=Wisdom、「計算的に深い」=Intelligence?
  • ツンデレ・エコノミー、不協和ベースインターフェース - end-of-scan

    suikyoさんのCTO就任記念。 ツンデレ的インターフェースと、「続きはこちら」的な呈示方法との違いについて考えてみました。つまりアフォーダンス的な情報デザインについて。 インターフェースとコンテンツの不均衡 インターフェースがコンテクストを表す記号を呈示している コンテクストを表す記号は精細度が低いこと なんじゃないかなー。 ETech2006のアテンション・エコノミーに対抗して書いてみた。 ツンデレ・エコノミー(Dissonant-Driven Economy) パソコンはどんどん安くなり、誰もが情報を発信し人と人が限りなくつながる時代になって、次に重要となるのはつながりの高価値化です。 アテンション・エコノミーで説明される人の興味の奪い合いはやがて、時間や要するお金の爆発につながります。そこで如何に効率的に人の興味を引き、より深く参与させるかが重要となります。 ツンデレ・エコノミー

    ツンデレ・エコノミー、不協和ベースインターフェース - end-of-scan
    satos
    satos 2006/03/12
    ツンデレ2.0、あるいは「ツンデレは2.0的」
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