まちを歩くと、なにかとめにつく「HG創英角ポップ体」。ポスターや看板などあらゆる場所でみかける。 たまに、シリアスな注意書きの看板に、にぎやかでたのしげな雰囲気のポップ体がつかわれたりして、おもしろ写真としてネットで話題になったりする。 そんな「HG創英角ポップ体」をつくったひとはどんなひとなんだろう?
右雨円王音 下火学気九 玉金空月見 五口左子四 糸字耳車手 出女上人水 正生青夕石 赤千川早草 足大男中天 田土二日入 年白八百文 木本名目立 力林 62字
明日、いや今日からすぐに役立つ、日本語フォントの書体の選び方・組み合わせ方、そしてそれをどのようにデザインするのか、日本語タイポグラフィのテクニックを学べるスライドを紹介します。 スライドは、日本語デザイン研究会中部の勉強会でプレゼンされた日本語のタイポグラフィのスライドで、特別に掲載許可をいただきました。 DTPの勉強部屋(名古屋)で登壇しました 日本語デザイン研究会中部は、タイポグラフィの大切さと楽しさを伝えるため・学ぶための交流の場として結成されました。 スライドは全部で45ページ。 日本語の読ませるタイポグラフィについて、書体の選び方や組み合わせ方、実例とともにデザインのテクニック、どのように勉強すればよいのかまで掲載されています。
羽良多平吉 さんのタイポグラフィが大好きです。 いろいろと集めています。 中でも、どうしても欲しいのが本書。創刊号だけで終わっているようです。 先般、あるところで、16600円くらいで販売されていましたが、手が届かず断念しました。 『手と目の総合学 テクネ』創刊号1977年.ページ数 42p ・特集① こわす 特集② 紙でつくろう 等身大の銀河宇宙、他、座談会「折り紙と工作教育」ほか工作関連の連載シリーズ 発行:相川書房 刊行年 先に、1964年の東京オリンピックのときに創刊された『平凡パンチ』に関連した内容をお知らせしました。今回は、その後に創刊された雑誌の『週刊プレイボーイ』に関連して。 どの業界でも拮抗するライバルメーカーとの新製品の開発競争で新たな進展が見られますね。雑誌の世界でも、1964年の『平凡パンチ』平凡出版(現・マガジンハウス)についで、 集英社が1966年に発行した男性
川畑▲ 描き文字の歴史を考えるとき、どこからはじめるのかが問題になります。江戸まで遡るか、もっと遡るのか……という話が当然でてくるんですけど、先ほどの「書く/描く」の問題――書との異なり――を前提に考えると、明治期のそれは書き文字ですから、ここではそれ以上遡らないことにします。ただ、ここでは明治の書き文字事情を確認する意味で、一世を風靡した書風―寳丹(ほうたん)と石たい流の二例を紹介しておきます[★図1・2]。 まず寳丹とは、明治4年に官許第1号公認薬となった「守田寳丹」(1862年発売、現・守田治兵衛商店)からきたものなんですが、それを売り出した9代目守田治兵衛(1841~1912)がなかなか時代を先取りした人で、広告宣伝にすごく力を入れた人なんです。その9代目が書いた「寳丹」の書が広告に使われたんですが、ユーモラスで、味があって評判になったんです。 もうひとつの石たい流というのは、書家
岡村天溪の千字文 その活用法 ここに公表する岡村天溪書の千字文は、中国北京美術館で個展を行った際に書き下ろした折本で、上中下三冊の楷書と、同じく三冊の隷書からなる二体千字文である。2行8字を(80%縮小)A4紙にプリントできるので、楷書手本とするのは便利であろう。また一字だけ抽出することも可能であるから、これをもとに印字して活用することも、パソコン上での加工も可能である。プリントするのは自由だが、帽子やTシャツなどに応用された場合は、写真を添付してメールしてほしい。面白い活用があるかもしれず、とりわけ書道や漢字文化のない国でどのような反応があるか、楽しみでもある。 千字文とは くわしく知りたいかたはこちら 『千字文解説』 日本では「せんじもん」と読みならわす。千字からなる詩文で、一句は4字2行、全125句で千字。すべて異なる漢字が使われて、しかも八字ごとに韻を踏む。 作者は秀才文官・
漢字の成り立ち: 『説文解字』から最先端の研究まで (筑摩選書) 作者: 落合淳思出版社/メーカー: 筑摩書房発売日: 2014/04/14メディア: 単行本この商品を含むブログ (12件) を見る わかりやすーい。漢字の歴史を概観し、これまでの字源の研究を批判的に振り返ったあとで、最新の成果をさっくり解説。非常に明解です。 特に、白川静の字源研究についてきちんと評価をしてくれているのは、ぼくにはとてもありがたかった。漢字というと、白川静信者がやたらにいて、『字訓』『字統』とかを聖書のごとくあがめる人がいっぱい沸いてくるんだけれど、ぼくは前からいま一つ信用できなかったのだ。それについては、こんなところに書いたことがある。「都」というのは、日が人の頭で、それを切り落として城壁に埋めたという、かつての呪術的な信仰のあらわれだ、というのはお話としてはおもしろい。でもそれが漢字の本質かというと、ち
キリル文字(キリール文字)は、ロシア語などスラブ系の言語を表記するための文字です(モンゴル語などの表記にも使われますが、旧ソビエト連邦の影響下で政治的な理由で使われるようになったもので、本来はそういう目的の文字ではありません)。 ラテン文字(ローマ文字)に慣れた人がキリル文字を見ると、見慣れた文字の裏返し(鏡文字)になっている字体や、見慣れた字体が別の文字に使われている例が散見されて戸惑うことになります。 その結果、キリル文字の起源に関して、以下のような俗説が生まれました。 あるロシア人が、西欧で文字を習得し、資料を持って帰国の途についた。 ところが、乗っていた船が難破し、本人は無事に帰国できたものの、文字に関する資料が失われてしまった。 そこで、已むを得ずウロ覚えで再現した結果、できたのがキリル文字である。 (陸路での帰途でボルガ渡河中に転倒したというバージョンもあるようです。) もちろ
第7回 かわいいから許す/オリヤー文字 2013.10.03更新 前回、「インド棒」(シローレーカー)を取り払ったグジャラーティー文字の話をしましたが、そこまでラディカルではないにしろ、みなこのインド棒の扱いにはそれなりに困っているようで、長いインドの歴史の中で、いろいろな形に変化していきました。 その中の一つが、インドのオリッサ州を中心に使われる「オリヤー文字」です。 オリッサ州はインド東部、ベンガル州の南西に位置しています。 正直ちょっと地味なところですが、世界遺産のスーリヤ寺院や、ブヴァネーシュヴァルという長ったらしい州都の名前で(一部好事家の間で)有名です。 字面だけ見ると、インド棒どころかすべての要素を「オリャー」と投げ飛ばしてしまいそうな文字ですが、実際にやったのは極めて温和なことでした。 それは、このインド棒をかわいらしく丸めてしまう、ということ。 見てくださいこの
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く