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平仮名絵入新聞に関するschriftのブックマーク (3)

  • 血まみれの明治/芳年・芳幾の錦絵新聞(千葉市立美術館) - 見もの・読みもの日記

    ○千葉市美術館 『芳年・芳幾の錦絵新聞-東京日々新聞・郵便報知新聞全作品-』 http://www.ccma-net.jp/ 同時開催の2つの展覧会を見るために千葉市美術館に行った。どちらかというと、お目当てはこちら。私が錦絵新聞に興味を持ったのは、1999年、東京大学総合研究博物館で開かれた『東京大学コレクション4:ニュースの誕生』展に始まる。仔細あって、少し裏方にもかかわった展覧会である。 錦絵新聞(新聞錦絵ともいう)は、明治7~10年頃に発行された木版多色刷り版画である。日の新聞は、幕末~明治初年、新しい言論メディアとして誕生したが、読み書き能力の低い民衆には、なかなか普及しなかった(山武利『新聞と民衆』に詳しい)。そこで、新聞記事の中から、殺人・情痴事件・美談・怪異譚など、民衆の好みそうな題材を選び、派手な色刷り版画とやさしく書き直した解説文で構成して、売り出したものだ。 した

    血まみれの明治/芳年・芳幾の錦絵新聞(千葉市立美術館) - 見もの・読みもの日記
  • 情報紙『有鄰』No.397 P4

    schrift
    schrift 2009/01/05
     八柳サエ氏「鏑木清方と金沢の游心庵」
  • 高畠藍泉の時代

    「明治最初の文壇小説家は高畠藍泉だ」と、高らかに宣言したのは柳田泉であった(「高畠藍泉伝」、『續隨筆明治文學』所収、1938年、春秋社。初出「明治文化研究」第1輯、1934年2月)。為永春水、万亭応賀、条野採菊、仮名垣魯文等の所謂幕末遺老とは一線を劃していて、作家として物を書き始めたのは明治以降であり、明治10年以後の明治文壇の代表的作家は高畠藍泉を措いて他にはないという主張である。しかし、以後長きに渉って藍泉に関する研究は進捗しなかった。唯一、興津要が幕末開化期に着目した精力的な仕事の中で「三世種彦(高畠藍泉)研究」(『転換期の文学』所収、1960年、早稲田大学出版部)を著し、藍泉の作『巷説児手柏かうせつこのてがしは』と『蝶鳥紫山裙模様てふとりつくぎのすそもやう』とが、解説付きで一般向きに公刊(明治文学全集2『明治開化期文学集(2)』所収、筑摩書房、1967年)されたに過ぎなかった。とこ

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