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草枕に関するsealeのブックマーク (2)

  • 釣れ連れ草

    閑話休題 情に棹させば流される 釣れ連れ草125 お馴染み漱石先生の草枕、その冒頭の一節をよく覚えている。「山路を登りながら、こう考えた。智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。」 棹をさす、という語は、流れに乗って進む意なのだが「流れに逆らう」との誤解が多いという。ところで、漱石はこの智、情、意をマイナスイメージで書き連ねている。智に働けば角が立ち、意地を通せば窮屈なのは、すんなり理解が出来る。問題は「情に棹させば流される」なのである。彼は「感情の赴くままに突き進むとどんどん流されてしまいますよ」と、言っている。しかし読むほうは、「人の感情に逆らえばひどい目に会うよ」と受け取ってしまう。結果は同じなのだがプロセスがまるで違う。しかし、今日の話題はその続きなのである。 「住みにくさが高じると、安いところへ引き越したくなる。どこに越しても住み

  • 『草枕』夏目漱石 - KAKASHI式

    筋らしい筋もなく、常にゆらり幽玄と漂う心地のこの作品は、ほとんど散文詩の領域だが、小説の枠組みで言えば幻想小説に近いのかもしれない。ただしそれは完成された幻想の上に成り立つのではなく、「幻想の小説」の模索の作品であり、それは、運動勃興20年前の当時におけるシュルレアリスムの模索にもリンクする。*1 普通の画は感じはなくても物さえあれば出来る。第二の画は物と感じと両立すれば出来る。第三に至っては存するものは只心持ちだけであるから、画にするには是非ともこの心持ちに恰好なる対象を択ばなければならん。然るにこの対象は容易に出て来ない。出て来ても容易に纏らない。纏っても自然界に存するものとはまるで趣を異にする場合がある。従って普通の人から見れば画とは受け取れない。描いた当人も自然界の局部が再現したものとは認めておらん、只感興の上した刻下の心持ちを幾分でも伝えて、多少の生命を惝怳しがたきムードに与うれ

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