その実父は、吉宗の孫・一橋治済、母は岩本正利の娘・お富の方で、彼女は治済の側室である。岩本氏は吉宗の時代に紀伊藩士から幕臣に取り立てられた家柄で、お富の方は大奥の奥女中だったが、治済が見初めて将軍・家治に頼んで自身の側室にしたといわれる。 家斉の誕生については、奇瑞きずいが報告されている。一橋邸の御産小屋で生まれるとき、にわかに室内が明るく照らされ、鶴が屋上を悠々と舞い、やがて庭に降り立ったというのだ。人びとは「なんとめでたいことだろう」といい合ったが、のちに将軍になったというので、「なるほどやはり」と納得したそうだ。 しかし、偉人の生誕によく付会される吉兆のたぐいであり、もちろん史実とは思えない。 頻繁に宴会を開く酒好きの将軍 家斉は酒宴が好きで、「雪月花の折々又五節(五節句)などには御宴をひらかれ。近習の人人召つどへて。折ふしの興を催し給ふ」(『徳川実紀』)とあるように、頻繁に宴会を開