XALAGI @PlayerEnigmatic みんな後付けで当時の水原の表情にあれこれ言ってるけど、新宿のゲイだけは当時からリアルタイムで「一平ちゃんの様子がおかしい」と気付いてたのマジで凄い x.com/pondebekkio/st… 2024-04-13 11:04:51
大きな書店を歩いていると、小説のコーナーや経済・ビジネス、サブカルチャーなど、カテゴリー別に分けられて整然と並べられてある。 でも、新書と呼ばれる173mm×106mmの縦長で微妙な厚みを持った本たちが並べられた区画だけは異質だ。 自己啓発や歴史、宗教やアニメ、風俗と環境問題などが特に区別されることなく隣り合って並んでいる。 しかも、あの頼りなさげな厚みのせいで、ギューギューのすし詰め状態に見える。 そんな異文化が混在した書棚が不思議と似合う1冊を見つけた。 新宿二丁目 著者:佐藤隆信 発行所:株式会社新潮社 初版発行:2019年6月20日 本書の感想とお断り 特定の友達が欲しいと思うのも差別なんだろうか? アングラ文化が担っていたであろう価値 クィアとは? 現代の見えないマイノリティーと消されたアングラ文化の価値を思う 昭和レトロブームと二丁目文化 多様性の間合いとこれからのサードプレイ
アジア最大のゲイタウンと呼ばれる「新宿二丁目」。ゲイバーだけでなく、レズビアンバー、女装バーなど約400軒が密集するセクシュアルマイノリティーが集う街。世界最大の多様性を抱えるこの街はいったいなぜ、どのようにしていつごろからそうなったのか──。 【写真】伏見さんおすすめの初心者向けのお店3選はコチラ! ◇ ◇ ◇ 「二丁目がどうやって生まれてきたのか知ってほしかった。なんでこの街がこんなに個性的で面白い街になったのか。世界的にもほかにない特別な街なんです」 とは、作家の伏見憲明さん。丹念な取材を積み重ねた著書『新宿二丁目』を6月に刊行し、自身もゲイバー『A Day In The Life』を営む伏見さんにこの街を案内してもらった。 「新宿二丁目はもともと江戸時代から“色街”として存在していました。関東大震災で吉原などの遊郭が被害を受ける中、新宿二丁目は被害に見舞われなかった。それで遊郭
数多くのゲイバーが軒を連ね、日本一の「ゲイの街」として有名な新宿二丁目。だが、意外にもその歴史は謎に包まれている。自ら二丁目でゲイバーを経営する作家の伏見憲明さんは、最新刊『新宿二丁目』で街の知られざる成り立ちに迫った。 本書の刊行を記念して、伏見さんと、文化人類学者でオープンリーゲイの砂川秀樹さんの対談が実現。伏見さんのお店「A Day In The Life」で、新宿二丁目の過去・現在・未来を語りつくす。(写真/西崎進也、構成:現代ビジネス編集部) ゲイバーが急増した時代 砂川 新宿二丁目に関するまとまった研究が少ない中で、伏見さんはゲイバー経営者などの当事者に直接インタビューして、それをもとに、二丁目の街の歴史を生き生きと描いています。この『新宿二丁目』は、本当に貴重な一冊ですね。 伏見 ありがとうございます。実は最初から二丁目の歴史を書こうと思っていたわけじゃなくて、編集者の依頼は
今日も機嫌よく過ごせましたか? 人生の転換期のサポーター石黒です。 新宿二丁目という書籍を読んで思ったことを動画にしました。 新宿二丁目 著者:佐藤隆信 発行所:株式会社新潮社 初版発行:2019年6月20日 この本は、世界的にも特殊な街、新宿二丁目の歴史とそこで育まれた文化などが丁寧にまとめられています。 ぼくがなにを考えたのかは、ぜひ動画を見ていただきたいのですが、要点を簡単に箇条書きにしておきます。 現在引きこもりと呼ばれる人たちの中に、マイノリティーがたくさん含まれているのではないか? 会社で働くのが苦痛でドロップアウトする人も、マイノリティーがいるのではないか? セクシャルマイノリティーと違い、どういうカテゴリーのマイノリティーか本人すらわからない まだ、社会的にマイノリティーと認識されていないマイノリティーがあるのではないか? 認識されていないマイノリティーの人たちの中には、マ
「石川大我 公式サイト」より 新型コロナウイルスの感染拡大を受けて「新型インフルエンザ等対策特別措置法」が改正され、それに基づく緊急事態宣言が発令されたあとに、東京・歌舞伎町のセクシーキャバクラを訪れたことが発覚し、批判を浴びた高井崇志衆議院議員。「週刊文春」(文藝春秋)と「週刊新潮」(新潮社)が同時に報じたこともあって批判が高まり、立憲民主党離党を余儀なくされた。 この騒動の影に隠れる格好になったが、新型コロナの感染拡大が問題になっていた3月下旬に、深夜の新宿二丁目で警察と大立ち回りを演じたのが、同じく立憲民主党に所属する石川大我参議院議員である。 石川氏は豊島区議会議員を経て昨年7月に立憲民主党から立候補し、ゲイであることをカミングアウトし、LGBT(性的少数者)やその支援者たちの後押しを受けて当選を果たした人物だ。 4月になり発覚したところによれば、3月20日の深夜、石川議員は新宿二
【新宿二丁目】女性専用カプセルホテル『ナインアワーズ ウーマン新宿』 『ナインアワーズ ウーマン新宿』は、睡眠解析サービスを導入した女性専用カプセルホテル。 睡眠解析サービス「9h sleep fitscan」では、宿泊中の睡眠状態(体動やいびき音、寝顔画像など)を測定し、睡眠の質や呼吸状態などを判定。後日、睡眠レポートが送られてきます。 宿泊だけに限らず、仮眠やシャワーのみでも利用が可能となっており、併設されたワークブースでは仕事も可能です。 『ナインアワーズ ウーマン新宿』詳細 ■開業日:2022年4月29日(金)14:00 ■所在地:新宿区新宿2-13-13 ■アクセス:地下鉄新宿三丁目駅 徒歩2分、JR 新宿駅 東南口徒歩9分 ■営業時間:24時間 ■建物概要:地上9階建、延床面積793.60m²、敷地面積 121.82m² ■客室数:女性専用126室 ■メニュー・システム: ○【
“ゲイの街”と呼ばれる新宿二丁目。同性愛者の出会いの場として発展したが、今は訪れる人に変化が訪れている。ノンフィクションライターの長谷川晶一氏が、新宿二丁目で雑誌を作り続けてきた『バディ』編集長・HIROに話を聞いた――。 憧れの「二丁目」に通うため上京 なんでもやりたいことができて、どんな夢もかなう自由の街──。 それが、ペルーで生まれ、日本で育った日系三世・村上ひろしにとっての新宿二丁目だった。5歳の頃に祖父母の母国である日本に戻り、栃木県で暮らした少年時代。そして、自らがゲイであることを悟り、性に目覚めた青年時代。 まだ見ぬ夢の聖地・新宿二丁目に対する憧れは日に日に強くなっていった。栃木県に暮らす彼と、まだ見ぬ憧れの街を結びつけるもの──それがゲイ雑誌であり、数あるゲイ雑誌のなかでも、彼が愛読していたのが『バディ』だった。 実家の家計は苦しく、すべての学費と生活費を自ら捻出しなければ
皆さんこんにちは、新宿地域メディア『Daily Shinjuku』を運営しているGOKです。 今回は、新宿二丁目にお店を構えている『肉玉そば おとど 新宿店』に伺ってきましたのでご紹介します。 日本一ご飯がすすむラーメン『肉玉そば おとど 新宿店』 『肉玉そば おとど』は、“日本一ご飯がすすむラーメン”がコンセプトの肉玉そばを提供するラーメン屋さん。 2010年に1号店となる北松戸本店をオープンし、亀有店、葛西店などの支店を展開されています。 『肉玉そば おとど 新宿店』があるのは、新宿三丁目駅から徒歩約3分ほどの新宿二丁目。新宿通りから新宿二丁目方面へと続く路地にお店を構えています。 今回は、平日夜の10時頃に伺ってきました。 『肉玉そば おとど 新宿店』の店内 『肉玉そば おとど 新宿店』の店内は、カウンター席のみ7席といった狭小な造り。 店内入って右手にある券売機で食券を購入します。
2020年、新型コロナウイルスの感染が日本国内でも大きな広がりを見せていた当時、「夜の街」は「クラスターの発生源になるのではないか」と名指しで懸念されていた。当事者である新宿二丁目の人々はどのように周囲の反応を受け止めていたのだろう。 ノンフィクションライターとして活躍する石戸諭氏の新著『東京ルポルタージュ 疫病とオリンピックの街で』(毎日新聞出版)では、コロナ禍の東京に集い、困難に直面しながらも前向きに歩き始める人々の姿が映し出される。ここでは同書の一部を抜粋し、いわずとしれた「ゲイコミュニティー」の中心、新宿二丁目最古参のゲイバーにまつわるエピソードを紹介する。(全2回の1回目/後編を読む) ◆◆◆ 洋ちゃんが死んだ 一人の老人が死んだ。事実を並べれば、そう伝えるだけで事足りる。だが、一人の人間の死には、語るに値する人生がある。それは誰であっても──。 洋ちゃんの死が伝えられたのは、2
五感を刺激する空間(Five Senses Zone)を演出する『Good Afternoon』 2019年にオープンした「DJ BAR HEART」では、感染予防を徹底した新たなパーティ『Good Afternoon』をスタートさせ、営業を再開。 6月26日より毎週土曜日と日曜日に、DJ、アート、フード、リラックススペースなど五感を刺激する空間(Five Senses Zone)を演出し、ゲストを招いて開催されます。 『Good Afternoon』詳細 ■イベント名:Good Afternoon(GA) ■開催日:2021年6月26日〜毎週土日 ■営業時間:14:00〜20:00 ※東京都のガイドラインに沿った時間 ■開催場所:DJ BAR HEART(新宿区新宿2丁目19-9 角ビル B1F ) ■スケジュール 【6月26日(土)】DJ: Oriön, GCBG, Sam Fitzg
昭和後期の1977(昭和52)年。大分県別府市に住んでいた中学生の僕にとって大きなトピックがありました。それは隣の市である大分市に「大分パルコ」が誕生したことです。 大分は当時、地元資本の百貨店「トキハ」の天下で有名百貨店が進出することがありませんでしたが、その代わりにダイエーやサンバード長崎屋、西友といったスーパーマーケットが百貨店のように大分駅前の商業地へ軒を並べていました。ところが最後発の西友はまったく集客できず、いつ行ってもガラガラの状態。そこで、西友と同じセゾングループだったパルコが出店したのです。 パルコは当時、渋谷と池袋以外は札幌のみの出店でした。大分よりよっぽど大きい福岡や熊本に先駆けて「東京」を感じさせるお洒落ビルが登場したのですから、都会に憧れる田舎者の中学男子には大事件だったのです。 ファッション感度が鈍い田舎の中学生にとって、パルコに並ぶファッションは縁遠い存在でし
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