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ブックマーク / mdenka.blog85.fc2.com (5)

  • *ディラントーマス(仮) - 殿下執務室2.0 β1

    今日秋葉をほっつき歩いてたら、ソフマップの店頭のL4Uで予約コーナーの所のディスプレイでわかむらPのアイマスMADを流してたのだが(つか堂々と通行人にMADを晒すなよ……)、何か「これでキミもMADが製作できる」っぽいようなアオリがあって、それを見て「それは何か、『ジップヒットでジーターになろう』とか言ってるようなものではないか」とか思ってしまった俺(挨拶。 はサテオキ、競馬の話題。ある意味リハビリ程度に、と。 ◆ディラントーマスなど5頭、15日に来日予定@ラジオNIKKEI てな訳で、遂に最終フラグである「来日便の決定」まで漕ぎ着けてしまった。登録見た瞬間「はいはい来ない来ない」と日の殆どのファンは思っただろうし、向こうの関係者ですら「はいはいBCで引退BCで引退」と大概は思ってたんではと想像するが、余程JRAの海外派遣の駐在員が腕利きだったのか、或いは余程ジャパンCというレースのステ

    senchou
    senchou 2007/11/10
    いつもの釣りかと思っていたら本当に来てしまいそうな件
  • *シンコウフォレストを悼む。 - 殿下執務室2.0 β1

    今週のガッシュはマキバオー級に泣ける(挨拶。 が、今日悼むのはウマゴンではなく、ということで、*シンコウフォレストに。 基的には、やはり非業と言うべき最期ではあるのだろう。 自らの疾病ではなく、経済的に意味を成さないゆえの死であるのだから。その意味では、苦さは非常にある。 一方で、この件について我々が*ファーディナンドを思い起こすならば、恐らくアメリカ人は「お前らと一緒にするな」というのは間違いないだろうし、それは不意ながらもある程度正当ではある。それは、詰まるところ*ファーディナンドの最期が「Slaughterhorse=屠殺」である、という点に帰するだろう。要するに、その辺りの「死に方の問題」みたいな部分の違いは小さいようで大きいものはある。これに関しては、捕鯨のケースなどを考えれば明らかだろう。例えば我々からすれば、西洋人が油だけ取ってあとは全部捨てるような形で鯨肉を扱うのに対し

  • ギネス級とは、こういうことだよ。 - 殿下執務室2.0 β1

    例のサラブレッド血統センターの中の人のアレなコラム(いや、藤井さんほどの人がドイツダービーの話を知らんとはちと思えんのだけれど……)に対してSouthendさんとかknoさん辺りがツッコミを入れていて、若干反応遅れてしまったのだけれど、当の意味でギネスに載せられるべきドイツの父系連続G1制覇について、軽くログを残しておくこととしましょうか。 ◆栄光の同国6(7)代ダービー制覇の父系図。 Landgraf 1914 | Hausfreund 1919 | Ferro 1923 | | Abendfrieden 1934 | | Athanasius 1931 | | | (Orator) | | | | Uomo 1956 | | | Ticino 1939 | | | | Niederländer 1947 | | | | | Sasso(GDR) 1961 | | | | | Baba

  • ある意味、世界屈指の国際マイルG1。 - 殿下執務室2.0 β1

    6月3日3回東京6日11R 15:40発走 芝1600m 第57回安田記念(GI) 総賞金190000000円 3歳上 定量(3歳54kg,4上58kg,牝2kg減) 枠馬 馬名      産地性齢斤量 騎手   戦勝 近走成績  厩舎   前売 父 11Sakura Mega WonderJPN 牡4 58 鮫島良太  134 913休5 友道康夫  33.5 Grass Wonder 12Daiwa Major    JPN 牡6 58 安藤勝己  227 113休3 上原博之  4.8 Sunday Silence 23Admire Kiss    JPN 牝4 56 川田将雅  124 51休47 松田博資  32.9 End Sweep 24Good Ba Ba    USA せ5 58 サンマルタン198 51115 シュッツHK 11.8 Lear Fan 35Kongo R

    senchou
    senchou 2007/06/03
    アジアの芝世界制覇は近い、、のか?
  • 殿下執務室2.0 β1: エレノアお嬢様の3冠馬

    このネタ、発売後すぐに書こうとしてたら忘れてしまったのですが(ブクマには残してある)、保養地でのエレノアお嬢様が乗ってる馬に一部の競馬ファンはのけぞる、という場面。 それなんて3冠馬? という訳で、ダイアモンド・ジュビリーとはまた奮ったネーミングな訳ですが、普通思い出されるのは1897年生まれの St.Simon 産駒。ただ、実際にこの名前の馬を所有していたのはキャンベル卿のごとき下級貴族ではなく、後にエドワード7世として大英帝国に君臨する、当時のウェールズ公殿下アルバート・エドワード。同殿下は恐らく英王室牧場の全盛期を築いた馬産家で、とりわけこの Diamond Jubilee の母 Perdita を通じて Florizel, Persimmon といった名馬も輩出しております。まぁいずれも当時の、そして恐らくはサラブレッド史上最も偉大な種牡馬である St.Simon の仔であったわけ

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