終戦後、満州(現中国東北部)などからの引き揚げ者が、日本の税関に預けた紙幣や証券などの6割以上が今も返還されないまま残っている。 所有者が引っ越したり、亡くなったりして連絡先がわからないためだ。保管する税関では、「遺族の方でも、心当たりがあれば問い合わせてほしい」と呼びかけている。 「父は自分を保険に入れてくれていた。大切にされていたとわかった」。東京税関新潟税関支署で昨年10月、父親が預けた預金通帳と保険証書の返還を受けた新潟市の80歳代の男性は、感慨深げに職員に語った。父親は満州からの引き揚げ者。保険証書は父親と男性の名義になっていた。 連合国軍総司令部(GHQ)は急激なインフレを避けるため、引き揚げ時の財産持ち込みを、1人あたり1000円(現在の約20万円相当)に制限。引き揚げ者は超過分を、在外公館や上陸した港の税関などに預けなければならなかった。
父の腕に抱かれ、ハンカチで口元を押さえる少女。BC級戦犯としてフィリピンで死刑判決を受けながらも恩赦によって横浜港に帰還した元日本兵と、約10年ぶりに再会した子どもたちの写真が、1953年7月23日の本紙に載った。その少女、尾畑慶子さん(76)=旧姓前川、横浜市鶴見区=は「これで元に戻れる、と思いました」と当時の心境を振り返る。けれども、そこに母の姿はなかった。夫が戦死したとの誤報を信じて再婚していたからだ。市井の人の「戦争」は続いていた。 「私は覚えていないんですが、お葬式をしたと母から聞きました」と慶子さんは話す。終戦から2、3年後に父・前川治助さんの戦死公報が届いた。母の邦子さんは、生活を案じた近所の人の紹介で再婚した。2人の幼い弟は新潟の父方の実家に引き取られ、母は新しい父との間に妹と弟をもうけた。 治助さんがフィリピンの刑務所で健在だと分かると、邦子さんは煩悶(はんもん)した
今日の横浜北部は穏やかに晴れまして、一週間前くらいのピークの時に比べると、さすがに暑さは和らいでいるような気がします。 さて、アメリカの歯医者のハンティングの餌食になってしまったジンバブエの有名なライオンのセシルについて、世界から怒りの反応があるということはすでにご存知の方も多いと思います。 この件に関しまして、先日の放送の有料部分(http://www.nicovideo.jp/watch/1439611159)でも触れたように、その地元のジンバブエ出身のアメリカの大学院生が、このような世界のライオンへの嘆きは偽善であると舌鋒するどく批判した記事がありましたので、その要約を。 === ジンバブエではライオンのために泣きません By グッドウェル・ヌゾウ 15-8/4 NY Times http://www.nytimes.com/2015/08/05/opinion/in-zimbabw
アルルの男・ヒロシです。今日は2015年8月15日です。 「安倍談話」が出た。前の村山談話、安倍談話と違い、随分と長い、というのが一読しての感想。そして、非常に読みづらい、と思った。一般的に言って、読みづらい文章は大体「政治的妥協の産物」である。様々な意見を混ぜこぜにしているので、焦点が定まらないものとなる。 次に、読みづらい理由として、英文からの翻訳である、という場合だ。この談話、日本語と英文が同時に出た。当然、日本の新聞は日本語の方を掲載するわけだが、英文と読み比べていくと、「この談話はそもそも英文での発表」を目的にしたものではないかとわかる。表現が日本文よりも整っているのだ。 まず、内容の面は後に回すとして、表現の部分を見ていく。もっとも印象的に英文での発表を意識したと思えるのはこの談話の最後の部分だ。 (引用開始) We will engrave in our hearts th
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く