明治から大正にかけての時代は、人々の暮らしに電気が入り始めた頃で、その需要は急速に高まっていました。そのため、当時発電の中心であった水力発電の建設をすすめることは、国を挙げての大きな課題でした。 そこで、尾瀬の豊富な水を発電に生かそうと、1916年(大正5年)、当時の電力会社(利根発電)が尾瀬の群馬県側の土地(群馬県側だけは当時から私有地となっていた。福島・新潟県側は当時も今も国有林)を取得、1922年(大正11年)には関東水電が水利権(河川や湖沼の水を利用する権利)を取得しました。 尾瀬ヶ原を一望できる場所に位置することから、ハイカーの方々に人気のある東電小屋。もともとは、昭和の初めに関東水電という当時の電力会社が、降水量調査のために建てたもので、当時は「水電小屋」と呼ばれていました。その後、東京電力の前身である東京電燈に引き継がれ、この時から「東電小屋」と呼ばれるようになったのです。