私の前には今、休日の横浜中華街で美味しい肉まんを頬張っている平和ボケした日本人が通って行く姿があります。保守運動は同好会ではなくこの一般の人達の目を覚まさなければなりません。
原爆死没者慰霊碑に献花する潘基文・国連事務総長(6日午前8時9分、広島市の平和記念公園で)=源幸正倫撮影 潘基文国連事務総長あいさつ(日本語訳)は以下の通り 私たちは今、この神聖な場所に身を置き、自らの目で見て、感じ、吸収し、そして深く考えます。 私は初の国連事務総長として、この平和記念式典に参加できたことを光栄に思います。そして今、深い感動に包まれています。 広島と長崎に原爆が投下された当時、私はまだ1歳でした。私がここで何が起きたのかを十分に把握したのは、しばらく後になってからのことでした。 私は少年時代を朝鮮戦争のさなかに過ごしました。 炎上する故郷の村を後にして、泥道を山中へと逃れたことが、私にとって最初の記憶の一つとして残っています。 多くの命が失われ、家族が引き裂かれ……、後には大きな悲しみが残されました。 それ以来、私は一生を平和のために捧げてきました。 私が今日、ここにいる
1945年8月6日、広島に世界初の原子爆弾を投下した米軍のB29爆撃機「エノラ・ゲイ」乗組員(12人)の一人で爆発物の監視を担当したモリス・ジェプソンさん(87)が2日までに、米ラスベガスの自宅で毎日新聞とのインタビューに応じた。ジェプソンさんは、64年後の今も被爆者の後遺症が残っていることについて「放射線被害がこれほど大きいものとは思っていなかった」と述べた。また、原爆使用についてオバマ米大統領が「道義的責任」に言及したことについて、「間違っている」と批判、「戦争早期終結のためだった」と使用を改めて正当化した。 ◇オバマ大統領の道義的責任発言「世間知らずで間違い」 エノラ・ゲイ乗組員で生存しているのはジェプソンさんを含む2人だけ。オバマ大統領の発言を乗組員が公に批判したのは初めて。 ジェプソンさんらは45年6月から、テニアン島(太平洋)で特別任務メンバーとして、他の一般米兵とは離れ
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く