前回は、明治維新のあとで士族の収入が激減した上に徴兵制が開始され、さらに廃刀令が実施されて、彼等の誇りや特権が剥ぎとられたばかりでなく、生活もままならなくなり、家財道具を売る者や、娘を売る者が出てきたことを書いた。 歴史書では「不平士族」という言葉で表現されているが、働く場所が奪われ、収入が9割以上カットされた上に、収入に12%もの新税を課せられては、士族が不平を持たないことのほうが余程不自然である。 また明治政府は、士族のうち家禄を自主的に奉還したものに対しては、起業資金を与える目的で年収の数年分の秩禄公債を与えたことが日本史の教科書などに記されているが、「年収の数年分」といっても、士族の家禄が大幅にカットされたことを勘案すれば、藩に仕えていた時代の数か月分の収入程度の資金に過ぎなかったはずだ。 明治政府は、もしかすると、旧士族が反乱を起こすことぐらいのことは始めから覚悟の上ではなかった